第86話 はいはい終わりました

「そういう訳には――」

「いいえ。あれは事故です。どうか忘れて下さい。私も忘れます」

「……わかりました」


 有無を言わさぬ口調で言い切ると、アルフォンスは納得がいかない顔をしつつも了承した。


 だってあれは棚からぼた餅たなぼただったのだ。その場でならともかく、後から改まって謝られるのはなんか違う。


 ミリアがソファに座ると、アルフォンスも腰を下ろした。


 さっそく始めようと、ミリアは紙の束を手に取った。ぺらぺらと書類をっていく。


「何ですか?」


 視線を感じ、ミリアは目を上げた。アルフォンスは両ひざにひじを乗せ、組んだ手を口元に固定したままじっとミリアを見ていた。


「いえ、何も」


 見られていると落ち着かない。図書館で読書中に観察されていたことを思い出す。


「アルフォンス様は何しに来たんですか」


 随分つっけんどんな言い方になってしまった。


「監視、です。……ミリア嬢を調査に加える条件として必要で」


 歯切れが悪い。そりゃそうだ。本人を目の前にして言うのだから。


「ああ。私が数値を書き換えたりしないようにってことですか。でもこれ写しですよね。やったとしても意味がないのでは?」

「……それもそうですね」


 なんだそれは。言われたまま無意味なことをするなんてらしくない。


 ミリアはため息をついた。わざと聞こえるように。


「どうしてもここにいないといけないのなら、お仕事持ってきたらどうですか」

「……そうします」


 アルフォンスは立ち上がった。


「あ、ついでに紙と筆記用具お願いします。あとテーブルとイスが欲しいです。ここには一人掛けしかありませんから。それとこれじゃ精査するのに全然書類が足りないので追加を要求します。連絡係をつけてください」


 ミリアが見上げて言うと、アルフォンスは目を見開いた。


「図々しいですか?」

「いえ、ミリア嬢らしいと思いました」


 どういう意味だろうか。日頃から厚かましいということか。効率最優先と言って欲しい。


 手配します、と言って、アルフォンスは部屋を出ていった。代わりに扉の外にいたと思われる騎士が入ってきた。監視役代理なのだろう。


 彼はテーブルの横に立ってじっとしていた。


 置物だと思って気にしないことにした。目の前でお綺麗な顔に見つめられるのと比べればはるかにましだ。




 部屋に四人掛けのテーブルが運びこまれ、アルフォンスと向かい合っての書類仕事が始まった。図書館にいるときのようだった。


 アルフォンスが連れてきた連絡係は、踏み台ぶっ壊れ事件の日にミリアの服をはぎとったあの使用人だった。


 原本から複写する必要があるので即時には不可能だが、ミリアの要求した書類をちゃんと用意してくれた。アルフォンスの使用人だけあって有能だった。


 何度かアルフォンスが出て行き、騎士と入れ替わっていたが、途中からそれすら気づかないほど作業に没頭した。無実を証明できなければ処刑もあり得るのだから当然だった。


 検証となれば大量の書類が必要で、何日もかかると思われた。別に正式にやっているチームがいるはずで、万が一彼らが無能で、先に裏帳簿が本物だと判定したら人生が終わる。


 使用人がランプを用意してくれるまで、暗くなっていることさえ知らなかった。


 ミリアが顔を上げると、アルフォンスも顔を上げた。


「まだ続けますか?」

「アルフォンス様がよければ」

「では夕食を用意させます。このままつまめる物がいいですね?」

「お願いします」


 アルフォンスが一つうなずくと、使用人が部屋を出ていった。


 そういえば、団長は来なかったな。


「アルフォンス様、私が書いたという手紙、筆跡鑑定ってしてもらえました?」

「しましたが、ミリア嬢が書いた物ではないということは証明できませんでした」


 まあ、そうだろう。違う人物が書いたかもしれないという所まではわかっても、ミリアの自演でないとは限らない。筆跡を変えるように努めて書くだけだ。極端に言えば利き手じゃない方で書けばいい。


「普段の私の筆跡でないことは証明されたんですよね?」

「はい」


 それがわかれば十分だった。





 夜もけた頃、ミリアが長い長いため息をついた。


 どうしたのかと、アルフォンスが顔を上げる。


 なんと説明したものか、とミリアは考えた。眉間を人差し指で揉む。目が疲れた。


「とりあえず、お茶もらえますか」


 アルフォンスの言葉を待たずして、使用人が動き始めた。



 カップをソーサーに音もなく置いて、ミリアはふぅと息を吐いた。温かい紅茶がおなかにまり気持ちが落ち着いた。


 夜更けに結婚前の男女が二人きりでいるのはいかがなものかと今更ながらに思った。使用人もいることだし、まあいいのだろう。


 婚約者クリスティーナが気にしなければいいだけのことだ。彼女がいいと言えば誰も文句はあるまい。そして彼女はきっと気にしない。


 ミリアはアルフォンスの目を見て、口を開いた。


「結論から言うと、十中八九、捏造ねつぞうです」

「もうわかったんですか?」

「合算資料の数値の整合性はありますが、個別の帳簿の数値はかなり適当です。それぞれの帳簿の数値が合っていません。これでは帳簿として成立しません」


 例えば、売上記録に書かれている金額が増えるなら、収入記録の金額も増えるはずだ。なのに、支払記録の金額を減らすことで辻褄つじつまを合わせている。


 これが同じ取引相手なら相殺したとも言えるだろうが、片方は孤児の売買先、もう片方は別の商会だ。相殺のしようがない。


 複式簿記なら一目瞭然いちもくりょうぜんだっただろうが、残念ながら単式簿記では帳簿間の不整合まで気づかなかったらしい。

 

「一応本物の帳簿と見比べて、勤怠管理表や領収証なども確認しましたが、てんででたらめです。雑すぎます。見る人が見ればすぐわかりますよこんなの」


 ミリアは、これとこれとこれ、これとこれも、これとこれとこれとこれもです、と次々にペンで指していった。若干キレ気味だった。


 もっと巧妙だと思ったのだ。スタイン商会内の書類だけでは確認できない可能性が高いと考えていた。


 なのに、ミリアが一日でわかる位のしょっぼい工作である。


 犯人がこれで冤罪えんざいに持っていけると思ったのなら、おちょくるのにも程があった。馬鹿にしているとしか思えない。


「こちらの検証ではまだ報告はありません」

「そうですか」


 アルフォンスの言葉を聞いて答えたミリアの声には軽蔑けいべつが含まれていた。アルフォンスに対してではない。その検証チームの面々とやらに対してだ。なぜ気づかない。


「私は商会の書類を見慣れていますし、だいたいの総額も頭に入っていますからね。初見の人だと時間がかかるかもしれませんね」


 対応しているのは王宮の中でも経理に詳しい人たちだと思うのだが。


「とういうわけで、見つかったというこの裏帳簿は捏造ねつぞうです。スタイン商会うちが奴隷売買をしていないことが証明できました」


 ミリアは行儀悪く椅子にもたれた。気持ちがくさくさしていた。


「ミリア嬢の結論はわかりました。疑念のある箇所にしるしをお願います。こちらで検証します」


 ミリアはその体勢のまま、テーブルの上の書類の束をアルフォンスの方へ無言でぐいっと押しやった。


 アルフォンスはその束をとり、ぺらぺらとめくって印がついていることを確認すると、とんとん、とそろえた。


「寮に帰してください」

「検証が終わるまではここにいて頂きます」


 ミリアは横を向いて、ちっ、と舌を鳴らした。アルフォンスが目を見開いたが、構うものか。


 今のミリアは令嬢としてではなく、スタイン商会会長の娘としてここにいるのだ。まあ、令嬢だからこそ快適に過ごせているわけだけど。


「さっそくギルバート殿下に報告してきます」


 ミリアはひらひらと手を振った。もう何もする気が起きない。雑すぎる工作にごっそり気力を持っていかれていた。


「湯浴みを用意させますね」

「やったっ!」


 ミリアがぱぁっと顔を明るくして手を叩いたので、アルフォンスはまた目を開いた。単純だと思われたらしい。


 それでは、と言ってアルフォンスは使用人と共に部屋を出ていった。




 次の日、ミリアは暇を持て余していた。書類の検証は終わったし、団長の尋問もない。話し相手もいないし、本もない。暇で暇で仕方がない。


 ソファに横になってぼーっとしていた。本当はベッドの上で転がっていたいが、誰かが来たら困る。衝立ついたてがあるとはいえ、そこから出てくるのは変だろう。


 このままでは寝てしまう、と思って体を起こしたとき、ノックの音がした。


「ミリア嬢!」


 入ってきたのはエドワードだった。


「どうしたんですか?」

「会いに来た」


 そうですか。


 来なくていいのに、と思ったが、暇すぎたので相手をすることにした。


 エドワードは使用人を連れてきていた。二人きりになるのはまずいと思ったのだろう。すばらしい配慮だ。


 お茶が用意され、そしてなんとケーキが出てきた。


 ミリアはソファの上で思わず拍手してしまった。ちょうど甘い物が食べたいと思っていたのだ。


 そんなミリアの喜ぶ様子を見て、向かいのエドワードはご満悦だった。


「何もできなくてすまない」

「いいえ、ギルによくしてもらっているので」


 ケーキを口に運びながら言うと、エドワードがむっと口をとがらせた。


 エドワードは二人のことをギルバートに聞くつもりだったが、まだ話ができていなかった。


「兄上と交流があるとは知らなかった。いつそんな機会があったのだ」

「図書室でたまに」

「図書室に?」

「はい、昼休みに」


 エドワードはやっと昼休みのミリアの行き先を知ったのだった。


「なぜ兄上を愛称で呼んでいるのだ。一昨日も呼んでいた」

「あー……」


 悔しそうに言ったエドワードの声を聞いて、ミリアはケーキに夢中になっていて失言したことに気がついた。


「えーっと……最初はギルバート殿下だとは知らなくて、ギルっていう名前だと思ってたんです」

「兄上を知らなかった……?」


 エドワードは驚いていた。


 外に出てこないギルバートを知らなくても無理はないと思うのだ。例え自国の王子だったとしても。


 実は、貴族や王族に興味がなく、フォーレンにひっこんでいたミリアは、入学当初、王太子エドワードの顔も知らなかった。平民はそんなものだと思う。


「兄上とジェフは愛称で呼んでいるのに、どうしてわたしだけ呼んでくれないのだ」


 エドワードは悲しそうに眉を下げた。


「アルフォンス様のことも呼んでいませんが」


 エドワードだけじゃない、と主張する。


「ならばアルもアルと呼べばいい」

「嫌です」


 どこかで聞いたような言葉だ。あのときのアルフォンスの嫌そうな顔が思い浮かぶ。ミリアもあのときは嫌だと思った。


 そして今も嫌だと思っている。アルフォンスを愛称で呼ぶ? ないない。しは様付けか君付けで呼ぶべきだ。


「今だけでいいからエドと呼んでくれ」

「嫌です」

「ならば一度だけ。一度だけでいいから呼んでみてくれないか」


 ケーキも持ってきてくれたしな、とミリアは頼みを聞くことにした。


「エド」


 途端、エドワードは顔をしかめた


 想像していた反応と違う。


 エドワードは無言で立ち上がり、顔をしかめたまま部屋を出て行った。


 え、なにそれ。


 リクエストに応じただけなのに、ミリアはエドワードを怒らせてしまったらしい。笑顔でなかったのが悪かったのだろうか。

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