第155話 本気で言っているんですか?

 ミリアは一歩後ずさったが、アルフォンスがその距離を詰めてミリアの手を取った。


「どうか聞いて頂けませんか」


 とっさにアルフォンスの両手から手を引き抜く。


 その手を胸の前で握り込む。


「さっき、父さんたちの話し合いが終わるまではするべきではないと言っていたじゃないですか」

「はい……。本来はそうなのでしょう。ですが、やはり今言っておきたいのです。リアはとっくに分かっているのでしょうが、きちんと私の口から伝えさせて下さい」


 そんなにもミリアの存在が迷惑なのか。


 聞きたくない。まだ婚約者なのに。もう二度と会いたくないなんて、そんなこと。


 ミリアの目にじわりと涙が浮かんできた。


 黙っていても、ちゃんと居なくなるつもりなのに。


 せめて全部終わった後にして欲しい。


 今のこの幸せな時間を壊したりしないで。


「そんなに、嫌ですか?」

「嫌に決まっています!」


 アルフォンスはミリアの気持ちに気づいていない。


 だからミリアがどれほどショックを受けるのか知らないのだ。


 でなければ、そんなひどいこと、できるはずがない。


「もちろん断って下さって構わないのです。リアに想い人がいるのは知っています」


 ミリアは驚愕きょうがくした。


「知っていて言うんですか。それはあんまりです」


 目から涙がこぼれた。


 好きな人に、金輪際こんりんざい会いたくないなんて言われたら、断れる訳がないじゃないか。


「ああっ、リアを泣かせるつもりは……! ですが、この機を逃せば、私は一生後悔するでしょう」


 アルフォンスの方も泣きそうな顔になっていた。


「聞きたくありません!」


 ミリアは両耳をふさいだ。


「リア、お願いですから、私の言葉を聞いて下さい」


 アルフォンスが、ミリアの両手を優しく引きがそうとした。


 ひどい。


 ここまでするなんて、ひどい。


 ミリアはしゃくり上げた。


 大声でわめき散らしたい気分だった。


 だが、逆に、そこまでされてしまっては、聞かない訳にはいかないとも思った。


 アルフォンスの方も必死なのだ。


 これからの人生がかかっていると考えているのだから。


 ミリアは観念して耳から両手を離した。


「ありがとうございます」


 アルフォンスは悲しそうに笑った。


 そして、すっと腰を落とし、ミリアの前にひざまずいた。片手を胸に当てる。


 えっ!?


 ミリアが驚いて目をまたたかせると、こぼれた涙がほほすじを伝った。


 アルフォンスが、すっと短く息を吸う。


「リア、どうか私と結婚して下さい」

「ふえ?」


 間抜けな声が出た。


「あなたを愛しています。私の事を想って下さらなくても構いません。私にあなたの隣に立つ権利を下さい。必ず幸せにすると誓います」


 アルフォンスがミリアに手を伸ばした。


「どうか私の手を取って下さいませんか」

「何を、言っているんですか……?」

「馬鹿な男だと思っているでしょう。断られるとはわかっていても、言わずにはいられませんでした。本来ならば婚約を解消してから改めて求婚すべきです。ですが、あなたとの繋がりが切れてしまう前に、どうしても告げたかったのです」


 何が何だかわからない。


 涙は止まっていた。


「何を言っているのか、わかりません。アルフォンス様が、私のことを、好き……?」

「ええ。これまで何度もお伝えしてきた通りです。あなたを愛しています」

「何度もって……。そんなの、全然聞いていません」

「そんなはずは……! 幾度いくどもお伝えしてきました」


 アルフォンスは眉を寄せた。


 だがミリアには記憶がない。


 いや、正確には、今までに二回聞いたことがある。どちらも演技だったけれど。


 さっき月が綺麗だと言ったのを含めるとすれば、三回か。こちらは冗談だった。


「エドからリアに求婚すると聞いたあと、少しでもあなたと共にいたくて、王宮に役職を用意しました。卒業式の日に、あなたが断れない状況で求婚したのは卑怯ひきょうだとわかっています。ですが、どうしてもあなたの横にいたかったのです」


 そんな前から?


 婚約したのは、私を王宮に入れるためなんじゃなくて?


「至らない婚約者であったことも自覚しています。今さらだと思われるでしょうが、必ず改めます。あなたに相応ふさわしい婚約者になってみせます。どうか、もう一度だけ私にチャンスを下さい」


 コルドに来てから何度も言われた言葉だった。 


 あれは演技じゃ、なかったの……?


 ここまで言われても、ミリアは信じられなかった。たちの悪いドッキリなのではないかとすら思ってしまう。


「信じられません……」


 ミリアは首を振った。


「どうしたら信じて頂けますか? 私には、相応しくなるとお約束することしかできません」

「そうではなくて……。アルフォンス様が私を好きだということが、信じられません」


 アルフォンスが目を伏せた。


「そう思われても仕方がないですね。私は何もしてきませんでしたから。口先だけの男だと思っていたことでしょう」


 違う。会話がかみ合っていない。


 アルフォンスは何かを勘違いしている。


 ミリアは直球で聞くことにした。

 

「本気で私にプロポーズしているんですか?」

「もちろん本気です」

「本当に?」

「本当に」

「じゃあ――」


 ミリアは両腕を広げた。肩にかけていた上着がはらりと落ちる。


「――友人としてではなく、好きな人へのハグをして下さい」

「良いのですか?」


 アルフォンスが目を見開いた。


「本当に私のことが好きなのなら」


 差し出し続けていた手を下ろし、アルフォンスは立ち上がった。


 ゆっくりとミリアに近づく。


 足元の上着を取り、ミリアの肩に掛けた。


 そして、ミリアをそっと両腕で包み込んだ。


「あなたを愛しています」


 アルフォンスが懇願するように言った。


 背中に回された手が震えている。


 顔に押し当てられた胸が、早鐘はやがねのように鳴っていた。


 ああ、本当に本当なんだ。


 すとん、と心に落ちてきた。


 ミリアはアルフォンスにぎゅっとしがみつく。


「私も、アルフォンス様のことが好きです」


 かすれた声を出すと、アルフォンスの体が硬直した。


 体を少し離し、ミリアの目をのぞき込む。


「本当に?」

「本当ですよ」

「あなたが私のことを?」

「私がアルフォンス様のことを」

「ですが、リアには想い人がいると……」

「アルフォンス様のことです」

「……愛称を呼んで頂いても?」


 どうして今ここでそれが出てくるのだろう、と思って、ミリアは可笑おかしくなった。


「アルが好きです」


 アルフォンスが目を見開いた。


 そして、一瞬の間の後、がばりとミリアを強く抱きしめた。


 ミリアもアルフォンスの背中に回した手に力を込める。


「ああ、天にも昇りそうな心地です……! 私の想いを受け入れてもらえるだけでなく、私のことを想って下さるなんて!」


 アルフォンスの声は震えていた。


 もう一度ぎゅっとミリアを抱きしめた後、アルフォンスは体を離した。


 片手を腰に回したまま、ミリアの顔に手を添える。


「愛しています」


 ドキドキと心臓が高鳴った。


 目を伏せたアルフォンスの顔がゆっくりと近づいてくる。


 ミリアは目を閉じた。


 口づけがそっと落とされた。触れるだけの優しいキスだった。


 顔を離したアルフォンスが、はぁ、と熱いため息を吐いた。


「愛しています」


 ミリアを抱きしめて、耳元でささやく。


「どうか私と結婚して下さい」


 ミリアの体を歓喜の震えが襲った。


 大好きな人が、自分のことを好きになってくれて、結婚したいと言ってくれている。


 叶わない恋だと思っていたのに。


 アルフォンスと一緒にいたい。


 でも――。


 ミリアは両目を伏せた。


 手をアルフォンスの胸に当て、軽く押して一歩下がる。


「それはできません」

「っ!」


 アルフォンスが信じられない、という顔をする。


 だが、ミリアの深刻そうな表情を見て、優しく聞く。


「なぜですか?」

 

 ミリアはぐっと両手を握りしめた。


「忘れたんですか? 私がやったことを。私は婚約破棄を宣言したんです。もうカリアード家に入ることはできません」

「それは表向きのことです。今からでも撤回すれば――」


 ゆっくりと首を振り、ミリアはアルフォンスを見上げた。


「表向きとは言え、ミリア・スタインはカリアード家に泥を塗ったんです。いいえ、表向きだからこそ、伯爵様が許しません。ミリア・スタインを許すことはできないんです」

「父のことは私が説得します!」

「それに、私は男爵の娘ではなくなるんです。今回のことで、父さんは一代男爵の身分を剥奪はくだつされます。ギルもそうせざるを得ないって言っていました。平民に戻った私を、カリアード家は受け入れてくれますか?」

「もちろんです! 身分など……!」


 ミリアはさらに一歩下がった。


 これを自分から言うことになるなんて。


「アル、素敵な時間をありがとうございました。好きだと言ってもらえて、嬉しかったです」


 涙をこらえて、にこりと笑う。 


 アルフォンスが愕然がくぜんとした顔をした。


 しかしそれは一瞬で決意の表情と変わる。


「いいえ……!」


 アルフォンスはひざまずき、ミリアの片手を両手で取った。


「私はもう、あなたを手放すことはできません! 私と共にいて下さい。必ず父を説得してみせます」

「無理です。カリアード家は血統主義派でしょう? ただでさえ一代男爵の娘ということで他の家からも非難されていたはずです。これだけのことをやらかして、さらに平民ともなれば、せっかく守ったカリアード家の影響力ががれてしまいます」


 アルフォンスが悲痛の表情で顔をそらした。


 ミリアの言い分はもっともなのだ。


「では……では、私が力をつけます。誰にも何も言わせないだけの力を」


 ミリアは両目を閉じた。涙が再びほほを流れ落ちる。


 どんなにアルフォンスが力をつけたとしても、こればかりはどうしようもない。


 元平民というだけでもギリギリだったのだ。


「リア」


 アルフォンスがミリアを見た。


 ミリアの手を握る両手に力を込める。


「リアも、力をつけてくれませんか」


 私も、力を……?


 ミリアは目をまたたかせた。


 そうか。私も力をつければいいんだ。カリアード家に入れるくらいの。


 女性は爵位を得ることはできない。


 だが、それだけの功績があると周囲に認めさせることはできるだろう。


 アルフォンスに相応ふさわしくなりたいと努力した。貴族の令嬢として。


 今度は平民として、成り上がるための努力をすればいい。


 諦めなくても、いいのかな……?


 ミリアの心に、希望の光がともった。


 その表情の変化をアルフォンスは見逃さなかった。


「今はまだ正式に婚約を交わすことはできないでしょう。ですが、いつか周囲を認めさせてみせます。情けないことに、待っていて下さいとは言えません。私だけの力では足りないのです。リアも力を貸して下さい」


 アルフォンスが握っていたミリアの手を離し、改めて手を差し出した。


「愛しています。どうか私と結婚の約束をして下さいませんか」


 ミリアは手を持ち上げた。


 今夜何度目かのプロポーズ。

 

 その中で、一番しっくりくる言葉だった。


 欲しい物は自分でつかみ取る。そのための努力なら惜しまない。


 一方的に幸せにしてもらうなんて柄じゃない。


 震える手を伸ばす。


「お受けします」


 そっと手をアルフォンスの手に乗せると、アルフォンスは立ち上がり、ぐっとミリアを引き寄せた。


「ありがとうございます……! ああ、リア、愛しています!」


 ぎゅっと抱きしめられたあと、感極まったように、アルフォンスがミリアに口づけた。


「ん……っ」


 アルフォンスの片手はミリアのうなじに添えられている。


 先ほどとは違い、深い口づけだった。


 翻弄ほんろうされたミリアが力を失うまで長く交わしたあと、アルフォンスは二度と離さないとばかりに、強く強く抱きしめるのだった。


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