第150話 計画は変更です

 アルフォンスに帰れと言って奥に引っ込んだミリアは、大股おおまたで臨時に用意してもらった執務室に戻り、ソファにぐったりと体を預けた。


 まさかアルフォンスが来るなんて。


 しかも、そっちを選択するなんて。


 顔を両手で覆い、深くため息をつく。


 ミリアの計画では、戻ってくるのはカリアード伯爵のはずだった。


 この事態を収めるには領主の力が必要だ。


 ギルバートは伯爵宛の手紙に裏の経緯まで書いて帰還を命じ、エドワードにはカリアード領に問題が起きたため伯爵を戻す、と連絡が行っている。


 それが、その連絡が行く前にアルフォンスが戻ってきてしまった。それも予定よりもずっと早くに。真実を何一つ知らないまま。


 渦中かちゅうのアルフォンスが戻ってきたことは、確実に麦の市場価格に影響を与える。


 ミリアは事態が収拾に向かう可能性が低いことを示すために、アルフォンスとの婚約破棄を改めて宣言した。


 ここでアルフォンスが取れる道は二つ。


 一つは、ミリアを非難し婚約破棄を受け入れた上で商会と交渉して、落とし所を探る方法。


 もう一つは、否を認め謝罪をして婚約破棄の撤回てっかいを求める方法。


 ミリアは、アルフォンスは前者を取ると思っていた。


 アルフォンスにとってミリアとの婚約を継続するうまみはないし、カリアード家が婚約者一人に振り回されるという状況は好ましくない。


 周囲に全面戦争の様相を見せた上で、裏で事情を話し、双方にとって一番いい所に落ち着かせればいい。


 なのに、アルフォンスはあっさりと謝罪を口にし、ミリアに許しをうた。


 何が悪かったのかと聞かれて、ミリアは婚約破棄を求めるにはかなり弱い理由を口にすることになった。


 ミリアはなんとかアルフォンスの非になりそうなこと並べ立てた。


 カリアード領の人に認められていない、と言ったところ以外は全部嘘だ。


 相応ふさわしくなりたいと努力したのはミリアの勝手だし、アルフォンスに平民に寄り添ってもらいたいと思ったことは一度もない。


 女が入る家に合わせるのはごく普通の事で、アルフォンスは平民の暮らしぶりに合わせるなど一ミリも考えていなかっただろう。


 家族のことを気に掛けてもらいたいと思ったこともない。ミリア自身、自分の事が精一杯で、家族にまで目を向けて欲しいと思う余裕がなかった。


 大切にされているように思えない、なんて、ひどい理由だ。


 政略結婚がほとんどの貴族の世界ではそんなことはよくあることで、それを婚約破棄の理由にするなんて、とんでもないことだった。


 それでもアルフォンスは破棄の撤回を求めてきた。


 ミリアは頭を抱えそうになった。


 自分がここまで滅茶苦茶なことをしているのだから、キレればいいのに。


 裏の事情を知らないアルフォンスは、ミリアがただ癇癪かんしゃくを起こしているだけだと思っているのだろう。


 喧嘩けんかをしたときは男から折れるべし、なんてアドバイスを受けたとこがあるのかもしれない。


 確かに、ミリアのいかりをしずめて、スタイン商会の買い占めを止めさせるのが一番手っ取り早いのだ。


 ちょっとタイム、と言ってアルフォンスと口裏を合わせられたらどんなに良かったか。


 仕方なく、破棄には弱い理由だと言うことを認め、それでもギルバートの協力で解消には持って行くつもりであることを強調し、婚約継続の意思はないことを示した。


 交渉に応じるのは、婚約者としてではなく、商会の代表と領主代行としてであることも。


 なんとかなった、と思う。


 バチバチと花火を散らして双方一歩も引かず、それでも自陣のためにはある程度妥協せざるを得ない、という状況を作る予定が、無茶な理由で婚約破棄を宣言してアルフォンスの謝罪をはねつけるミリア、という構図になってしまったが。


 がんとして聞かない態度を示し続けていれば、アルフォンス優勢と取られることもなく、どうにか麦の価格を維持することはできるだろう。


 その裏でアルフォンスに全てを話し、すみやかに麦角ばっかく病の収拾をはかる。


 愛している、と言ったアルフォンスの声を思い出し、ミリアは顔を赤くさせた。


 ミリアがアルフォンスからこの言葉を聞いたのは二回目だ。


 一度目は、自分がアルフォンスと想いを通じ合わせているのだと勘違いした令息を追い払うためだった。


 どちらも嘘だ。


 それでも心をときめかせてしまう。


 あんなに必死な顔で言われたら、心が動かされるのも仕方がない。


 こんなシチュエーションじゃなかったら。


 アルフォンスが心からそう言ってくれたのなら。


 あの深い緑色の目で見つめられて、顔に手を添えられて、微笑んだアルフォンスに言われたのなら。


 そこまで考えて、はぁ、とミリアは再びため息をついた。


 意味のない妄想だ。


 あり得なさすぎて涙も出てこない。


 ミリアは大きく息を吸い、パンッと両手でほほを叩いた。


 しっかりしろ。


 明日からは計画の後半戦だ。



 * * * * *



 翌朝、アルフォンスが商会をたずねてきた。


 前日の薄汚れた様子とはうって変わり、次期領主に相応ふさわしい服装をしていた。キラキラしていてまぶしい。


「アルフォンス様、何のご用件でしょうか」


 訪問の報を受けて受付に顔を出したミリアは冷たく言った。


 昨日のやり取りはすでに街中の誰もが知ることとなり、ギャラリーがたくさんいる。


 みな抗議や商談をよそおってきているが、二人の動向を注視しているにきまっているのだ。


「領主代行として、スタイン商会と事態の収拾の交渉をするために来ました」


 アルフォンスが微笑みを浮かべた。


 見物人がはっと息を飲むのが聞こえた。


 だいぶ見慣れてきたミリアでも、動揺してしまう程の破壊力だ。


 ミリアはほほを緩めないように気をつけなければならなかった。


「アルフォンス様にはその権限があるのですか」

「父が不在の間はおおむねの権限を委譲されています」

「そうですか。では奥へどうぞ」


 ミリアはアルフォンスを執務室に案内した。


「お茶の用意はしなくていい。すぐに帰って頂くから。あなたも遠慮して」

「ですが」


 制止された支部長が心配そうな顔を向ける。


 ミリアとアルフォンスを二人きりにするのを気にしているのだ。


「大丈夫、アルフォンス様は女性に暴力を振るったりするような人じゃないから」


 ミリアの言葉にアルフォンスが顔をしかめた。可能性を示唆しさされたことさえ心外だというように。


 支部長と職員を廊下に残し、ミリアは扉を閉めた。


 部屋の真ん中まで進んだ所で、足を止める。


「あの、リア――」


 背を向けた動かなくなったミリアに、たまらずアルフォンスが話しかけると、支部長たちが扉の前から離れるのを待っていたミリアが、くるりと振り向いた。


「体は大丈夫なんですか!?」

「は?」

「ずっと馬で駆けて来たんですよね!? 体中痛いはずです」


 詰め寄って来たミリアに、アルフォンスは狼狽うろたえた。


 先ほどまでの厳しい態度とは一転して、普段のミリアに戻っている。


 自然に振る舞っているミリアを見るのは久しぶりだった。


「体は、そうですね、所々痛みますが――」

「なんでそんな無茶をしたんですか!」

「婚約解消をすると聞いて黙っていられるわけが――」

「今は私たち二人しかいないんですから、そんな演技いりません!」


 アルフォンスはますます困惑した。


 なぜ演技だと思われているのだろうか。


「演技などでは――」

「いいから、こっちに来て下さい。大事なお話があります」


 ミリアはアルフォンスをかし、ソファに座って書類を渡した。


「結論から言います。カリアード領の麦が毒におかされていて、領内外に被害が出ています。流通を止めていますが、もう限界です。ギルが代替の麦を用意してくれているので、アルフォンス様にはそれに入れ替えていく手筈てはずを整えるのと、被害者の救済をお願いします」

「毒が、なんですって?」


 説明は結論から。


 基本にのっとったまでなのだが、さすがに意味不明すぎたようだ。


「順を追って説明しますね――」


 ミリアは全てをアルフォンスに話した。


 麦角病のことや商会の動きのほか、コルドにきてから集めた最新の被害の状況も。


「……つまり、リアは、カリアードの麦をこれ以上広めないために婚約破棄を持ち出したと? 私の非に怒っているのではなく?」

「はい。怒っているわけではありません。……気にするのそこですか?」


 麦角病のことをすんなり信じて、ミリアが取った行動も現在の状況も全て飲み込んだ上で、よりによってそこ?


「とても大事なことです。では、リアはこの件がなかったら、婚約を解消するつもりはなかったのでしょうか」

「そうですね。私から言い出すことはなかったと思います」


 アルフォンスがひたいに手を当てて、はぁ、と安堵あんどの息をついた。


「なら、事態を収拾すれば、リアは婚約破棄を撤回して下さいますか」

「それは無理ですね。昨日も言った通り、私にはカリアード家に入る資格はありません。もともとなかったようなものですが、これで完全になくなりました。双方納得の上での解消になるでしょう」


 ミリアはあっけらかんと言った。


「毒のことを公表すれば――」


 あごに手を当てて呟くアルフォンスに、今度はミリアがため息をついた。


「アルフォンス様。その手が取れないのはわかっていますよね? 大スキャンダルです。カリアード家は大きな痛手をいます。公表するのが人として正しい道ですが、それを貴族が選んではいけません」

「……その通りです。ですが、これではリアとスタイン商会が一方的に悪者になってしまいます」

「でもこれが一番双方にとってダメージの少ない方法なんです。それに、恩はしっかり返してもらうつもりですよ」

「もちろんです」


 アルフォンスは強くうなずいた。


 これを聞けば、父親も納得するだろう。


 カリアード家はスタイン商会に大きな借りを作ることになる。


「何か道を探ります。私たちの婚約を続ける方法を」

「どうやったって無理ですよ。何をそんなにこだわっているのかわかりませんが、婚約のことより、これからの事を話し合いましょう。アルフォンス様は領主代行として来たんですよね?」

「……わかりました」


 アルフォンスは納得がいっていないようだったが、渋々引き下がった。


 ミリアの言うとおり、まずはこの件を片付けるのが先だった。

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