第94話 うかつでした

 次の日、アルフォンスは朝からギルバートに呼ばれて王宮に出向いた。講義は欠席だ。早くミリアの顔が見たいのに。


「困ったことになった」


 ギルバートは寝台の中にいた。こんなに青ざめた顔を見るのは初めてだった。寝込んでいてもおかしくない。侍医じいが、扉の横ではらはらと見守っていた。


「これは……!」


 差し出された書類には、偽の裏帳簿を作ってスタイン商会をおとしいれた事件の、黒幕について書かれていた。


「まだ明らかになっていない部分はある。だがこの調査結果は信憑性しんぴょうせいが高い。なあ、カリアード、これはどうしたらいい?」


 ギルバートが弱々しい声を出した。これも初めて聞く声だ。いつも毅然としているのがギルバートだ。よっぽどこたえているのだろう。


 無理もない。この事実はあまりにも衝撃的だった。


「さすがにこれはもみ消せない。スタイン商会のストライキは国中に影響を及ぼした。隠し通すことはできない。エドの所にもじきに報告が行くだろう」

「そう、ですね」

「こんな時に動けないなんて自分が情けない。僕の配下でもないのにお前には毎度苦労をかけるが、エドの側近としてもあいつの事を頼む」

「わかって、います」


 返事はするものの、アルフォンスはまだ調査書の内容を飲み込めていなかった。これがギルバートから渡された物でなければ、馬鹿馬鹿しいと破り捨てただろう。


 ギルバートが、頭が痛いとうめいたので、侍医じいに早く出て行けと追い出された。


 頭が痛いのはアルフォンスも同じだ。それどころか吐き気もしてきた。


 このままではミリアを失ってしまう。






*****


 ミリアは油断していた。ずっと気をつけていたのに。アルフォンスとのデートを終えて浮かれていたのだ。


 昼休みが終わる頃、図書室でギルバートに会えなかったミリアは、しょんぼりと講義室に戻るところだった。


 図書室は校舎の隅っこにあり、人気ひとけがない。


 そこの階段を降りようとしたとき。


 どんっ


「わっ!」


 ミリアの背中に何かがぶつかり、ミリアは前のめりにバランスを崩した。


 とっさに手すりをつかもうとするが、するりと手が滑ってしまう。


 そこから先はスローモーションだった。

 

 段差が目の前に迫ってくる。


 ――押された。


 踏面ふみづらに上手く手をつけば、何とかなるかもしれない。


 ――乙女ゲーム。


 手を伸ばす。


 ――真実の愛。


 思考はできるのに、手の動きが遅い。


 ――誰が。


 それでも狙い通りに踏面に手を突いた。が、勢いのついた体を支えきれない。


 ――階段から。


 ひじが曲がり、手首を支点にぐるりと回転したミリアは、頭に強い衝撃を受けた。


 ――卒業パーティ。


 階上にちらりと見えたドレスの色はクリーム色だった。






*****


「くそっ、まだか!」


 エドワードは学園の救護室への続き部屋をイライラとしながら歩き回っていた。

 ジョセフは壁を背に頭を抱えてうずくまり、ぶつぶつと何かを呟いている。


 アルフォンスはソファにこそ座っていたものの、悪い想像が駆け巡り、目の焦点が合わない。膝の上に置いた手は、血が通わなくなるほどに強く握りしめられていた。


 救護室では意識のないミリアが医師の診察を受けている。エドワードが強引に侍医じいさせたが、アルフォンスに反対する理由はなかった。


 階段の踊り場で倒れていたミリアが発見されたのは、午後の一つ目の講義が終わった後だった。別の講義室へ移動していた令嬢が見つけて悲鳴を上げたのだ。


 その知らせを聞いたとき、背筋が凍った。


 昼休みに図書室から戻る途中だと思われた。


 アルフォンスはミリアが講義に出ていないのを不審に思っていたが、まさか階段から落ちて倒れていたとは。講義の間中、ずっとそのままでいたかと思うと胸が苦しくなる。


 このままミリアが意識を取り戻さなかったら。

 悪化して帰らぬ人となってしまったら。


 そう考えると、体がぶるぶると震えてきた。怖い。ミリアがいなくなるなんて。


 その時、ようやく救護室の扉が開いた。


「容体は!?」

「ミリアは!?」


 エドワードとジョセフが跳び上がって侍医じいに駆け寄った。


「手首と足首を捻挫ねんざしていますが、大きな外傷はありません。頭部に内出血――いわゆるたんこぶです――ができていますので、頭を打ったのでしょう。意識が戻らないのはそのためです」

「いつ戻る!?」

「わかりません」

「わからないとはどういうことだ!」

 

 エドワードが侍医に食って掛かる。


「今すぐ目が覚めるかもしれませんし、長くかかるかもしれません。処置はこのまま寝かせておく他ありません」

「何とかしろ!」

「……申し訳ございません」

「くっ」


 エドワードが悔しそうに歯を食いしばり、ジョセフはその場にうずくまった。


 アルフォンスも唇を強く噛み締める。自分は何もできない。ミリアが風邪で休んだ時はこんなにつらくはなかった。


「ミリア嬢の様子を見ることはできますか?」

「だめだ」


 アルフォンスが尋ねると、侍医が答える前にエドワードが却下した。


「ミリア嬢は寝台にいるのだろう。そのような姿を医者でもない男が見るわけにはいかない」

「ですが」

「だめだ」


 アルフォンスは何もできなくてもミリアの側にいたかった。だが、エドワードの言うことはもっともだ。


「そうですね……」


 アルフォンスは目を伏せた。


「エドワード殿下、そろそろ……」


 先程からエドワードの使用人が王宮で会議が始まるからと呼びに来ていた。


「わかった。ミリアの容体が変わったら絶対にすぐ連絡するように」


 侍医に強く命じてエドワードは部屋を出て行った。


 同じ立場だったとして、アルフォンスはとてもそんな振る舞いはできない、と思った。何も手につかないのだ。


 これはミリアへの気持ちの大きさの問題ではない。エドワードは自分のやるべきことをわかっている。王太子なのは伊達だてではなかった。


 情けない。


 アルフォンスは項垂うなだれて顔を覆った。




 結局アルフォンスはジョセフと共に、夜まで救護室の手前の部屋で、ただ座ってミリアを案じていた。


 その時、ノックの音がして、学園に雇われている使用人が入ってきた。その後ろに、ミリアの父親のフィン・スタインと弟のエルリック・スタインが続く。知らせを聞いて駆けつけたのだろう。


「こちらです」


 使用人は二人を先導して真っ直ぐ救護室へと続くドアへ向かい、そして三人は扉の向こうに消えて行った。アルフォンスもついていきたかったが、二人は家族だから許されるのだ。アルフォンスにその権利はない。


「姉さんっ!」


 扉が閉まる前にエルリックの悲痛な声が聞こえた。手首と足首に巻かれているだろう包帯を見たのだろうか。体のどこかに打ち身の痕があるのかもしれない。


 痛々しい想像に、アルフォンスは顔を歪めた。


 しばらくしてから、三人が救護室から出てきた。


 フィンは以前顔を合わせたときとは違い、ごく普通の服装をしていた。商会の会長にしては簡素だったが、ミリアの父親だと思えば納得がいく。


 あの時はにこやかで人好きのいい顔をしていたのに、今は口を硬く引き結んでいた。ミリアの容体が深刻だということが察せられた。


 エルリックに至ってはぐすぐすと涙ぐんでいる。ミリアの三つ下だからまだ十三か。その歳で姉が意識不明ともなれば泣きたくもなるだろう。


「スタイン男爵」


 アルフォンスは思い切ってフィンに声をかけた。すると厳しかったフィンの表情が一転し、笑みが浮かんだ。


「これはこれはカリアード様。先日は冤罪えんざいを晴らすためにご助力頂きましてありがとうございました。学園ここでも良くして下さっていると娘から聞いております」

「あれはミリア嬢が証明したのです。私は何もしていません」


 フィンはアルフォンスへと手を差し出し、アルフォンスが握手をすると、もう片方の手を添え、両手で強く握った。


「いえいえ、カリアード様のお陰です。近頃はごひいきも頂きまして、重ねてお礼を申し上げます」

「こちらこそ。商会のお陰で助かっています」


 フィンの陰で、泣きはらした目のエルリックが、ぶすっとした顔でアルフォンスを見ていた。派遣してもらっている子どもたちの面接の時といい、エルリックにはいい印象を持たれていないようだ。


「ミリア嬢の様子はいかがでしたか」

「ご心配頂いてありがとうございます。怪我はささいなもので、大したことはありません。今は眠っていますが、じきに目が覚めるでしょう」


 フィンは何でもないという風に言った。だが、先ほどの深刻な顔を見れば嘘だとわかる。アルフォンスに心配や迷惑をかけまいとしているのだった。


「カリアード様、どうか娘のことはお気になさらず。ここにいらして下さっただけで十分です。もう遅いですからお帰りください。――ユーフェン様も、ありがとうございます」


 フィンがジョセフの方を向いて言うと、床に座り込んでいたジョセフが顔を上げた。


 ひどい顔だった。憔悴しょうすいしきっている。ミリアのことが心配でたまらないのだろう。


「いや、俺はもう少しいます」

「いいえいいえ。お疲れのようですからお帰り下さい。わたくし共も一度屋敷に帰ります」

「ここに、いさせて下さい。ミリアの――ミリア嬢のそばにいたいんです」


 ジョセフは懇願するように言った。フィンに想いを隠すつもりはないようだ。フィンは、おや、という顔をした。ミリアとジョセフの噂の真実を見たと思ったのかもしれない。


「そうですか。そんなにも娘を……。ありがたいことです」


 もちろんアルフォンスも残るつもりだった。そう言おうとしたとき、部屋に使用人が入って来て、カリアード伯爵ちちおやが家に帰って来いと言っていると告げた。急ぎの用だということだ。


 アルフォンスは、こんな時に、と舌打ちをした。今のミリアのこと以上に優先すべきことがあるとは思えなかった。


 だが、父親に逆らうことはできない。用が済んだらすぐに戻って来ることにして、アルフォンスは帰宅の途についた。






「困ったことになった」


 屋敷の執務室では、カリアード伯爵が頭を抱えていた。


 今朝のギルバートの言葉と同じだ。裏帳簿事件の黒幕のことが父親の耳に入ったのだと思った。今頃エドワードも聞いているのだろう。


 だが、父親が差し出した一通の書簡。その内容にアルフォンスは衝撃を受ける。


「こっちはお前宛てだ」


 もう一通、封の切られていない手紙が渡された。


 内容は、一通目の手紙とほぼ同じだったが、追加で書かれていることがあった。二通に分かれているわけだ。これはカリアード伯爵宛ての手紙には書けない。


「侯爵と話をしなければ。あちらは承諾すると思うが……」


 話を持って行くのは憂鬱ゆううつだ、と伯爵の顔が物語っていた。


「いいえ――」


 アルフォンスは決意を固め、父親の目をしっかりと見た。 


「このままで問題ありません」

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