妄想アラサー

@ame-tachibana

第1話 カフェスタッフ

 私、桜井美代には密かな楽しみがある。おしゃれなカフェで温かなカフェラテを飲みながら読書をする、そんな絵に描いたような優雅なひとときの間、本当の楽しみは私の脳内で起こるのだ。

「こんにちは」

「いらっしゃいませ」

 最近通い出したこのカフェはお気に入りで、ブラウンを基調とした店内の客席はビンテージ家具で揃えられている。なんでも元々このカフェはスウェーデンに本店があり、その支店なのだとか。そんなおしゃれなカフェのレジ前でメニューを流し見る。頼むものは決まっているのだが、目新しいものはないか見てしまうのは仕方ない性分だ。

「えっと……」

「カフェラテですか?」

「え」

 言おうとしていたメニューを先に言われて驚き、思わずスタッフを見つめると照れたようにはにかむ。

「いつもカフェラテを頼まれていたので、覚えてしまいました」

「違いましたか?」と心配そうに黒い瞳を向けられて頷いた。

「そうです」

「良かった」

 安心したように微笑むスタッフのネームプレートを盗み見ると『前野朔』と書いてある。身長は一七五センチくらいの黒髪を流したハンサム。女慣れしているように見えたが、こちらを窺う表情は子犬のようだった。

 支払いを済ませ、お気に入りのカウチソファの席に座り、鞄の中から文庫本を取り出して読み始める。著者には申し訳ないが、あくまでこれはカモフラージュだ。

「お待たせしました、カフェラテです」

 カウンターで注文を聞いたスタッフである前野さんが温かいカフェラテを持ってテーブルまで来てくれて、小さくお辞儀するとふと微笑んでくれた。

「ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」

 今日の相手は彼にしよう、と内心ほくそ笑んで、開いたページに目を落とす。

「何読んでるんですか?」

 ふと視線を上に向けると、エプロンを外した前野さんが目の前にいて、驚きで目を瞬きさせ私を可笑しそうに笑いながら、手にしているホットコーヒーをテーブルの目の前に置いた。

「僕今から休憩なんです。相席いいですか?」

 未だ驚きから抜け出せない私は頷く。「良かった」と微笑む彼は目の前の空いている席に腰をかけた。

「いつも本を読んでいますよね? 読書が好きなんですか?」

 まさかカモフラージュとは言えず、曖昧に肯定すると揃えられた髭を撫でた彼は自分のコーヒーに口をつけた。

「ブックカバーしているから、何を読んでいるのか興味あって」

「あ、普通の内容ですよ。あの、今話題のミステリー小説」

 著者の名前を言えば、彼にも覚えがあるのか「あぁ、」と頷いた。

「過去作はドラマになりましたよね?」

「えぇ、今読んでいるのは映画にもなるみたいです」

「すごいな……。その作者がお好きなんですか?」

「そうですね、読みやすいし……。ミステリーはドキドキしますよ」

「僕はあまり本を読まないから、お勧めがあったら教えて欲しいです」

 これはどういうつもりなのだろうか? そんな戸惑いを感じるが、ハンサムな男に尋ねられると無碍には出来ず、久しぶりの異性との会話は高揚するものがあり自然と頬が綻ぶ。

「どんなジャンルが好きなんですか?」

「ん〜、恋愛ものかな?」

 ドキリと鼓動が一際大きく跳ねた。前野さんを見つめると照れたように笑いながら、コーヒーの入ったマグカップを指先で撫でる。

「男が恋愛ものって、やっぱりおかしいですかね?」

「そんなこと……」

 フルフルと首を振ると、彼は胸を手で押さえて安堵したように私を見つめる。

「おすすめの恋愛小説って、その人の恋愛観を垣間見れる気がしませんか?」

 前野さんは私を見つめたまま、蠱惑的に微笑んで見せて、端正な顔からは想像もつかない色香がコーヒーの香りと共に流れてくる。ドキドキした鼓動を抑えながら、最近読んだ小説の名前を出した。

「どんな内容なんですか?」

「えっと、珈琲店の店長とその常連の女性のラブストーリーです……」

「僕は店長じゃないけれど、僕らと同じ立場ですね」

「そうですね」

 名前を出した小説は、自分自身が彼との関係に重ねて選んだものだった。内容は互いに思い合いながら一歩を踏み出せない純愛小説だった。

段々赤みを隠せなくなっている頬を悟られないように俯こうとすれば、前野さんは流石スタッフと言うべきかすぐに異変に気付き、フロアを見渡す。

「暑いですか? 室温下げるべきかな?」

「いえ、あの、エアコンは丁度良いです」

 焦って顔を上げると、真っ赤な顔を見られてしまう。

「その小説って、どうやって主人公と店長は近付くんですか?」

「段々と互いのことを話しながら、お店の中だけで距離が近づいていくんです」

 ただ小説の流れを話しているだけなのに、まるで自分の憧れを彼に伝えているようで気恥ずかしくなってくるが、目の前の前野さんは穏やかに微笑みながら、私の話を聞いている。

「それで、最終的にはやっと互いの気持ちに気付いてハッピーエンドです」

「そうですか、読んでみようかな」

「内容全部話してしまいましたけど」

「小説って、内容も大事だけど文章の書き方も大切ですから。著者が書く雰囲気は本を読まなきゃわかりません。それを含めて貴方のお勧めを知りたいんですよね」

 意外だった。会話のネタに聞かれただけだと思っていたのに、深く考えてくれていた見た目に反して深い考え方に胸の高鳴りが止まらない。

「さて、そろそろ戻ろないと」

「あ、せっかくの休憩だったのにすいません」

 自分ばかり話してしまった、もっと彼について知りたかったと思っても言えなくて、つい見送りそうになってしまう。席を立った前野さんはワイシャツの胸ポケットから紙切れを出すと、裏返して私に差し出してきた。

「小説みたいな話もいいんですけど、僕は少しせっかちなんです」

 「それでじゃ、また来てくださいね」そう言ってカウンターの奥にあるバックルームへ去って行ってしまった。私は彼の言葉の意図がわからず、残された裏返された紙切れを見てみると、カッと顔に血液が集まってくる衝動が巡った。書かれていたのは前野さんのプライペートアドレスに「よろしければ、連絡ください」と一言添えられている。先程の彼の一言一言に意味があるのだと今更気付いて恥ずかしくなった。連絡をしてみようか、そんな久方ぶりの胸の高揚は止まることを知らず、カウンターに立った前野さんがこちらを見て微笑む表情に、私は顔を上げられず、その紙切れをカバンへそっと仕舞った。

 そうしてにやける頬を抑えていると携帯が振動する。ディスプレイを見ればこれから会う約束をしている友人からだった。良いところだったのに、と思いつつ、区切りは良いのかもしれない。

 私の密かな楽しみ、それは出会う男性との関係をこっそり妄想することだ。今までのは全て妄想で、彼が休憩に私と相席し、小説について語り合い、アドレスが書かれた紙切れを差し出した事実はどこにもない。すべて私の頭の中で起こった一人遊び。相手は迷惑かもしれないが、私は行動する気もなければ、現実と妄想を混同することもないのだから、多めに見て欲しいと思っている。人には言えない脳内だけの恋愛ごっこは、場所を変え、相手を変え、これからも私の頭の中で楽しむのだ。

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