第2話 葷酒山門のバチルス・サブティリス

 転校から3日、4月10日。


 晴生は鬼嶋雪希を含めてクラスメイトの人物象が少しだけ見えてきた。


「ごめんなさい。あなたとは付き合えません」


「……理由を聞かせてくれますか?」


「今は誰とも付き合う気も無いし、タイプじゃないんだ。だから……ごめんなさい」


 晴生が昼休み廊下の3階から覗き込むと、決まって雪希は連日のように男子から告白を受けている様子が見えた。


 きっぱりと望みが無いように伝えているところから見て随分と手慣れている感じだった。


 それもその筈、聞くところによると1年の時から度々告白されているらしく、当時は1日3回のペースに比べれば、1日1回というのは随分マシになったと言える。


 逆に言えば上級生と同級生の目ぼしい奴は玉砕し終え、今とぼとぼと帰っているのは挑戦者チャレンジャーは下級生という事なのだろう。


(可哀そうに……あそこまで言わなくてもよくないか?)


 モテる女子と言うのは学校でアイドル的な存在になるのが相場だが、返って妬みの対象になって女子のグループから外れしまい、男子からは高根の花扱いされ孤独だった。


 進学校という事もあってか、直接的ないじめは無く、表面的な付き合いで、本人の見えないところで陰口をたたかれるという精神攻撃を受けている状態の様だ。


 あっちヤクザ系の人間と付き合っているという根も葉もない噂まで立つ程だった。


 妹と似た状況にある雪希を見て、悶々とした複雑な感情が晴生の中に溢れていった。


 晴生は礼を言うのを次第に躊躇ちゅうちょしていくようになる。晴生にとっては恐怖の対象である女子というのがどうしても躊躇ためらわせていた。


 更には前の学校での出来事が広がり、女いじめられている妹の為とは言え、盗撮、盗聴をしたのには変わりがなく、女子からは『ヤバイ奴』というレッテルを張られて敬遠され始め、ますます晴生は躊躇ちゅうちょするようになっていた。




 やきもきして過ごしていた四日目。4月11日の朝、追い風のお陰でロードバイクが快調に進み早くついてしまった教室。


 ヤバイ奴というレッテルを張られている晴生に躊躇ちゅうちょなく話しかけてくる女子がいた。


「及川って、あんな噂が立っているのによく学校来れるよね?」


 サラリと伸びた黒髪のロングヘアーに涼しげな目元の女子。今川弥音いまがわねおん、典型的なインテリ理系女子リケジョ。知的で大人しい、雪希とは違うまた別の理由でクラスでは浮いていると晴生は分析していた。


「何て呼ばれているか知らない訳じゃないよね?」


「……カーストブレイカー、盗撮魔、敗因はてめーは俺を怒らせた、シスコン野郎……俺としては及川興信所が気に入っている」


「私はスカッとモンスターがいいと思うけど……」


 賞賛と中傷が入り交ざって悪くないネーミングセンスに、晴生は嬉しくも何ともなかったが素直に賞賛を送った。


「今川って変な奴だな」


「……女の子に変なんて禁句。大体及川に言われたくない」


「なら、秀実ほずみならいいのか? そもそも秀実ほずみに惚れている時点で相当変だろ? 見た目は良いが口を開けばアニメとゲームの話しか出ないぞ?」


 流石に四六時中目で追っていれば誰でも気付く。しかし晴生から見て秀実ほずみは三次元に興味が無いという素振りというより、本当に気付いていない様子だった。

 

 目を見開いて驚いた表情の後、弥音ねおんの口をすぼめる顔に、純粋に晴生は可愛いと思う。


「……なんで知っている?」


「今川は意外にかわいいっていう事か?」


「今の話の流れでどうしてそうなるっ!?」


 照れていると言うより、不満そうな眼で細められ、晴生はさっさと話しを進めることにした。


「浅沼の隣にいて、転校初日からあれだけ視線を感じていれば気付くだろ? 本人は全く気付いていないようだけどな」


「……なら、その変な人から忠告しておくけど、鬼嶋さんも気付いていると思うよ。さっさと告白してくれば? これ以上熱い眼差しを送っていると、見ているこっちが気持ち悪い」


「だろうな」


 もたもたしているとあらぬ誤解を生みかねないと理解した晴生は弥音ねおんの言葉通り早々に行動に移すことにした。



 そして昼休み、場所は教室。晴生は雪希が静かに佇む席の前で立つ。


「鬼嶋、話がある。ちょっといいか」


 晴生は緊張のあまり女子に語り掛ける真面まともな初手の台詞が思いつかず、不愛想な態度と不器用な口調で話しかけてしまった。


 鳩が豆鉄砲を食ったような呆れた表情を見せる雪希であったが、そこは百戦錬磨の猛者。


 威風堂々と誘う晴生を前にしてクラス全員一斉にどよめく中でも冷静さを失うことは無かった。


「……えっと、ここじゃ駄目な話?」


「……場所か? 俺は少し時間を貰えるかと言っただけで、鬼嶋が嫌なら移動するが?」


 雪希が一瞬苦虫を噛み潰したような顔を見せたような気がしたが、にもかくにも晴生は校舎裏に連れ出すことが出来た。


 そして――



「ありがとうっ! 鬼嶋っ!」


 深々と頭を下げて晴生は雪希に感謝の意を伝える。


 バス停で盲腸に襲われた際に救急車を呼んでくれた雪希に対して心から感謝し、救命活動に取り組むことが出来る雪希を尊敬した。


 分かっていてもなかなかできることじゃない。だから晴生はせめてもの誠意伝えたかった。


 見上げて様子を伺う晴生の目の前には雪希の呆然とした姿があった。


「え~と、ゴメン。何の話……かな?」


「覚えていないか? 先月、駅のバス停で倒れた俺を、救急車呼んでくれただろ?」


 小首を傾げて先月の記憶を辿ろうとしている雪希に、晴生は一瞬人違いかと自分の記憶を疑ったが、雪希のような美人を見間違うはずがない


 何とも言えない沈黙が流れ、その気まずさに晴生は無性に頭を掻きたくなった。


「ああ……うん、覚えてる覚えてる、その後調子はどう?」

 

 作り笑いと瞬きの回数から、嘘を付いていることが晴生にははっきり分かった。


 雪希のわざとらしく誤魔化す様子に、晴生は溜息に乗せて諦めに似た感情を吐き出す。


「大丈夫だ……まぁ、鬼嶋が覚えていようがいまいが構わんが、俺は礼を言いたかっただけだ」


「……そっか」


 雪希が自分の足元を見降ろして、髪の毛を弄り始め、気まずい雰囲気が流れ始める。


「困ったことがあれば力になる。遠慮なく言ってくれ。それじゃ」

 

 気恥ずかしさと場の雰囲気に居た堪れなくなった晴生は一方的な捨て台詞を残して踵を返す。


 自分の吐いた台詞の痛さを感じつつも、幕引きにしては上等だろうと自負しながら教室へに帰ろうとした。


「ちょっと待って」


 逃がさんとばかりに雪希に引き留められ、悪くない気分に浸っていたのを邪魔をされ晴生は、思わず顔しかめそうになったのをぐっとこらえた。


「なんだ?」


「このまま帰るのはヤバくない? クラスのみんなに変な誤解されちゃう……」


 雪希の言っていることに一瞬分からなかったが、一年の生徒に自分と同じ場所で告白されている雪希の姿を思い出して、晴生はようやく理解した。


「……誤解? ああ、そういえば鬼嶋、一年の男子に告られていたな……なるほど、そういう事か……」


「そう、こんなところで話していたってなると――」


「大丈夫だろ? 俺が鬼嶋に惚れる要素なんてどこにもない」


 事実、会って間もない女子にどう惚れろという話だ。


 裸を見れば吐いてしまうという女体恐怖症である晴生にはなおさら見た目など判断要素にはなりえない。


 そもそも男として終わっていると思っている晴生にとって何も知らない女の子など晴生にとって恋愛対象以前の問題だった。


 目の前の雪希が険しい目つきに変わるのを見てそれが失言だったという事を晴生はようやく悟る。


「アハハ、女の子を呼び出す朝に納豆食べてくる男に言われたくないかな」


 目が笑っていない。声のトーンも下がり棘も出てきた。


 何故分かったのかと疑問に思いつつ、晴生は冷静に服の袖の匂いを嗅いでみるが、納豆の匂いは感じなかった。


「……臭うか?」


「……そうだね。私の家、酒蔵だから、納豆菌とかの枯草菌って繁殖力が強いから、酒が駄目になっちゃうだよ」


 納豆菌は枯草菌の一種で、芽胞という外皮を持ち、様々な環境ストレスや飢餓に対して耐性を持っている。簡単に言えば100℃の熱湯に耐え、宇宙環境でも死なない。


 おまけに繁殖力も強い。なので仕込み中に納豆菌が侵入すれば麹たちが全滅しかねないという。


 納豆菌について口うるさく説明を受け、晴生は細菌についての興味が芽生え、雪希への印象を始める。


「すまない、気を付ける」


「……そうしてくれるかな?」


 鬼嶋雪希という人物は皆が思っているより明るく、気遣いが良く、気さくで礼儀正しい人間なのかもしれないと晴生は感じた。


「何?」


 晴生はずっと見つめてしまっていた事に気付いて、雪希に不快感を覚えてしまったようで怪訝な目つきで睨まれる。


「いや、それにしても、鬼嶋って意外に――」




 放課後、晴生は部活動をしていない。不登校の妹の世話というのは建前で、本当は心配でたまらないのが理由だった。


 イジメを機に妹を助けれないよりは、シスコンと罵られた方がよっぽどいいと思う様になって、周りからシスコンと呼ばれても何とも思わなくなっていた。


 世間の母親が娘が心配で色々口うるさくしてウザがれる理由がよくわかった。


「よう、及川、今日も妹ちゃんの世話か?」


 ロードバイクで軽快に帰宅中、背後からクラスメイトの元弥と秀実が現れる。


 前の学校の事件が噂になっても、二人は転校初日と変わらず晴生へ気さくに声を掛けてくる。


 学校という環境は一年の一学期である程度立ち位置が決まるもので、転校生晴生元弥オープンスケベ秀実オープンオタというあぶれたもの同士がつるむのは必然だった。


「おう、今日は傷ついたから、妹に癒してもらいたいな~」


「流石にあんなに怒った鬼嶋さんは初めて見た。まるでSM嬢のような目つきだったな」


「『良い性格している』なんて、どこからその選択肢が出てきたんだお? バッキバキにフラグを折るなんて……」


 ふざけて晴生は気持ち悪いことを言ってみるが、二人に敬礼されながらスルーされる。


 明るく、気遣いが出来て、礼儀正しく本当に性格が良いというつもりが、全く真逆の意味になる倒置法で伝えてしまった晴生は――


『あんたには言われたくないっ!!』


――と雪希の鼓膜が破れるかと思ったほどのきつい一喝を貰ってしまった。

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