第84話 目が覚めました

「知らない天井だ……」


 目が覚めたミリアは、そうつぶやいた。


 いやいや、某ロボットアニメごっこをしている場合ではない。


 ミリアは下着姿で起きあがると、部屋の扉からベッドを隠している衝立ついたての陰で、寝る前に脱ぎ捨てたドレスを着た。一人で脱ぎ着できるドレスで本当によかった。


 昨夜、待って待って待って待って、これ以上待てないとなった段階で、ミリアは扉の向こうにいる騎士に食事をよこせと要求した。だって夕食を食べ損ねたのだ。カツ丼くらい出してくれないと。


 王宮のシェフが作った夜食を頂いたミリアは、おなかがいっぱいになった途端に眠くなってしまい、外の騎士へと寝ると宣言してベッドに潜り込んだのであった。


 騎士二人がミリアの図太さに驚きの声を上げたが、眠いものは眠い。起きていてもどうせ事態が好転するわけでもないだろう。ならば頭を休ませて翌日の取調べに備えた方がいいに決まっている。


 というわけで、ミリアは勾留こうりゅう二日目の朝を迎えていた。


「おはようございます」


 とりあえず外の騎士に挨拶すると、はきはきとした挨拶が返ってきた。身支度を整えるための侍女が来てくれるらしい。ついでに朝食はいつかと聞いてみたところ、すぐに持ってきてくれるそうだ。


 髪を結ってもらったあと、届けられた朝食を食べながら、朝からきゅうりサンドなんて贅沢だな、と思った。新鮮なミルクたっぷりの紅茶も大変おいしかった。


 布団もふかふかだったし、他の調度品も寮の自室よりも豪華である。いつもよりいい暮らしなのではないか、と思ってしまうくらいだ。


 ぐっすり寝て美味しい物を食べ、ミリアの気分はすっかり良くなっていた。


 昨日ひたすら泣いたおかげで、涙と一緒につらい気持ちも全て流れ去ったらしい。


 アルフォンスがリリエントひとのものだということは初めからわかっていたことだ。それがはっきりし、また違うひとの物になったとして何だ。いまさらすぎる。


 そもそも、アルフォンスを好きになるのが間違っていたのだ。容姿端麗ようしたんれい頭脳明晰ずのうめいせき、家柄もよければ育ちもいい。そんなハイスペック人間を好きになったところで先はない。


 きっとアイドルを好きになったらこんな感じなのだろう、と思った。


 アイドルの熱烈なファンであれば、自身の気持ちにはすっぱりと諦めをつけ、しの幸せを応援するべきだ。


 アルフォンスは今や帝国の皇子の婚約者である。クリスは女帝になる気でいて、その夫になるならこれ以上ない大出世だ。次期国王エドワードの側近とは比較にならない。


 きっとアルフォンスはその才覚を十分に発揮し、えある帝国をさらに発展させるだろう。


 どのみち卒業パーティーでさよならだったのだ。どうせ会わないのなら同じ国にいようが帝国に行ってしまおうが変わらない。


 失恋は初めてではない。気持ちを伝えずにいるのはもやもやするが、アイドル相手ならファンレターに書くくらいのことしかできない。それなら言わずにいてもいい。


 男としてではなく、存在からして手の届かない人なのだ、と考えると、アルフォンスが好きだという気持ちがすっと落ち着いた。


 会えるだけで嬉しい。


 それでいいじゃないか。人を好きになって一番どきどきして楽しい時の気持ちだ。切なさも嫉妬しっともなくて、ちょっとしたことが幸せに思える。それ以上の想いはいらない。


 一度心を落ち着かせてみれば、昨日あれほど動揺したのが不思議に思えてきた。


 うっかり好きな人とキスできたのだからラッキーだったのだ。しっかり前髪も触れたのだし。


 次にアルフォンスに会ったときには、あれは令嬢に対していかがなものですか、と嫌みを言えそうですらある。


 もやもやしていた気持ちが消えて、学園のいつもの庭園、一本立った木の下で、木漏れ日の中、大きく深呼吸をしたときのような、晴れやかな気分になった。


 と、ノックの音がして、ミリアを現実へ引き戻す。


「失礼する」

 

 入ってきたのは昨日の団長だった。茶色い口髭くちひげが魅力的である。あの寮の責任者ちょびひげとは大違いだ。その後に、監視と思われる騎士と、板に打ち付けた紙束を持った記録係と思われる騎士も続く。


 ミリアはぴんと背筋を伸ばし、向かいに座った団長を見据えた。


「昨日聞いた侵入者とやらのことだが、スタイン嬢の言うような事実はなかった」

「なかった、とは?」

「切られたハンカチとドレス、および、汚されたドレスは部屋からは発見されなかった」


 そうだろうと思った。アニーが犯人の一人だと確信したときから予想していた。処分するに決まっている。


 だが、ミリアが残した物はまだある。


「また、寮の責任者と学園長に確認したところ、スタイン嬢からの訴えはなかったそうだ」

「え?」


 訴えはなかった、だって?


「そんなはずありません。どちらにも侵入者が出たので警備を強化して欲しいと言いました。寮の責任者には部屋にまで来て見てもらったんです。学園長にだってちゃんと――」

「学園長はスタイン嬢と顔を合わせたことがないと言っていた。スタイン嬢はあるのか?」


 ない。

 学園長本人には、ない。


「不在だったので、秘書の方にお伝えしました」

「聞いていないそうだ」

「そんな! ……だとしても、寮長の方はどうなんですか。私、自分で護衛を連れてこいと言われました」

「訴えたと言っているのはスタイン嬢、それと侍女のマーサだけだ。本当に警備の不備であれば、それは寮側の責任で、入寮者に転嫁することはない」

「そう言いました。でも取り合ってもらえなかったんです。だから私はマーサとアニーを――」

「それで、侍女を呼んだわけか」


 ミリアを見る団長の目が鋭く光る。


「侍女を連れずにいる令嬢がいたとは驚いた。それも三年近く。なのに、スタイン嬢は卒業間近になって突然常駐させるようになった。一人ではできないことがあったのだろうか。たとえば――卒業後の事業拡大の段取りだとか」

「どういう意味ですか」


 ミリアはにらみ返した。


 この男は、初めからミリアを有罪だと決めてかかっている。事業拡大というのは、つまり、奴隷売買の、と言いたいのだろう。


 馬鹿か。拡大したら発覚しやすくなるだけではないか。


 素敵なおじさまなのに無能だなんて残念だ。第二騎士団も大したことはない。近衛騎士団はもう少しまともだと信じたい。


「再三の警備強化の要望に対して、スタイン男爵家から伯爵家への正式な抗議か、と聞かれたのですが、それもお忘れなのでしょうか」

「抗議したのか?」

「……しませんでした」


 そうだろう、という顔をされた。上から目線なのが腹立つ。


 あのとき報復――もとい、抗議しておけばよかった、といまさら後悔しても遅い。まさかこんなことになるとは思わないではないか。


「三回目のときにソファも血で汚れたので、弁償するように言われました。ソファを新しくしたのはそのためです。古いソファの処分は寮にしてもらいました」

「その話も聞いた。汚損させたため取り替えたいとの話だったと。備品を馬鹿正直……失礼、そのまま使う令嬢などいないから驚いたと言っていた。本人が運び出されたソファを確認したところ、特に汚れてもいないのに、と思ったそうだ」


 やられた。


 ミリアは大きく息を吸った。


 責任者ちょびひげと学園長が聞いていないと言っているのは、責任逃れのためだと思っていた。


 しかし、学園長はそうかもしれないが、ちょび髭はグルなのだ。でなければ、血ではない別のもの――例えばベリージュースなど――で汚れていたと言えばいい。


「スタイン嬢の話だと、侵入者がドレスとソファを血で汚損したのではなかったか。それを寮生に弁償させるのはおかしい」


 ですよね!?


 ミリアだってそう思う。

 思うが、事実、弁償させられたのだ。


 しかもそれによって隠しポケットとやらのついたソファが運び込まれ、まんまとこの状況に追い込まれた、と。


 ミリアはため息をついた。


 これ以上侵入者について言及しても無駄だと思った。ミリアの発言は記録されているだろうから、ちょび髭を追い詰めるのはエドワードに任せることにする。


 覚悟しろよ、とミリアは内心ニヤリと笑った。エドワードは簡単には放してくれまい。処分業者まで全部調べ上げられて無事で済むだろうか。自分でぎゃふんと言わせられなくて残念だ。


「……私は何の容疑でここにいるんですか?」

「貧民街の孤児を奴隷として売買した罪だ」


 ミリアは団長を見据えた。


「それはいつのことですか? どこの貧民街ですか? そのとき売買したのは何人? 性別は? 歳は? どこへ売ったんです? いくらですか? 滞在場所は? 連絡手段は? 運搬手段は? 決済手段は王国の貨幣ですか? 諸経費はどちら持ちですか? 違約金はいくらです? 手付金はありました? 要件は? 滞在場所は?」

「た、滞在場所……?」


 立て続けに出されたミリアの問いに面食らったのか、団長は発言を区切るつもりで言ったのだろう。だがミリアは牙をむきそれに食いついた。


「はい。だって貧民街で暮らす子を捕まえてそのまま連れて行くわけにはいかないですよね。汚れているし、服はボロいし、せすぎています。最低限でも体を洗って着替えさせるだろうし、二、三日食事をさせて見た目を良くするのが望ましいです」

「詳しいな」

「子豚と一緒ですよ」


 肩をすくめて見せると、家畜と一緒にするな、と怒鳴られた。


 予想通りの反応でミリアは動じない。


「で、滞在場所はどこですか?」


 ぐっ、と団長が言葉につまった。


「それを話すのはそちらだ」

「まさか、何もわかってないんですか?」


 ミリアが口に手を当てて挑発するように言うと、団長は再び、ぐっ、と喉を鳴らしたものの、簡単に口を滑らせてはくれなかった。


「情報を聞き出そうとしても無駄だ」


 ちっ。


 まあ、あまり詳しいことがわかっていないのはわかった。真実の精査はこれからなのだろう。裏帳簿が見つかったことでいさみ足を踏んだのか。お気の毒に。


「とっとと奴隷売買について吐け」

スタイン商会うちには奴隷の取り扱いはございません。人材派遣はしておりますが、人身の売買はいたしません」


 ミリアは、にこり、と営業スマイルをした。


「なら、部屋にあった書類について話せ」

「私の物ではありませんのでわかりかねます」

「しらを切るつもりか」


 ふんっ、と団長が鼻を鳴らすと、ミリアはバンッと両手でテーブルを叩いた。


「話させたいなら証拠全部持ってきなさいよ! 裏帳簿っていうからには、ちゃんと表の帳簿と符合してるんでしょうね!? ほらほら、持ってきなさいよ、ここに! おかしいとこ隅から隅まで指摘してあげるから!」


 ミリアは、昨日までアルフォンスの手伝いで収支報告書などをチェックしていたため、裏帳簿を自分で確認できないことにイライラしていた。


 ――が、キレたわけではない。

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