08「へぇ、意外だなぁ」



 翌日の放課後、図書室に着いたのは絢香が先だった。

 職員室で借りてきた鍵で図書室を開け、さらに入って左にある司書室を開けて中に入る。鞄を置いたところで、また扉が開いた。


「平松さん先に来てたんだね。鍵開けありがとう」

「こんにちは、坂下君。私も今来たところです」


 同じ当番になった隣のクラスの坂下(さかした)が、よかった、と眼鏡の下で目を細める。

 去年も違うクラスだったので、彼のことは同じ当番になって初めて知った。理数系が得意で、音楽は苦手。サッカー部に所属しているから、放課後練習がある日は当番が終わってから参加している。その程度だが。


「今日で当番も終わりだ」

「二クラスずつとはいえ、あと一回あるかどうかですね」

「委員の仕事自体は嫌いじゃないから、ちょっと寂しいな」

「わかります」


 昼休みに返却され、隅に積んでおいた本を簡単に分類しながら、絢香は横目で坂下を一瞥する。

 まったく坂下のせいではないのだが、彼を見るとつい昨日の楓とのやり取りを思い出してしまう。ちなみに今日の彼はもう機嫌が直っていて、元気に舞と大騒ぎしていた。


「ところで、なにかあった?」

「え?」

「疲れた顔してる」


 絢香は目を丸くする。顔に出したつもりはなかったけれど、しっかり出てしまったようだ。

 大丈夫です、と喉まで上がってきた言葉を、そのまま飲み込んだ。


「熱はないみたいだけど、今日は帰った方がいいんじゃない?」


 坂下の手がおでこに触れている。自分の温度とは違う熱に、身体が強張った。


「へ、いきです」

「そう? でも一応保健室行った方が……」

「ああああぁぁぁぁ!」


 静かな図書室にはふさわしくない叫び声が響く。二人の肩がびくりと跳ねた。

 その拍子に坂下の手が絢香から離れる。それどころではないと思いながらも、ホッとしてしまった。


「絢ちゃんは俺のだよっ!?」


 叫び声の主は、司書室の扉の丸窓に張り付いた状態で憤慨していた。知らないうちからずっと覗かれていたらしい。

 二人が気付いたことで遠慮なく司書室の中に入ってきた楓は坂下から隠すように絢香を抱きしめて、距離を取る。そして今の状況に困惑する坂下を遠慮なく睨みつけた。


「えっ、と……?」

「絢ちゃんに下心とか絶対許さないからな!?」

「あ、はい」


 昨日聞いたような内容だった。まだ納得していなかったのか。

 下心があるのは貴方だ、と反論は心の中だけに済ませる。それを坂下の前で口にするのはなんとなく恥ずかしかった。


「私は私のものです。あと、離れてください」

「ええぇぇ!?」

「当番の仕事があるんです。用がないのなら帰ってください」


 首元に回されている楓の腕をぺちぺちと叩き、離すよう要求する。しかし彼は離すどころか、ぎゅーっと腕の力を強くした。

 引き際のいい楓にしては珍しい行為に、後ろを見上げる。


「川本君?」

「あのっ、……待ってちゃダメ……?」

「…………飽きたら帰ってくださいね」

「! 待ってるねっ!」


 渋々了承すれば、弾んだ声が返ってきた。

 ようやく腕が離れ、絢香は体ごと振り返る。楓はいつも通り、満面の笑みを浮かべていた。嬉しくてたまらない、そんな顔だ。それは図書室を出て行く足取りにも出ていた。

 後ろでギシッと音がする。坂下が座ったパイプ椅子が軋んだ音だった。


「愛されてるんだね」

「そう、でしょうか」

「うん、そう見えたよ。付き合ってるの?」

「……付き合っては、ない、です」

「へぇ、意外だなぁ」

「意外、ですか?」


 そんな風に言われるのは初めてだ。

 ぱちりとまばたきをして小さく首を傾げた絢香に、だって、と坂下は続ける。


「平松さんも彼のことが好きだよね?」


 核心をつくような言い方に、咄嗟に薄く開いた唇は、なにも紡ぐことなくそのままキュッと閉じられた。だけど彼女の頰はほんのりと赤くなっている。

 ――それが、答えだった。


「……本を棚に戻してきます」

「うん、よろしく」


 くすくすと笑う坂下から逃げるように、司書室を足早に飛び出した。


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