青恋アウトブレイク

朝我桜(あさがおー)

第1話 天之美禄のセレビシエ

 唐突だが、どこにでもいる普通の高校生である及川晴生は特殊な体質の持ち主である。


 それは女性の裸を見ると吐く。


 そして性的興奮を抱いても気持ち悪くなるときがある。


 名付けるなら『女体恐怖症』――つまり男として終わっている。


 だからといって男に対して恋愛感情を抱くこと無ければ、ましてや性欲を抱くことも無い。


 断じてない。

 

 どうして晴生が女体に対して拒絶反応を示すようなってしまったのか――それは小学生の頃にであった痴女という都市伝説に運悪く遭遇してしまった。


 お世辞にも美人とは言えない女性の裸体に、晴生の純粋な少年の心は完膚なきまでに破壊され、家族の以外の女性でも性的嫌悪を抱くようになった。


 さらに追い打ちをかけたのは妹のいじめ。


 同級生から酷いいじめを受けていた妹を助けるため晴生は、女性に嫌悪感を抱いているため躊躇なく社会的に抹殺した。


 女性恐怖症によりすっかり用心深くなってしまった晴生は、溜めていた小遣いとバイト代全財産の殆どをはたいて機材を購入し、妹の悲痛な現状を涙ながら耐え抜き、いじめの現場の録画、録音に走った。


 証拠収集に奔走した末、言い逃れが出来ないようモザイク処理してネットに上げ炎上させた。


 当時の晴生の用意周到さは目を見張るのを通り越し鬼気迫るものがあった。


 慌てた学校が晴生達を呼び出し、女子中学生たちの『やっていない』、『イジってただけ』、『ふざけていただけ』という戯言を晴生は延々と聴かされ続け、いじめのもみ消そうと、アップした動画を削除するように迫った。


 学校と女子生徒の反応は晴生の予測通りであったため、学校の要求を蹴り飛ばし停学処分を受けながらも、校長室での出来事を隠れてボイスレコーダーに録音、それを教育委員会に送り付けた。


 言い逃れが出来なくなった学校は記者会見。いじめていた女子グループの親から謝罪を獲得し、いじめていた本人たちは精神的なショックで学校に来なくなってしまった。


 流石にやり過ぎてしまったこともあり、共働きであった両親の仕事の都合に合わせて、晴生は高校2年に上がる4月を機に地方の学校へ編入することなった。


 一方妹の方は最近出来始めた中学に籍を置きながらでも通えるネット中等部へ通う事になった。



 そして今は3月半ば一足先に晴生は妹と一緒に転入手続きの為、新幹線と在来線を乗り継いで東京からはるばる新幹線を使い現地へと訪れている。


「うおっ! 寒っ!」


 駅を出ると頬に冷気が刺のように突き刺さり、身震いを起こす。


 スマホを見ると気温は9℃と表示され、確か東京では15℃と表示されていた覚えがある。道理で寒いわけだった。


 晴生の横で寒さに鼻を赤らめながら妹のひたきは不機嫌そうな顔でバスを待っている。


 思春期の妹を持つ兄の感情と言うのはみんなこんなものなのだろうか。


 放っておくの一番なのだろうが、心配だがお節介を焼いて嫌われたくない。自立したいと言う妹の感情も理解できるから背中を押してやりたいという気持ちはある気にもあった。


 晴生は悶々とした頭を掻きむしる。


「悪りぃな。ひたき……俺のせいで転校する羽目になっちまって」


「……やめて、ハルは悪くない、みんなあいつらのせい、そう思った方が楽」


 一件以来いじめていた女子生徒が休むようになって鶲は他のいじめられていた女子たちと仲良くなることが出来た。


 鶲はSNSで繋がっているから大丈夫なんてことは言っているが、スマホを握り占める手に力が籠っているところを見て、晴生には痩せ我慢だという事が手に取るように分かった。


 ふと、晴生は妹を見る視界の右端を映るものに、瞳が奪われた。


 着物を着た女性。


 恐らく大学生ぐらいだろう、卒業式だったのだろうか。振袖にしては華やかにかけるが、落ち着いた薄浅葱うすあさぎの着物は、上品でお淑やかな印象を受ける。


 卒業式だとすれば、一人だけというのも少し妙な気がした。


 目が合った――


 直ぐ様眼を反らすが、反らした先にはひたきの冷ややかな視線が待っていた。


 肌を刺す冷たい空気よりも、晴生にはそっちの方が骨身に染みた。


「ハル。無理だって……ゲロ吐いてオチだよ」

 

 分かり切ったことを妹にため息交じりに言われて、晴生には恋は出来ないのだと改めて痛感させられる。


 女性に対して沸いた感情は犬に噛まれたようなものだと思う事にしよう。


「もし、そこの方?」


 突然後ろから心臓が飛び出すかと思った。


 振り返ると例の着物の女性が間近へと迫り声を掛けてきた。


 濡れ羽色の髪から覗かせる柔らかな蒼い瞳と透き通った白い肌、そして香水だろうか、リンゴやメロンのように甘くて、さわやかでフルーティーな香りが冷気に乗ってやってきて、晴生の鼻翼を擽る。


(――って、詩人かっ! 俺はっ!? 恥ずかしいっ! いきなり声を掛けられて混乱しているのかっ!)


 晴生はえて自らを自虐することで自尊心を取り戻し、冷静に受け答えを始める。


「な、なんでしょう?」


「今救急車を呼ぶので、そこを動かないでっ!」


 言われた事が全くの予想外であったため、全く訳が分からず、晴生の頭は真っ白になる。


 その間にも目の前の女性は狼狽えながら巾着の中からスマホを取り出して――


(な、なんだこれ……急に腹が……めちゃくちゃ痛――)


 晴生は突如襲った初めて味わう激痛に膝が折れ、地面に崩れ落ち、膝の痛みを感じるまでも無いまま、妹の呼びかけさえ一瞬で遠のいて、意識を失った。



「急性虫垂炎……いわゆる盲腸だって」


 救急車で担ぎ込まれた晴生はその日のうちに入院することになった。視線の端には安堵した表情を浮かべるひたきの姿があった。


 腹腔鏡下手術でさっさと切られてベッドに伏せている。2、3日の入院らしい。


 手続きの方はひたきの方でやっておくという事で、晴生はしっかりした妹を持てたこと感謝した。明日には両親も来るらしい。


「それにしても、あの人何だったんだ……」


 ふと晴生着物を着た女性ことが気になった。女性の対応は腹が痛くなる前に気付いていたような感じだった。


「それな、マジ秒だったよね」


 鶲の話によれば救急車が着た途端、姿を消したらしく、特に名前も聞かなかったという事だった。


 個人情報だし聞いても教えてくれたかどうかも怪しく晴生は考えるのをやめた。


 町に居ればいずれ合う事もあるだろう。たかが盲腸とはいえ、救急車を呼んでくれたことは礼を言わないければ――



 しかし晴生の安易な望みとは裏腹に偶然にも早々に機会がやってきた。


「東京の黄川学園高等部から来ました。及川晴生です。趣味はロードバイク。よろしくお願いいたします」


 ロードバイクが趣味と言うのは間違いないが、実のところ建前、本当は御朱印集め。


 年寄り臭い趣味を露天することを憚れるほどの気恥ずかしさは晴生にも持ち合わせている。


 テンプレな自己紹介しながら、外を眺めている一人の女子にまたしても晴生は瞳を奪われる。

 

 てっきり精々大学生ぐらいかと思っていた着物の女性が同級生で、しかも転校先で同じクラスになるとは――


(探す手間が省けて、まぁいいか……)


 漫画やアニメの主人公なら、ここで運命などと気持ち悪いこと考えるのだろうが、晴生にはそんな感情は微塵も湧かない。


 有名な進学校を上げたせいもあって、教室内はどよめく、生まれつきの三白眼に鋭い目つきのせいか、『不良かと思った』などのやひそひそ話へと変わる。


 優等生か不良かを決めあぐねている様子だ。

 

「えーと、今日から一緒に勉強することになった及川君や。みんな仲良うするんやで」


 亀窪西高校2年E組、担任の田中弥生たなか・やよいは一昨年、大阪から転勤してきた女性教諭。学年始期でクラス替えもあったはずなので、わざわざする必要も無い。


 にも拘らず転校生として紹介するところから粋な人らしく、面接にも参加していて、それから何かと晴生に親身になってくれた。


 正直良い先生だと晴生は素直に思った。しかし俺『生徒に親身になれる。私って良い先生』と考えているようにしか感じられないようになってしまっていた。


 無論、晴生も自分が極度の人間不信に陥って卑屈になっているという自覚があり、それが正常な考えではないということも理解していた。


 たとえ田中先生がそういう考えでいたとしても、誰だって人に好かれたいと思うのは普通の事だし、別に何とも思わない。だから何も言うつもりもない。


 裏表が無い人間なんていないのだから、と言えるぐらい前の学校の一件で晴生の心は成長していた。


 だから晴生は仮面ペルソナを被らない。外面ばかり良くして後何年そのストレスを抱え続ければいいんだという話だった。妹も自分も前の学校ではそれで失敗した。


 それに前の学校では成績優秀に勤め、優等生であろうとしたため、悪い情報が入ってこず情報収集に苦労した。


 晴生は自分の身と大切なものの身を護るためには清廉潔白ではいられないという教訓を得て生活態度を少しばかり改めた。


 しかし別に人付き合いが悪くなろうとそれはそれでと思っていた晴生の考えとは裏腹に話しかけてきた奴がいた。それは隣りの――


「君、及川って言ったね。突然だがアニメは好きかい?」


(ああ――お前のせいで嫌いになったかもしれない――)


 ホームルームで自己紹介していた浅沼秀実あさぬま・ほずみだった。


 アニメのキャラクターのTシャツをYシャツの中に堂々と着ている美男子。オタクである事を隠そうとしないオープンオタという人種。表裏が無く自分に正直な奴は正直嫌いじゃないが、露骨に曝け出されると流石に晴生も引いた。


 眼は神経質に切れ上り、鼻筋が通って、ちょっと頬骨が高い二枚目のくせしてオープンオタという残念イケメンに引きつりながらも晴生は答える。


「ワン●ースとか●は●ふるとか銀●とか普通に好きだ」


「HAHAHA、ワロスワロス、それはアニメぢゃねーよ」


 じゃあ、アニメって何だ。真顔で有名アニメを全否定され晴生は困惑した。確かに一部はドラマ化しているからアニメって感じはしない側面もあるが――


「浅沼、お前の趣味に引き込むんじゃない。俺は島貫だ。よろしく」


 渡りに船とはこのことだ。秀実ほずみの背後から眼鏡を掛けた真面目で頭のよさそうな男子、島貫元弥しまぬき・げんやが現れる。まるで昭和のホストのような名前だったので晴生はよく覚えていた。


「ところで及川はどんなの女が好みだ?」


 前言撤回――来た船は泥船も良いところ、元弥という男は変態で馬鹿だった。


「男子が打ち解けるにはまず下ネタからだろう?」


 下ネタにもほどがある。学校に堂々と不健全雑誌グラビア写真集を持ってきている。しかも洋物外国産、金髪をたくし上げた女優が表紙を飾っている。


 オープンオタに続いてオープンスケベ、表裏無いと言う意味で嫌いじゃないが、女性の裸の写真を突きつけられ『女体恐怖症』である晴生は吐き気を催す。


 秀実ほずみ元弥げんやの開幕いじりのお陰で、晴生は少しだけクラスに溶け込むことが出来た。


 ただ教室の隅の席に座る例の着物を着ていた女子、鬼嶋雪希はまるで晴生には興味無いようで、物静かに外の風景を眺めている。


 どこか希薄で儚げでクラスで浮いているような印象の少女だった。

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