07:「……殴っていいですか?」
絢香は自分たち以外には誰もいない教室の壁と、不機嫌顔の楓に挟まれて身動きが取れずにいた。
もちろんそれは他でもない目の前の彼のせいなのだが、そうなるに至った言い分があまりにもすぎて、すっかりお手上げ状態だ。
「ねぇ絢ちゃん、聞いてる?」
いつにない至近距離で真正面から顔を覗き込んでくる楓の両腕は、絢香の顔の横を通って壁についている。所謂壁ドンというやつだが、現実でやる人がいるとは思わなかった、と逃避気味の脳みそで思考した。
ことの始まりは、だいぶ遡って図書委員になったことだろう。
前期でどこの委員会にも所属しなかった絢香は、後期になって図書委員をやることになった。一番自分に合っていそうという単純な理由だ。
図書委員の主な仕事は、昼休みと放課後に図書室を解放して本の貸し出し業務をすること。当番は若い番号のクラスから二クラスずつで組んで一週間ローテで回ってくる。今週は絢香と、隣のクラスの子が当番だ。
昼休み、放課後となんの問題もなく当番を終えた絢香は、職員室に用事があるのでついでに鍵も返してくると言ってくれたもう一人の委員の言葉に甘えて帰ろうとしていた。
その途中で待ち構えていた楓に強引に教室に引き摺り込まれ、今に至る。
「……だから、同じ図書当番の方ですと何度も言っています。同じ図書委員なのだから、知っているでしょう」
実は同じく前期でなにもしていなかった楓が、絢香が図書委員に立候補するであろうことを見越して同じ図書委員になっていた。今更委員会が同じなくらいで彼女は動じない。なんなら図書委員になればよかったと大騒ぎする舞に辟易した。
とはいえ、二人のクラスはいくつか離れている。同じ週の当番になれるはずもなく、初めての委員集会でそれを知った彼が愕然とした顔をしていたのを覚えている。
「知ってるけどさ! それとこれとは別の話じゃん!?」
「では一体どういう話なんですか」
いい加減、面倒臭くなってきたのが本音だ。自然と語気も強くなる。
そんな絢香の苛立ちをきちんと察し、楓は不機嫌顔が一転してしょぼくれた顔になった。頭の上には折れた犬の耳まで見える。
「絢ちゃん、楽しそうに笑ってたんだもん……」
「好きな小説家の話で盛り上がってしまったと何度言えばいいんです」
「でもでもでもでも男だよ!? あいつ絶対絢ちゃんのことイヤラシイ目で見てたっ!」
彼はどこまでいっても変態だった。
絢香の眉間にシワが寄る。図書委員の当番が同じになって初めて会った相手に対して非常に失礼だ。
「貴方の方がよっぽどふざけた妄想をしていそうです」
「絢ちゃんの全部は俺のものなのにっ」
「……殴っていいですか?」
実際に拳を握って見せると、彼は慌てて五歩くらい下がる。
最初からこうすればよかったかもしれないと、少しだけ暴力的なことを思った。
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