第87話 どちらもなりませんから

 エドワードは部屋から出たあと、足を数歩進めた後、両手で顔を覆ってうずくまった。


「殿下!? 何かあったのですか!?」

「まさかスタイン嬢が……!」


 騎士がエドワードを心配して側にひざまずき、顔をのぞき込む。もう一人の騎士は扉に手をかけ、中に入ろうとしていた。


「何でもない。何でもないから気にするな。ミリア嬢は何もしていない」


 何かあったのは明らかなのだが、エドワードが気にするなと言うので、騎士たちはどうしたらいいのかとおろおろした。


 エドワードが害されたというのなら、すぐに踏み込んでミリアを拘束するのだが、どうもそういうわけではないらしい。


 そこへ、アルフォンスが現れた。


「殿下、何をやっているんです?」


 騎士たちは、助かった、と思った。アルフォンスならなんとかしてくれるだろう。


「お加減でも悪いんですか?」

「何でもない」

「何でもなくはないでしょう」

「気にするな」

「王太子殿下が廊下でうずくまっていたら誰だって気にすると思いますが」

「放っておいてくれ」

「そうですか」


 アルフォンスはあっさりとうなずいた。側にいた使用人が何もしないことから、大したことではないと判断したのだ。


 どうせ何かやらかして、ミリアの機嫌を損ねたのだろう、とエドワードを放置して扉へと歩み寄った。


「待て」

「何です?」


 エドワードがアルフォンスを呼び止めた。


「何をしに来たのだ」

「ミリア嬢に調査の進捗を伝えに」

「ミリア嬢に会うのか?」

「ええ」


 ここまで来て他に何をするというのか。


「後にしろ」

「どうしてですか? まさか、ミリア嬢を……?」


 アルフォンスが眉をひそめた。ジョセフに続いてエドワードもか、と思った。他人ひとのことは言えないが。


「待て待て。わたしは何もしていない。誓って何もしていない」


 アルフォンスがちらりと使用人を見ると、うなずきが返ってきた。


「その用の前に、わたしの話を聞いてくれないか」


 エドワードがやっと顔をあげ、真剣な目でアルフォンスを見上げた。


「話? 何です?」

「ここではなく、執務室で」


 今そこから来たところなのに、と思ったが、深刻そうな話だったので、エドワードにつきあうことにした。





 人払いをしたエドワードは、執務室に突っ伏した。


「もうわたしは死ぬかもしれない」

「は?」

「ミリア嬢に、愛称を呼んでもらった」

「はあ」

「心臓が止まるかと思った。まだ痛い。このまま死ぬかもしれない」

「……」


 どうでもいい話だった。そのまま死ねばいいんじゃないですか、とはさすがに言えないが。


「話はそれだけのようですね。では私はこれで」

「待て。まだ終わっていない」


 エドワードが、がばっと顔を上げてアルフォンスを呼び止めた。


 アルフォンスが面倒くさそうに向き直る。


「アル、わたしがミリアを正妃にするにはどうしたらいい?」

「どうにもなりませんよ」


 アルフォンスは投げやりに言って首を振った。


「本気で聞いている」

「ミリア嬢を正妃にすることはできません。殿下の婚約者はローズ嬢です。ローズ嬢は王妃教育を受けています。ミリア嬢に限らず、ローズ嬢をおいて殿下の正妃となる女性はいません」


 エドワードの顔が真剣だったので、アルフォンスも真面目に答えた。


「わたしが即位するのは当分先だ。その間にミリア嬢に王妃教育を受けさせればいい」

「ハロルド侯爵は中立派です。ローズ嬢との婚約を解消すると言えば、実力派と貴族派の両方を敵に回すことになりかねません」

帝国の皇子クリス殿の後押しがあったらどうだ? ミリアに帝国と繋がりがあることがわかれば貴族たちも納得するだろう」

皇子おうじがミリア嬢の望まないことを後押しするとは思えませんが」

「もしもの話だ」


 エドワードは首を振った。


「……もしも皇子おうじの後ろ盾を得られたなら、ミリア嬢を正妃にすることも不可能ではないでしょう」


 アルフォンスが皇子クリスと、王太子エドワードがミリアと婚姻を結べば、ローレンツ王国はしばらく安泰だ、と思った。


「他に方法はないか?」


 ギルバートはミリアを帝国に渡さないための最終手段として、エドワードと結婚させることも考えているようだった。ならばギルバートには算段があるのかもしれない。


 だが、アルフォンスには良案は浮かばなかった。


「ハロルド侯爵が大罪でも犯せば、ローズ嬢との婚約の話はなくなるでしょうね」

「そうだな」

「殿下、まさか……」


 アルフォンスは冗談のつもりで言ったのに、エドワードがまともに受け止めたことに焦った。


「さすがにそこまではしない。ハロルド侯爵家がなくなるのは困る」


 エドワードが苦笑した。


「側妃にならできるか?」

「できます」

「側妃にと言ったら、ミリア嬢は軽蔑けいべつするだろうか」

「でしょうね。平民の意識が強く、一夫多妻に抵抗があるようです」


 エドワードがため息をついた。


「ただ、たとえミリア嬢が拒否しても、王太子命令であれば従うしかないでしょう」


 国外逃亡しかねないが。


「どうしたんですか、急にそんなことを言い出して」

「急ではない。ずっと考えていた」

「ローズ嬢を正妃とするのは殿下の希望でもあると思っていました」

「そうだ。正妃にはローズをと考えていた。だがその一方で、ミリア嬢を妻に迎えたいとも思っていた」


 意外だった。エドワードはミリアに執心しているものの、少し前のような熱はもうなく、卒業までの時間をミリアと過ごしたいという気持ちなのだと思っていた。


「本気でミリア嬢と結婚したいんですか?」

「したい」


 ジョセフやアルフォンスにしか見せない油断した顔ではない。王太子として公務に出るときと同じ、毅然きぜんとした態度だった。

 

「ジェフもそう思っていますよ」

「知っている。そしてミリアはわたしかジェフならジェフを選ぶこともな」


 エドワードは悔しそうに口をゆがめた。


「だが諦められない。わかるか、アル。ミリア嬢が自分の名を呼んだ時の喜びを。ミリア嬢が横でわたしの名を呼び続けてくれるなら、国を捨ててもいいと思った」

「殿下」

「わかっている。王子として生まれた以上、わたしは国のために生きる。それに、ミリア嬢がわたしはいい王になると言ってくれた。失望させるわけにはいかない」


 ミリアはそんなことを言ったのか。


「だから、わたしがミリア嬢の横にいるためには、玉座の隣に座ってもらうしかない」

「ミリア嬢が望んでいなくてもですか?」


 エドワードは目を伏せた。


「今は望んでいなくとも、絶対に幸せにする。わたしが一番に考えるべきは国だが、ミリアも同じくらい大切にする。後悔はさせない」


 ミリアが正妃になったなら。


 公務には期待できない。特に外交は。だが政務となれば、エドワードの代理を務めることも可能だろう。エドワードが公務をこなし、ミリアが政務を裏で取り仕切れば、やっていけるかもしれない、と思った。


「本気なんですね」

「だからそう言っている」


 エドワードはミリアの価値を知らないはずだ。ではミリアの何がエドワードをそこまで夢中にさせるのだろうか。


「ミリア嬢のどこがいいんですか」


 エドワードが眉を寄せた。言い方が良くなかった。


「ミリア嬢のどの点が好きなのですか?」

「わからん」

「わからないんですか……」


 それは魅力がないのと同義ではないのか。


「これだと明確に言えるものがない。全部だ、全部」

「全部……」


 やはり魅力がないのでは。


「ミリア嬢が笑顔でいると幸せな気持ちになる」

「それだけですか?」

「それだけ? それで十分ではないか。ミリア嬢に笑顔でいてもらいたいし、わたしが笑顔にしたいと思う。ずっとそばで笑っていて欲しい」


 アルフォンスは、エドワードがミリアの笑顔にこだわっていたことを思い出した。本当の笑顔をさせる、とわけのわからないことを言って手を尽くし、成しげたらしいのがちょうど一年ほど前だった。


 ミリアの笑顔は悪くはない。邪気のない純粋な笑顔を見ると気持ちが癒される。


 あんなに幸せそうな顔で菓子を食べられては、もっともっとと与えたくなるのはわかる。アルフォンスはケーキを断られたため与えた側の気持は知り得ないが、苦労して引き出した本当の笑顔とやらは、よほどがっしりとエドワードの心をつかんで離さないのだろう。


 とはいえ、それが一番の魅力かのように言われるのは納得がいかなかった。


「笑顔だけでは王妃は務まりませんよ」

「ミリアは学業も優秀だ。商会の手伝いで書類仕事が何たるかもわかっているはずだ。二、三人の補佐をつければ、政務もやっていけるようになるだろう」


 補佐をつければ? やっていけるようになる?


 ああ、そうだ。補佐をつけなければならない。三人では足りない。少なくとも五人は必要だ。


 ああ、やっていけるようになるだろう。あっと言う間に。エドワードが地方に視察に行っていても、諸外国へ外交に出ていても、王宮のまつりごとは何の影響もなく回り続けるに違いない。


 悔しい、と思った。


 エドワードはミリアのことを何もわかっていない。政務に限れば、ミリアはローズよりもよほど上手くやれるのだ。貴族の反感を買うかもしれないが、ミリアの実力を認めさせさえすれば、かつてないほどに国に貢献する妃となる。


「そんな顔をするな」


 知らず、アルフォンスの顔はけわしくなっていた。


「社交はミリアには荷が重いだろうから、わたしが表に出る。代わりにミリアには政務に励んでもらうことになるだろう。そのときにはアルにも手を貸してもらいたい」

「私は……」


 ミリアがエドワードの横に立つ時、アルフォンスはもうこの国にはいない。ミリアに力を貸すことはできないのだ。そのことはまだ、エドワードにも言えない。


 エドワードだって馬鹿ではない。ミリアのことを知れば、実力に見合った役割を与えてやるだろう。ギルバートだっている。適当な仕事をさせて遊ばせるようなことはしないはずだ。


 たとえ、アルフォンスがいなくても。


「私は、ミリア嬢は王妃には向いていないと思います」


 王妃の立場はミリアの実力を出すのにうってつけの場所だとわかっている。


 だが、ミリアのことを何もわかっていないエドワードが横に立つのは、どうしても嫌だった。


「正妃はもちろん、側妃も務まらないでしょう」

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