第54話 ホワイト・クリスマス

 そっと開けたカーテンの間隙すきま、その向こうに少しくすんだ風景が見える。本当は白銀の世界なのだろう。

 しかし、新月だった闇の中で雪はしんしんと降り、今も舞い落ちる六花りっかの重なりなのか、グレーぽく目に映る。

 凛太郎りんたろうは、そんな雪夜の名残なごにふーと息を吹きかけ、ボソッと呟く。

「雪だよ」と。


 ベッドの中にいる麻伊まいからは、興味がないのだろう、「そうなの」と、おかしみのないレスポンスしかない。

 その代わりにと、麻伊は寝返りを一つ打ち、真っ赤な牡丹絵の掛け布団を顔まで引き上げた。いや、むしろ潜り込んだと言った方が当たっているのかも知れない。

 つまり麻伊は、凛太郎からの雪景色への招待を無視して、ベッドの温もりの方にひとしお御執心のようだ。

 こんな麻伊の振る舞いだが、凛太郎には不満はない。もちろん目くじらを立てるほどのことでもない。

「さぁーて、起きるか」

 無論のこと、これは麻伊への当てつけではない。冷えた朝に、目覚めるための自分への単なる鼓舞だ。

 麻伊もそんなことはわかってる。そのためかベッドの中で微動だにせず、再び訪れてくるだろう心地よい眠りをただただじっと待っているようだ。


 こんな麻伊に背を向けて、凛太郎はキッチンへと向かう。冷凍庫から薄切りトーストを2枚取り出し、オーブン・レンジへと放り込む。それから野菜室のレタス、そこからは3枚の葉をはぎ取り、水洗いする。そして湯沸かしポットに溢れるほどの水を注ぎ入れ、スイッチ・オン。

 しばらく待って、カリカリに焼き上がったトーストにハムとレタスを無造作に挟み、マグカップにポタージュ・スープの粉を入れ、沸騰した湯を注ぐ。あとはツナ缶開けようか、それともチーズでも囓ろうか?

 ちょっと迷うが、今朝は少し味を変えて、48秒の絶妙なチンで、小鉢目玉焼きでも作ろうか?


 単身赴任が長かった凛太郎、この目覚めの朝食プロセス、慣れたものだ。つまるところ、さっさと腹に入れ、次は日課のゴミ出し。

 外はきっと20センチ以上の積雪だろう。凛太郎は長靴を履いて、麻伊が昨夜玄関先に出しておいたゴミ袋を抱え、車のわだちを歩み外さぬよう公園横の集積場所へと向かう。道中には新聞配達と、あとは二つ三つの足跡しかない。

 こんな情景を目にした凛太郎、そう言えば、かって日本海側の小さな町で暮らしたことがある。

 冬はいつも豪雪だった。

 子供たちの通学に間に合うように、朝早くからの雪かき。さらに昼間は生活道路の確保。これらはすべて麻伊の役目だった。

 そして凛太郎は工場へ早朝出勤し雪かき。夜遅くまでの会議後、帰宅してくると、雪の重みで襖が開かない。仕方なく真夜中から屋根の雪下ろし。まさしくあの当時──雪との格闘の日々だった。

 凛太郎は降りしきる雪に、冷えた指先をダウンジャケットの袖の中へ縮込ませ、こんなことをふと思い出した。


 それにしても面白いものだ。麻伊と知り合った頃、麻伊は雪が降ったといつもはしゃいでいた。

 だが、あの雪国の暮らし以降、大層雪嫌いになったようだ。

 凛太郎は新しい足跡を残しながら、ふふと笑みを零してしまう。そして滑り転ばないように重心を落とし、家へと戻った。

 雨戸をガラガラと開ける。どうも近所は未だ閉まったまま。みなさんこの寒さに引きこもっているのだろう。

 それにしても随分と積もったものだ。南天の赤い実が雪に埋もれ、二、三粒しか確認できない。

 梅はといえば、枝は垂れ下がり、今にも折れそうだ。このまま春となり、果たして薄紅の花を咲かせてくれるだろうか? ちょっと心配だ。


 長い旅路の果てに、二人がやっと辿り着いた終の棲家。そして今朝見る小さな庭の雪化粧、凛太郎の目には今、朝方のグレー色からセンチメンタルに蒼く見える。されども、これは日常生活の一コマ、さほどときめくほどのことでもない。

 凛太郎はこの感傷を吹っ切るかのように、「さぁーて、昨日の日経平均の終値は? 今日も荒い値動きになるのだろうなあ」とパソコンを立ち上げ、株式売買サイトへと入って行った。

「俺にはもう、雇ってくれるところがない。株取引で生きて行くほかないんだよなあ」

 実に自虐的に、凛太郎はついつい無念を漏らしてしまう。

 そんな時に、麻伊が大きく伸びをしながら二階から下りてきた。そして、ぽつりと口にする。

「メリー・クリスマス」


 うん、確かにね、今朝の挨拶はメリー・クリスマスが似合ってるかも。凛太郎はパソ画面から顔を上げ、とりあえず「You too.」と返した。

 あとは硬い表情を解き、「久し振りのホワイト・クリスマスだよ。昔、麻伊は好きだったろ?」と問い詰める。

 これに一拍おいて、麻伊が照れ笑い。そして一言だけ返す。

「ふーん、そうだった?」と。

 雪が――こんな穏やかな、今日という日の始まりを運んできてくれた、――と言えるのかも知れないなあ、と凛太郎はふと思うのだった。



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