第95話 おはようございます

 その夜アルフォンスはミリアの元には戻らなかった。


 ミリアよりも優先すべきことがないのは変わらなかったが、ただして待つわけにはいかない。


 真っ先にエドワードの所に向かった。夜も更けていたが、エドワードはまだ仕事をしていた。


 そしてちょうどアルフォンスが執務室に到着したときに、エドワードに黒幕判明の知らせがもたらされた。


 エドワードは渡された書類を無言で破り捨てると、机に肘をつき、両手で顔を覆った。


「アル」

「はい」

「スタイン商会の奴隷売買の件の黒幕が分かったぞ」

「聞きました」

「そうか……」


 エドワードは沈んだ声で言い、しばらく無言になったかと思うと、突然、くくくっ、と笑い始めた。しまいには天井をあおぎ、大きく笑い声をあげた。


「殿下……」

「まさかこんなことになるとはな。アル、わたしは悲しむべきなのだろうな。だが――」


 エドワードは凄絶せいぜつな笑みを浮かべた。


「殿下」

「ああ、わかっている。この影響は大きい。情報統制を徹底させ、おおやけになる前に策を講じねばな」


 エドワードはアルフォンスにいくつか指示を出し、自らも精力的に動き始めた。




 ミリアが目を覚ましたのはそれから三日後だった。


 講義中に知らせを聞いたアルフォンスはエドワードと共に急いでミリアの元に向かった。


 部屋ではソファに座ったジョセフが顔を覆っていた。その横を、ばたばたと侍医じいやその助手が動き回っている。


 ジョセフはミリアが倒れてからずっとこの部屋にいたのだった。着替えのために屋敷に帰っていたらしいが、可能な限りめていたようだ。ほぼ徹夜だと思われる。


「ミリア嬢は!?」


 エドワードが聞くと、ジョセフが顔を上げた。


「あ、ああ。目を覚ましたって。今はまだ会えない。意識ははっきりしていて、異常も見られないそうだ」

「よかった……」


 力の抜けたエドワードがぐらりと傾いた。アルフォンスがそれを支えたが、同じく力が入らずによろけてしまう。


「エドワード殿下」


 救護室から出てきた侍医じいが、エドワードに声をかける。


「スタイン嬢が殿下とお話がしたいと」

「わかった」

「俺も行く」

「私も行きます」


 扉に歩み寄るエドワードにジョセフとアルフォンスが続く。


「待て。だめだ。ミリア嬢は寝台にいるのだ。ついて来るな」

「ミリアは俺に会いたいはずだ」

「ミリア嬢はわたしを指名したのだ」

「俺がここにいることを知らないだけだ」

「違う。わたしに会いたいのだ」


 アルフォンスはキレた。


「いい加減にしてください!」


 ミリアが誰に会いたいと思っているかなどどうでもいい。とにかく早く無事な姿を確かめたかった。


「そ、そうだな」

「ああ、アルの言う通りだ。三人で行こう。エドが会ってもいいなら俺たちもいいだろ」


 そういう理屈にはならないのだが、アルフォンスが指摘することはなかった。


 救護室に入ってみれば、寝台にはレースのカーテンがかかっていて、ミリアの姿は見えないようになっていた。


 その場にいた侍医じいや助手、使用人が全員部屋を出て行く。


「ミリア嬢……?」

「え? もう来たんですか?」


 寝台に寄ったエドワードがレースの向こうにそっと声をかけると、かすれた声が返ってきた。


「ミリア」

「あれ? ジェフもいるの?」

「私もいます」

「アルフォンス様まで? 講義はどうしたんです?」

「抜けてきました」

「……それはご迷惑をおかけしました。私は大丈夫ですので、ジェフとアルフォンス様は戻ってください」


 よし、とエドワードが小さくガッツポーズをした。


「何でエドだけ!?」

「エドワード様に話したいことがあるから」

「だから何でエドだけなんだ!?」

「確証がないっていうか……あまり大事おおごとにはしたくないし……」


 その言い方に、アルフォンスはピンときた。


「ミリア嬢、もしかして、それは私が聞いた方がいいのではありませんか?」

「アルフォンス様に? ……そうかもしれません」


 やはり。


「な……!?」

「どうしてだ? 俺にも話してくれよ」

「そうだ。なぜアルなんだ。わたしに話してくれるのではないのか?」

「いいえ。アルフォンス様にお話しします」


 ミリアがきっぱりと言った。


「というわけですので、殿下とジェフは出てください」


 内心の喜びが表れてしまわないよう、なるべく平坦な声を出すように努めた。


「なっ! ずるいぞアル!」

「何で俺じゃないんだ……!」

「文句は後で聞きますから。出て行って下さい」


 アルフォンスは抵抗する二人の背中を押して、二人を部屋から追い出した。


「助かりました」


 ミリアからほっとした声が聞こえて、アルフォンスもほっと息をついた。


 やっとミリアと二人きりになれた。


 顔が見たい。頬に触れたい。抱きしめたい。


 アルフォンスはぐっとこぶしを握りしめた。今はミリアが無事なことがわかっただけで満足しなければ。


「ミリア嬢は足を滑らせたのではなく――突き落とされたんですね?」

「たぶん。階段から降りようとしたときに、背中に何かが当たりました」


 それはもう突き落とされたと断言していいだろう。人目につかないところだ。ボール遊びでもしていない限り、体に何かが当たることはない。


 ふつふつと怒りが湧いてきた。誰がミリアをこんな目にあわせたのだ。


 高ぶる気持ちを抑えるために、はぁ、と深く息を吐く。


「……ごめんなさい。また面倒なことに巻き込まれてしまって」

「今のはミリア嬢に嘆息たんそくしたわけではありません」

「それでも、ごめんなさい」

「ミリア嬢が気にすることはないのですよ」


 ミリアに何度も謝られるのがつらい。もっと頼って欲しい。ミリアの為なら何だってする。


「犯人を見ましたか?」

「後ろからだったのでわかりません。ただ……」

「ただ?」

「ドレスの色は見ました。クリーム色でした。この前、王都に出た時に私が着ていたドレスのような色です」


 アルフォンスは、あの日のミリアの服装を思い出した。


「髪型や色はわかりますか?」

「いえ、一瞬目に入っただけなので。ごめんなさい」


 ミリアは悪くない。むしろよくドレスの色を見ていてくれた。


 ミリア以外の令嬢の服装には全く興味がなく、今すぐに思い浮かぶ人物は一人しかいないのだが、すぐにわかることだ。クリーム色のドレスを着ていた令嬢を洗い出し、当時の行動を調べれば犯人は判明する。


 それに、ミリアを階段から突き落とした犯人はアルフォンスにとっても憎き相手だった。絶対に見つけて相応ふさわしい制裁を与えてやる。

 

 アルフォンスがまたもこぶしを握りしめると、ミリアが、けほっ、とせきをした。


 アルフォンスはすぐさま近くにあった水差しからカップに水をそそぎ、カーテンの隙間からミリアに差し出した。


「ありがとうございます」


 三日間飲まず食わずだったのだ。無理もない。


「すみません。のどを使わせすぎました」

「いいんです。お気遣いありがとうございます。アルフォンス様がいてくれてよかったです」


 アルフォンスの胸に、じわじわと喜びが広がる。アルフォンスも、ミリアが自分にだけ話してくれたことが嬉しかった。


 だが、ミリアの次の言葉に打ちのめされる。


「最初はギルに話そうと思ったんです。エドワード様やジェフだと大騒ぎしそうで。でもきっとギルは、私が図書室から戻る途中だったと知ったら、自分を責めると思うんです。あの日ギルに会えなかったんです。こうなったのはギルのせいじゃないし、ギルが図書室に来てたとしても、結果は同じだったと思います。だけどギルは優しいから……」


 ミリアがギルバートの名を口にするたびに、ずんずんと心が沈んでいく。ミリアが真っ先に頼るのはギルバートで、ギルバートの優しさを信じているのだ。


 そして次に頼るのはエドワードかジョセフで、アルフォンスの名前は出てこなかった。


「どうして私を頼ってくれないのですか?」

「アルフォンス様にはたくさんご迷惑をかけていますので」

「迷惑だとは思っていません」


 ミリアからは何の言葉も返ってこなかった。


 ミリアに想いを告げ、頼って欲しいと言ったなら、頼ってくれるようになるだろうか。

 

 ならない、とアルフォンスは思った。きっと、迷惑をかけているから、というのは建前で、アルフォンスがそこまでの信頼を獲得できていないのが本当の原因なのだ。


「このまま私が黙っていてもいいかなとも思いました」

「それはだめです!」


 ミリアがとんでもない事を言い出して、思わずアルフォンスは叫んでしまった。一歩間違えば死んでいたかもしれないのに、告発せずに黙っているなどあり得ない。


「どうしてそのようなことを言うのですか。大事おおごとにしたくないからですか?」

「まあ、そうですね……」


 ミリアはこれが乙女ゲームのイベントだと知っていて、万が一犯人が悪役令嬢ローズだった場合、最悪婚約破棄があり得ると考えていたのだが、それをアルフォンスが知るよしもなかった。


「でもちょっと今回のことは私も怒っていて、我慢ができませんでした」

「当然です」


 アルフォンスは大きくうなずいた。ミリアには見えていなくとも、気持ちは伝わっただろう。

 

「アルフォンス様、さっきも言いましたが、このことはギルには言わないでもらえますか? あと、できればエドワード様とジェフにも」

「ええ、わかっています。ですが、調査中はともかく、犯人が判明し、処罰する段階になれば殿下に報告しないわけにはいきません」

「私は誰がやったのか知りたいだけなんです」


 ミリアは犯人の処罰を望んでいないということか? そういう訳にはいかない。可能な限りの厳罰に処さなければ。死刑でもいいくらいだ。


「だめです。一歩間違えればミリア嬢は死んでいたかもしれないんですよ。それを無罪放免だなんてできるはずがありません」


 死んでいたかもしれない、と口にして、アルフォンスはぶるりと震えた。怖い。


「そう、ですよね。ではせめて、報告は卒業してからにしてもらえませんか?」

「なぜです?」


 ミリアの言葉は不可解だった。なぜ卒業後なのか。


「私が学園ここにいる間に大事おおごとになって欲しくないからです」

「その気持ちはわかりますが……」


 アルフォンスは、犯人を学園内で吊し上げ、衆人の前でミリアに謝罪させたいと思っていた。それくらいのことをしたのだ。卒業後では、処罰によってはちょっとした騒動で終わってしまうかもしれない。


 ミリアがフォーレンに帰ってしまえば、だが。今アルフォンスはそうならないように全力を尽くしている。


「ですよね。わかりました。アルフォンス様の思うようにしてください。こちらはお願いしている身ですから」


 ミリアの希望では何でも叶えてやりたいところだが、ここは譲れなかった。


「わかりました。任せてください」

「お願いします」

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