第20話 自己陶酔のエンピリック

 晴生は産まれて初めて早退をした。


 転勤族ではあったが通算で行けば皆勤賞だったのを返上しロードバイクを走らせる晴生。


 完全に担任の弥生にはバレてはいたが、黙っておく代わりにTOEICを受けるか受けないか聞いてこいと言われ、斎場の住所を渡された。


 斎場の場所は隣町の岩浦市。バッテリーが持つか怪しかったがスマホをロードバイクにセットしてナビを起動してある。


 それもこれも全部雪希が一方的な契約破棄を言い出したためだ。


――一応夏休みまでは付き合っていることにして、二学期に入ったら別れたってことにしよ?――


――及川君も迷惑だったよね。流石に卒業まで続けていくわけにもいかないし、私キスできない女だし、いつボロが出てもおかしくないから――


――また告白とか多くなることを心配しているなら大丈夫。今まで通りあしらうから平気だよ――


――ありがとう。少しの間だったけど楽しかったよ――


 晴生は緩やかな陸橋に差し掛かったのでギアを軽くする。


「クソめんどくせーっ!! なんなんだっ! かまってちゃんかっ!」


 これでただ気持ちを試されただけだったら本当にどうしてくれようかと考えながら晴生は立ち漕ぎダンシングしてバイクを左右に振り一気に坂道を駆けあがる。


 教習所のある交差点までは一直線なのでギアを戻してスピードを上げる。


 雪希が何故そんなことを言い出したのにかには察しが付いた。


 自分の『菌の声が聞こえる』力が恐ろしくなったのだ。


 雪希は感情に任せて小野寺に対して力を使った。


 重度の胃潰瘍で入院していると言っていたから間違いない。


 雪希はピロリ菌を異常繁殖させたのだ。


 そしてどうやったかは知らないが晴生の傷も癒した。


 本来なら傷は内臓まで達して瀕死の重傷だった筈。そうでなければ説明が付かない。


「雪希のやつ嘘つきやがってっ! 大丈夫って言っただろうがっ! 少女漫画のヒロイン気取りの女の子かっ! ほんと勘弁してくれっ!」


 嘘を見破れなかった自分を責めるのも反面。


 もう正直晴生はいい加減気持ちを振り回されるのも飽き飽きした。そして自分の感情に振り回されるもの――


 全部が自分らしくないという自覚もあった。雪希の言った通り晴生は今日これっきりで全部終わりにしようと決意した。


 「俺を本気で怒らせた責任取ってもらうからなっ! くそっ!」


 愚痴をぶちまけながら走っていくロードバイクはすれ違う人や車の目を引いたがそんなこと晴生はお構いなしに走り続ける。


 この時晴生は初恋と言うものが甘酸っぱく切ないものではなく、面倒くさく大変なものだと知った。




 ロードバイクで飛ばすこと凡そ1時間弱。晴生は斎場に到着する。


 亡くなったのは母方の祖母で、妹夫婦の住んでいる隣り町のセレモニーホールで葬儀を行うという事だった。


 事前に担任教師の弥生から聞いていた雪希の母方の祖母の姓である兵藤家の立て看板が掛けられているのを見て、ここだと確信する。


 息を切らせて斎場の裏手にロードバイクを止めた瞬間、ぶわっと汗が滝のように流れるが、拭う暇も惜しんで晴生は慌てるように入口へと向かう。 


 身を覚えのある後ろ姿を見かけたので追いかける晴生。


 黒紋付の女性の物腰から、いつも着物姿を見慣れている晴生には雪希であると確信し、その女性の手を掴んだ。


 驚いて振り返った女性の顔は雪希にそっくりだが雪希ではなかった。


 普段の雪希より少しきつめの目じりに、ふっくらとした妖艶な唇。美人ではあったが開き切った花のような中年の美しさが漂っていて、年齢からして雪希の母親ともいえるような女性だった。


「えっと何か?」


「あっ! すいませんっ! 人違いでした」


 不思議そうに首を傾げていた女性は、次第に品定めをするかのように晴生の顔をじっと見つめ始める。


 あまりにもじっと見られるので、圧に押され晴生は身動きを捕るのさえ忘れてしまった。


 やがて喪服美人は合点が行ったように手を合わせる。


「あなた、もしかして晴生君?」


「え? そ、そうですが……」


「やっぱりね。私と見間違えたと言っていたから分かったよ。私は兵藤雪子、雪希ちゃんの叔母に当たるかな」


 晴生もまた自分が間違えたことに合点がいく。


「雪希の叔母さん……ですか」


「うん、でももう一度おばさんって言ったらぶっ飛ばすからな?」


 間違いなかった。強気な物言いが明らかに雪希の親族であることを物語っていた。


「なにどうしたの? もしかして雪希ちゃんに会いに来たとか?」


「……はい、そうです」


 晴生は「お恥ずかしながら」と後に付け加え力強く頷く。


「あはは、そっかそっか、青春しているねぇ。ちょっと待っていてね。今呼んでくるから」


 満面の雪子が力いっぱい晴生の肩を叩き、その痛さに悶絶している内には既に雪子の姿は消え、その数刻、斎場の奥の方から――


「雪希ちゃぁんっ! 未来の旦那さんが来てるよぉっ!」


「はあぁっ!?」


 親族が集まる中でとんでもないことを口走った雪子の後、雪希の目が覚めるような大きい声が聞こえ、奥の方がどたどたざわざわと騒がしくなる。

 

 血相を変え、酷く慌てた様子の雪希が現れる。


 雪希もまた無地の黒紋付の喪服姿。いつもの着物姿とは違ってずっと落ち着いていて、一段と大人びいて見える。


「ちょ、ちょっと何で来てんのっ!? 困るよっ!?」


「ゆ、雪希、実は話があるんだっ!」


「分かったからっ! 話は聞くからっ! とりあえず場所を変えさせてっ! ちょっとこっち来てっ!!」


 怒っているのか恥ずかしがっているのか雪希は顔を紅潮させていた。


 晴生は強引に腕を掴まれ、斎場の外へ引きずられるように連れて行かれる。


 その寸前晴生はにんまりとした半端な笑顔を壁際から覗かせる雪子の姿を見た。



 斎場の外に連れてこられて早々、雪希は胸元で腕を組んで、晴生の正面に立った。


 雪希の顔は目に角が立っていて、いかにも苛立っているのが分かった。


「それで、何で来ているの?」


 意気込んで乗り込んだものの晴生は来る途中散々愚痴をこぼしながら、言おうと決めていた言葉をすっかり忘れてしまった。


 その様子にしびれを切らした雪希は重々しい溜息をついて徐に口を開く。


「私ね。怖いの」


 雪希は晴生から目を反らして、片方の腕をつかむ仕草をする。


「ハルくんの事だから薄々感づいていると思うけど、私……あんなことがあったとはいえ小野寺先生を殺そうとしたんだよ? 手術は成功して回復傾向に向かったと言ってたからよかったけど、下手をしたら本当に殺していたかもしれない……」


「だからお前、いつか俺を気付けてしまうんじゃないかって思ったんだろ?」


「……そうだよ。この力がいつか誰かを傷つけてしまうんじゃないかって怖いの。私はハルくんを傷つけたくない。だから……」


「だから、何だ」


「ハルくんの気持ちには答えられない」


 物悲しく微笑む雪希の潤んだ瞳が全てを物語っていた。


 何を言っている? 自意識過剰じゃないのか――と、今までの晴生であればお道化て揶揄って見せただろう。


 だが、今日の晴生は怒っていた。


 雪希が自分を見失っていることに、そして自分で今を見ろと言っておきながら、雪希が後ろめたいことを言っていることに。


「雪希。君は俺に言ってくれたじゃないか? 今この瞬間を楽しくなる方法を考えた方が有意義だって……」


 晴生は雪希が言っていた言葉を思い出していた。


 ――過去のことを気にするより、未来の事で不安になるより、今この瞬間を楽しくなる方法を考えた方がよっぽど有意義だと思わない?――


 雪希の言葉は晴生の心を前に進ませた。入院中色々な事を考える機会が出来て、雪希の言葉の意味に改めて気づかされる。


 未来にはきっといいことがあるという無責任な言葉より、過去で嫌なことがあったことがあったからこれからも嫌なことがあるという言葉の方が説得力がある。


 しかしその二つの言葉は頻度確率で言えば同じ確率で起こりえるもので、本質的には同じもの。


 そんなことをうじうじ考えて前に進まないより、今自分が出来ることを考えた方がよっぽど自分の為になると晴生は捕らえた。


 雪希はそこまで深く考えていなかっただろう。しかし晴生自身、極論ではあったが、もしかしたら真理かもしれないとさえ思っていた。


「は……お、及川君。大人になろ? やっぱり現実はそういう訳にはいかないよ。及川君と一緒にいられたらきっと楽しいだろうなって思うけど……駄目だよ」


 ハルくんと言いかけた言葉を雪希は呑み込み、躊躇とまどいがちに呼び方を苗字に戻す。


 晴生から目を反らして雪希は唇を噛む。


 雪希が無理に自分と距離を置こうとしているが晴生にははっきりと分かり、晴生はあきれ果てて溜息交じりに頭を掻く。


「……雪希の言いたいことは分かった」


 涙を見せまいと雪希は俯いて目を伏せる。それを見た晴生は――


「背伸びして、聞き分けが良くなって、意地を張って、我慢するか……やだよ。そんなの面倒臭い」


「……お願い、分かって」


「じゃあ聞くが、俺を気付けてしまう確率ってどのくらいだ?」


 話をげ替えようとしてきたと思ったのだろう。


 雪希は涙をためた顔を上げて、少し苛立ちを見せる。


「確率の問題じゃない。この力がいつか人を本当に殺してしまうんじゃないかっていう話――」


「だけど、雪希はその力で俺を治してくれただろ?」


「それは……私のせいでもしものことがあったらって思ったら」


「じゃあ、次もその力で治してくれるんだろ?」


「次は治せないかもしれないっ!」


「だったら、今度は殺さないかもしれない」


「っ!」


 晴生の言わんべきことを察した雪希は言葉を失った。


 やっとの思いで絞り出した言葉は陳腐なものだった。


「……そんなのただの屁理屈――」


「雪希のいう『大人』の理屈で言えば、その知性と理性をもって、コントロールできる方法を考えるべきだ。そっち方がよっぽど現実的だろう?」


 一人うじうじと悩んでいる雪希の頭に手を置いて、晴生はお道化て微笑んで見せた。

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