第103話 嘘はつけません
さっと周囲の生徒がジョセフから離れる。ホールの中央とジョセフの間に道ができた。
ジョセフは真っ赤なフロックコートを着ていた。銀糸の刺繍が入っている。長身のジョセフに赤色はよく似合っていた。黒い前髪を上げてうしろに撫でつけていて、いつもよりもさらに凛々しく見えた。
「なんだ、ジェフ」
エドワードが面白そうに笑っている。これから起きることがわかっているのだ。ジョセフはそんなエドワードをにらみつけていた。
ジョセフがミリアの肩に乗っているエドワードの手をはがす。
「ミリア」
ジョセフがミリアの背中に腕を回した。優しくミリアを包み込む。きゃあ、と黄色い悲鳴が上がった。
「好きだ。ミリア。愛している。どうか俺と結婚してくれ。一生ミリアを守ると誓う。エドではなく、俺の手を取って欲しい」
耳元でささやかれる求婚の言葉。
背中がぞくぞくした。ジョセフの声はずるい。
ジョセフはミリアから体を離すと、ダンスを申し込むように腰を折って手を差し出した。ミリアを見上げる顔は真剣だ。緊張もしているようだった。
「ジェフ……」
ミリアがジョセフの名前を呼ぶ。先日ジョセフが、もう一度、と言ったのはこのことだったのだ。
「わたしも
エドワードがミリアの正面に立ち、手を取ると、ちゅっと指先にキスを落とした。反対の手をミリアの顔に添え、とろけるように微笑む。
明るい緑色の目が細くなるが、その瞳の中には確かにミリアを想う熱があった。どきりとミリアの心臓が跳ねる。
「ミリィ、愛している。生涯を懸けて真実の愛を捧げると誓う。わたしと共にこの国の行く末を見守って欲しい。わたしを支えてくれ」
そしてジョセフと同じように手を差し出した。その顔は自信に満ち
「ミリィ、心からジェフを想っているのならジェフを選ぶといい。そうでないならわたしの手を取るんだ」
ミリアはエドワードとジョセフを交互に見た。
顔が良く、頭も良く、武術ができて、地位があり、お金があり、権力もあり、家柄もいい、性格もいい。そしてミリアの事を想ってくれている。
それが二人。一人は王太子様。もう一人は近衛騎士になる未来が確定している伯爵令息様。
これ以上の
なのにミリアはどちらも選べない。
顔を赤くし、鼓動はどくどくと落ち着かないが、頭は
命令通りエドワードを選べば、王妃、それも正妃内定だ。王太子の婚約者として王妃教育が始まり、婚姻後は世継ぎを求められる。ローズと婚約破棄をしたのなら、ミリアが跡取りを産むことができれば、きっとエドワードが側妃を迎えることはない。
ジョセフを選べば、近衛騎士の夫を持つ伯爵夫人となる。夜会やお茶会に出席し、主催することを求められる。領地の経営にも関わることになるだろう。正妃よりはずっと楽そうだ。ジョセフは言葉通り、ミリアを一生愛してくれるのではないか、とも思い始めていた。
だがミリアは嘘をつくことになる。ジョセフの事が好きだと。ジョセフは嘘でもいいと言っていた。それでも選んで欲しいと。
ミリアは、ジョセフと一緒にいれば、次第に好きになっていける気がしていた。ジョセフといるのは楽しい。声がすごく好きだ。抱き締められる力の強さも。ミリアを求めて止まない所だって、ジョセフを好きになれば嬉しく思うだろう。
ジョセフが好きだと嘘をついて、ジョセフの手を取るのが最適解だ。それほどに王妃にはなりたくない。それはこの半年間の目標でもあった。
だけど――
ミリアは胸に手をあてた。ミリアはアルフォンスが好きなのだ。アルフォンスはどこかでミリアのことを見ている。その前で、嘘をついてジョセフを選ぶのは嫌だ。
ミリアがエドワードへと手を伸ばす。エドワードが嬉しそうに笑った。
だが、ミリアの手がエドワードに重なる前に、割って入った言葉があった。
「――よかった。間に合った」
みなの視線が、一斉にホールの入り口へと向かう。
そこにいたのはギルバートだった。その後ろにはアルフォンスがいる。
人垣がまたさっと割れ、ギルバートがアルフォンスを従えて中央へと進み出る。
ギルバートが身につけていたのは、エドワードと同じ深い緑色の上着だった。前身頃の
アルフォンスは紺色のフロックコート。銀色の髪がよく
ミリアはその姿を見ているだけでときめいていた。かっこいい。この場にいる誰よりも。女性を含めても、アルフォンス以上に美しい人をミリアは知らなかった。
「兄上。遅かったですね」
「ちょっと忙しくてね。――それで、エドがローズ・ハロルドに婚約破棄を言い渡して、ミリアに求婚したところかな。そこにユーフェンが割って入ったと」
「そのようですね」
アルフォンスがうなずく。
「エド、僕は早まるなと言ったはずだよ」
「早まったつもりはありません」
「そうかな。でもせっかくの機会だ。僕も参加するとしよう」
そう言うと、ギルバートはミリアの前に立ち、両手を取った。
「兄上? 何を――」
ギルバートがミリアの額と自分の額を合わせる。エドワードよりもさらに淡い緑の瞳がミリアを捕らえた。ふわりと香るのは、落ち着いたギルバートの匂いだ。
もはや悲鳴もざわめきも起こらなかった。ホールは、しん、と静まり返っている。
「ミリア、もう一度だけ求婚することを許して欲しい。好きなんだ。一緒にエドを支えたいという気持ちはあるけど、それよりもミリアに側にいて欲しい。これからもミリアと穏やかな時間を過ごしていきたい。僕の想いを受け入れてくれない?」
ギルバートはミリアから離れると、腰を折ってミリアに手を差し出した。
エドワードとジョセフは棒立ちになって
「ギルバート殿下、先にこちらを」
静寂を破ったのはアルフォンスだった。
「カリアード、水を差すなよ。ミリアが僕を選んでくれたかもしれないだろう?」
「こちらが先決です」
「融通が利かないな」
ギルバートは体を起こして頭を振った。
その仕草に、はっとエドワードが我に返る。
「あ、兄上? どういうことですか? 兄上がミリアに求婚……? 冗談にしてはたちが悪すぎます」
「冗談なわけないだろう。僕もミリアが好きなんだ」
ギルバートは
「そんな……!」
「僕に譲ってくれない?」
「それはできません!」
「まあ、選ぶのはミリアだからね」
ギルバートは肩をすくめた。
「さて。カリアードがうるさいから、先にこちらを片づけてしまおう。エド、ローズ・ハロルドとの婚約を破棄した理由は?」
「ハロルド侯爵がスタイン商会を
エドワードがギルバートを責めるような口調で言った。
「ローズ・ハロルド、釈明を」
「はい、ギルバート殿下」
ローズは大きくうなずいて、一歩前に進み出た。
「ミリア様が階段から突き落とされたというのは、昼休みでお間違いございませんか?」
「そうだ。その日そなたはミリアが目撃したというクリーム色のドレスを着ていて、昼休みは誰とも共にいなかった。動向が知れないのはそなただけだ」
「ええそうですわね。わたくしはクリーム色のドレスを着ておりました。そして、昼休みは確かにどの方とも一緒に過ごしておりません。なぜならわたくしはその日その時間――王宮にいたのですから」
「な!?」
エドワードが驚きの声を上げる。一方のミリアは動じていなかった。ローズの自信たっぷりな口調から読めていたからだ。どこにいたにしろ、確固たるアリバイがあるのだとわかっていた。
そもそもこれは悪役令嬢のお話なのだ。
「お父様に呼ばれて執務室に行っておりました。お父様も部下の方々もご存知ですし、王宮の中ではたくさんの方とすれ違いました。どうぞお調べ下さい」
「僕が調べた。確かだよ、エド」
「で、では、誰がやったのだ!」
「それをわたくしに聞かれても困ります。わたくしは自分ではないことを証明することしかできませんわ」
正論だった。
「も、もしローズ・ハロルドの
「それもね、違うんだよ、エド。ハロルド侯爵の罪も
「兄上!?」
「だから早まるな、と言ったんだ。ここに調査の結果がある」
ギルバートはため息をつき、アルフォンスから書類の束を受け取ってエドワードに渡した。
エドワードが目を通しながら次々とめくっていく。
「そんな……馬鹿な……!」
「証人を一人呼んでいるから、誰が犯人か直接聞こうか」
ギルバートが手を振ると、ホールの入り口横に待機していた騎士が扉を開けた。入ってきたのは、なんとアニーだった。
「アニー!?」
騎士に拘束されたアニーは、ミリアを見て瞳に憎悪の炎を宿らせた。
「あんたなんか死ねばいい!」
ミリアはびくりと体を震わせた。赤い髪を振り乱したアニーはそれほどの迫力だった。だが、ミリアにはそこまで憎まれる覚えがない。
「アニー、許可なく口を開くなと言われなかったのかい? 君を呼んだのはミリアに暴言を吐かせるためではないんだ」
アニーは顔をしかめたが、大人しく口を閉じた。
「この女は、ミリアの侍女として学園に滞在していた。その間に偽の証拠をミリアの部屋に置き、奴隷売買の罪をかぶせた。さあ、アニー、君にそれを命じたのは誰だい? この中にいるはずだよ。見つけたら減刑を考慮しよう」
ギルバートの言葉に、大きなざわめきが起こった。
ミリア・スタインを貶め、
「あの女だ!」
ホールを見回したアニーが一点を指さす。
その方向にいた生徒達が、自分ではない、という顔をしてアニーの視線から逃げた。
残ったのは一人の令嬢。
マリアンヌだった。
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