第139話 お茶会を開きました

 ミリアは仕事中でも気を抜かなかった。


 付け焼刃の仮面を被ってもすぐにひび割れてしまう。もっと頑丈な仮面を作らなくてはならない。ギルバートの言うように、どちらも自分だと言い切れるほどに馴染ませるのだ。


 一番長く接しているルーズベルトに、おかしな振る舞いや言葉遣いがあれば指摘して欲しいと頼み、家でも気を抜くことなく貴族令嬢として振舞った。


 ルーズベルト様、と声を掛けたら、具合が悪いのかと本気で心配されたのは釈然としなかったが、さすが子爵家の長男だけはある。丁寧な言葉遣いはお手の物だった。仕草に関しては「何か変です」ばかりで説明が下手だったけれど。


 ローズとのお茶会では苦手な芸術の話をたくさんしたし、他の令嬢とのお茶会にも参加させてもらった。


 会話についていけるようになり、自分なりの解釈や好みも話すようになると、周りの見る目も変わっていった。


 交流のある令嬢たちとのお茶会も重ねた。


 するとある日のお茶の時間、ミリアの様子を見ていたローズは微笑みながらミリアに告げた。


「次の段階に進みましょうか」

「よろしくお願いいたします」


 ミリアは頭を下げて微笑みを返す。鏡の前で繰り返し練習した笑顔は、ローズほどとは言わないまでも、それなりに優雅に見えているはずだ。


「ミリア様にはお茶会を主催して頂きます」

「お茶会の主催、でございますか」


 ミリアは驚きつつも、変な声を上げることなく静かに聞き返した。


「ええ。スタイン邸で――と申し上げたいところですが、会場の準備からするとなると大変でしょうから、王宮で開催することにいたしましょう」

「私が王宮のサロンを使用することは可能なのでしょうか」


 ミリアは一代男爵の娘でしかない。侯爵令嬢で王太子エドワードの婚約者であるローズならまだしも、ミリアの身分ではサロンを借りるなんて無理だ。そんなに簡単にできるなら、貴族たちはこぞってお茶会を王宮で開いているだろう。


「ミリア様は監査室の室長補佐ですもの。その役職であれば可能ですわ」


 そうなんだ。


 言われてみれば、ギルバートの直下にある組織だ。部署の権限だけでなく、室長補佐という役職にもそれなりの特権があってもおかしくなかった。


 これまで監査室の権限とアルフォンスのを借りて強気に出ていたミリアだったが、もしかしたら自分の職位も結構高いのかもしれない。上下関係は面倒だが、把握はしておいた方がよさそうだ。


「王宮に使用人を入れるとなると審査がありますから、今回は間に合いませんわ。サロン専属の使用人をお使い下さいませ」


 王宮の使用人であれば、最低でも伯爵家以上の出だ。男爵家の娘であるミリアが使うのはハードルが高い。


 だが、使うしかない。準備はともかく、当日、ミリアがお茶を入れるわけにはいかないのだから。


 それに、屋敷で開けと言われるよりずっとましだ。


「そういたします」


 動揺を表に出さないように気を付けて、ミリアはうなずいた。


「お客様は――」


 ローズが告げたのは、一回目のお茶会と同じだった。芸術についてまるでわかっていなかったミリアをけちょんけちょんにした、あのメンバーだ。


 ミリアはどきりとして胸を押さえた。


 大丈夫だ。怖くはない。今なら、よほどマイナーな所を突いてこられなければ、常識的な会話はできる。


「日程は……そうですわね。三日後にいたしましょうか」


 三日後!?


「それは、少々近すぎるのではないでしょうか。来週はいかがですか?」

 

 学園時代はエドワードの当日の誘いしか受けなかったミリアだったが、それがいかに非常識だったか、今は身に染みている。


 招待される方も三日でぎりぎりなのに、主催者側が三日前なのはどう考えても無理だ。ましてや初めてのことである。


「あいにく、ここしばらくの予定は、三日後しかいていませんの」


 ローズは頬に手を当て、困ったわ、という顔をした。


 招待客とここまで近い日程を指定してくるのだから、ローズはすでに裏では彼女たちの予定を押さえているはずだ。


 そこが一番難航するところだから、それが終わっているのなら、三日でもできそうだ。というか、なんとかしないといけない。


「三日後ですわね。わかりました。ローズ様、ここで失礼してよろしいでしょうか。私、さっそく準備を始めたいと思いますの」

「ええ、よろしくてよ。三日後を楽しみにしておりますわ」


 ローズの笑顔に見送られてサロンを退室したミリアは、監査室に戻りながら、考えをめぐらせ始めた。


 お茶会は、主催こそ初めてだったが、これまで何度も参加しているし、講義やマナー本で学んでいる。どうすればいいのかは何となくわかる。


 場所を決め、出欠を取り、招待客の好みに合わせてメニューを決める。要は顧客との飲み会の幹事と同じだ。


 まずは場所を取らなくちゃ。部屋は……クレマチス、サフラン、ダリアのが優先。いていなければ、同じ広さの冬の季節の間にしよう。


 秋の花の中で、人数にあった部屋の名前を候補に挙げる。なければ次の季節を先取りするという意味で、冬の花の部屋を候補とする。


 招待状は場所が決まってからでは遅いから、先に日時と王宮で開催することだけ伝えることにする。


 ローズが裏で押さえてくれているとは言え、なるべく早く正式に招待しなければいけない。


 招待状を書くためのレターセットを用意しなくちゃ。秋っぽくて上品な感じの。この前もらった招待状を参考にしよう。


 えーと、メニューの決め方は……。招待客の好みを調べて、季節と部屋の雰囲気に合わせないといけないから、部屋が決まってからかな。でも準備を進めておかなきゃ間に合わないかも……。


 茶葉やお菓子の組み合わせをいくつか思い浮かべ、先に手配をしてしまうことにする。あとでこの中からどれかを選べばいい。無難な物になってしまうが、失敗するリスクの方が怖い。


 王宮のサロンなら会場のセッティングはいらないし、飾りつけもいらない。プレゼントもいらないよね。乾杯の挨拶あいさつがあるわけでもないし……。


 サロン専属の使用人って何人いるんだろう。五人は確保しておきたい。全員お茶の用意ができる人で……。


 昔から接待は苦手だ。関係は仕事の質で築いていくものだと思っている。


 だが、そうも言っていられない。


 お茶会の主催は淑女に絶対に必要なスキルだ。基本中の基本といってもいい。


 参加するだけでもある程度までは戦えるが、参加者を選べるという特権は主催者の強力な武器だ。


 情報を得たかったり交流を持ちたい人を呼び、人と人を引き合わせ、誰を呼んだかで力関係を周りに示す。


 そしてその先には、夜会の主催というステップもあるのだ。この程度できなくてどうする。


 絶対に成功させなくちゃ。


 そしてあの令嬢たちを見返してやるのだ。

 



 ルーズベルトやジョセフに参加する令嬢の好みを聞きまくり、メニューを決めた。


 ギルバートにもアドバイスをもらった。

 

 もちろん仕事が最優先で、日々のレッスンも休まず、カツカツのスケジュールだった。


 それでも、ミリアはどうにかこうにか準備を整えることができた。


 できるだけのことはした。自分としては準備の段階では満点の出来だった。




「みなさま、本日はようこそおいで下さいました」

「お招きありがとうございます、ミリア様」

「とても楽しみにしておりました」


 ミリアが笑みを浮かべて迎えると、令嬢たちは優雅に微笑みを返してきた。


 場所は王宮のサロン、サフランの間。


 節度の美、という花言葉の通り、暗めの薄紫色を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だ。


 参加者たちは、部屋に合わせた、シンプルかつ大人しい色合いのドレスを着ていた。


 もちろんミリアも同様だ。


 サフランで良かった……。 


 ミリアは準備に追われるあまり、自分が着るドレスのことをすっかり失念していたのだ。


 それに気づいたのがなんと昨夜。


 だが、サフランの間にしたことで、ドレスはなんとかなった。いつもの簡素かつ地味なドレスに、少々装飾を足してもらうだけでよかった。


 ローズだけは、鮮やかな緑色のドレスを着ていた。秋にあえての新緑である。定石を外す、高度なお洒落しゃれテクニックだ。


 それも、ローズが落ち着いた空気をかもし出しているからこそ成り立つもので、その辺の令嬢がドレスだけを真似したところで浮いてしまうのがオチだ。ミリアには一生到達できない領域だった。


 エドワード様と婚約することにならなくて、本当に良かった。


 伯爵家に見合った淑女しゅくじょになれるかですら怪しいのに、王妃なんて目指そうものなら、洗脳でもしてもらわないと到底無理だ。


 頭ではそんなことを考えながらも、ミリアはにこやかに会話をしていた。


 参加者の様子に気を配り、気持ち良く話せるように水を向ける。話題にしたいだろう内容はジョセフから仕入れている。


 お茶会はマウントの取り合いだ。女同士の表面的な穏やかな会話には慣れていたが、その下では壮絶なステルス・マウント合戦が行われている。


 ミリアの役割は、それぞれが満遍まんべんなく優位を誇示できるように、会話をコントロールすることだった。


 プレゼンで説明にわざと穴を作って相手に質問させたり、逆に発表者が補足したいだろうことを質問で上手く誘導するのに似ている。神経のとがらせ具合はビジネスの場の比ではないが。


 一通り自慢話が終わったあと、ある令嬢が切り出した。


「サフランのといえば、ミリア様はサフランを題材にした作品をご存じかしら? ほら、ええと……あら、作品名を失念してしまいましたわ」


 令嬢は困ったように眉を下げたが、その目は意地悪そうにミリアを見ていた。


「マイヤーの『サフランの香り』でしょうか? ローレットの『収穫』?」


 ミリアは間髪入れずに有名な絵画を上げた。


「い、いいえ、隣国の画家が描いた――」

「もしかして、マゴットの『パエリア』かしら?」

「え、ええ、そうよ。そう、『パエリア』」

「『パエリア』はオーピメントの黄色が美しい作品と聞きます。荒く砕いたオーピメントは細かい描写には向かないとのことですが、マゴットは細部まで見事に描ききっているとか。いつか拝見したいですわ」


 すらすらと出て来るミリアの言葉に、令嬢は黙った。


 その後を、他の令嬢が引き継ぐ。


「『サフラン畑』はいかが?」

「バイオリンの旋律が印象的な曲でございますね。私は、セメリの原曲よりも、シュベストバルグの四重奏が好みです。お友達のおうちで、メル・レンの指揮で聞かせて頂きました」


 ミリアは絵画ではなく曲名だと見抜いたことで、その令嬢も黙った。


 サフランの間に決まったときから、関連した芸術作品は一通り勉強した。マイナーな題材だから、覚えるのは簡単だった。曲を聞いたことがあるのは偶然だ。


「メル・レンも良いですが、わたくしはダナンが好きですの。先日、屋敷で演奏会を開きましたわ。ミリア様もお誘いすればよかったですわね。来月あたりにまた開くことにいたします。その時はどうぞいらして下さいませ」


 発言したのはローズだった。


 ダナンは元バイオリニストの超有名指揮者だ。コンサート会場などおおやけの場所では指揮しない。限られた上位層のみが屋敷に呼ぶことができる。


 確か予約は一年以上先まで埋まっているのではなかったか。突然思い立って呼べるような人物ではない。


 自慢合戦には参加していなかったローズだったが、ここ一番というところで放ってきた。これには誰も太刀打たちうちできない。もとより勝とうとする者はいないのだが。


「ありがとうございます、ローズ様。ダナンの指揮するソルチェの『バルダーグの祭り』は圧巻だとか」

「ええ。それも演奏させましょう」

「楽しみですわ」


 確かダナンは気難しく、自分で決めた曲しか指揮しないのではなかったか。


 そう思いながらも、ミリアは涼しい顔で答えた。


 それから先、令嬢たちは何とかミリアにボロを出させようと、様々な角度から攻撃を仕掛けてきたが、ミリアはそのことごとくを受け流した。


 解散時、ローズがミリアにささやいた。


「合格ですわ」

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