第43話 自分、不器用ですから

 アルフォンスにつづった感謝の手紙の返事は、その日のうちに届いた。


 赤い封蝋ふうろう印璽スタンプにはアルフォンスの頭文字が入っていて、私信であることを示している。ミリアが贈った手紙も同様で、実はミリアはスタイン家――というか商会の印璽を持っていない。


 緊張しながらペーパーナイフで開いたのだが。



 気にしないで下さい。



 たった一文だった。

 お大事に、と同レベルである。


 直接話したいと希望したことへの返事はなかったが、気にするなというのだから断られたということだ。


 ミリアは開き直った。

 本人が言うならもういいや、と。


 正式な謝意は父親フィンが示しただろうし、事件を利用していい思いをしたのだ。ここまで避けられるからには、無理に迫ると逆に迷惑だろう。自分から機会を作りにいくのではなく、何かのタイミングで話すことがあればそのとき言うことにした。例えばエドワードのお茶会のときにでも。


 手紙はもう一通あった。


 差出人は下級生の子爵令嬢。エドワードの取り巻きではないが、どこかで名乗られた記憶がある。これも子爵家からの正式な封書ではなく、彼女個人からのものだった。


 簡単に言えば、明日ランチをご一緒しませんかというお誘いだった。それもミリアがいつも行っている庭園でだ。


 つまり、以前押し掛けられたのと同じ形だが、無理矢理ではなくミリアの都合を聞いているのだった。他に二人連れて行って四人で食事をしたいとのこと。その二人の名前も書いてあった。どちらも男爵令嬢だ。


 タイミングがタイミングだけに、ミリアは迷った。相手の狙いは何だろう。正妃になれるわけがないと牽制けんせいするのか、正妃候補として取り入るつもりなのか。


 問答無用で断ることも出来たが、わざわざうかがいを立ててきたことには好感が持てた。それに、守りに入ると事態が悪化することも学んだ。


 ミリアはランチの誘いを受けることにした。




 その日からの数日、ミリアは平穏の中にいた。


 ギルバートが苦情を言ってくれたことと、エドワードの婚約者は変わらずローズであることが発表され、ミリア正妃候補説が否定されたせいだろう。


 朝はエドワードと校舎に向かい、昼は庭園かエドワードたちと個室で食事をとり、その後は図書室へ行く。放課後はエドワードとのお茶会がなければまっすぐ自室に戻っていた。


 以前と大きく変わったのが二点。


 一つ目は、他の生徒たちと話すようになったことだ。

 最初に三人の令嬢と一緒にランチをとったのを皮切りに、他の令嬢からもランチの誘いがくるようになった。休み時間も講義室や廊下で生徒と話をする機会が増えた。だが、少し前のように大勢から質問責めにあうことはなく、ごく普通の雑談であった。エドワードと共にいる朝の移動さえ、強引さが減少したように感じた。時には雑談やランチに令息が混ざることもあり、卒業間近になってようやく学園の生徒に受け入れられた、という様子だった。


 エドワードやジョセフのことは聞かれはするが、さっき話した内容だとか、お茶会をしただとか、そんなちょっとしたことばかりで、愛だの恋だのという話はあまり出てこなかった。


 下心が全くないとは言えないが、毒にも薬にもならない存在だったミリアと、多少は繋がりをもっておこうか、くらいの動機に見えた。


 二つ目が、図書館に行かなくなったことだ。

 ミリアはあの事件のあと、一度も訪れていなかった。怖い思いをしたからではない。もしアルフォンスに会ったら、と思うと足が向かなかった。読みかけの冒険小説の続きが読みたいという気も起こらない。


 ミリアが積極的にアルフォンスに接触を試みるのを諦めた後も、アルフォンスはミリアを避け続けていた。休み時間にエドワードと共にミリアの前に来ることはある。雨の日は昼だって一緒に食べている。それなのに、アルフォンスはミリアを一度も見ようとはせず、直接言葉を交わすこともなかった。いつもエドワードかジョセフが間に入っている。


 ジョセフはその様子に気がついている素振りを見せていたが、特に何かしようとするわけでもなく、エドワードに至っては、気づいているかどうかも怪しかった。




 そんなとき、事件は起きた。


 ミリアが最も不得意としているのが、刺繍ししゅうだ。デザインセンスがないのもあるが、布に下絵を描いてもその通りに刺す技術がなく、不格好な物ができあがる。


 ミリアは刺繍ができないのは自分の不器用さのせいだけではないと思っている。糸が絡まりやすく切れやすい。布だって、クロスステッチ用の等間隔に穴があいた布であれば、多少見栄えはよくなるはずなのだ。


 ご令嬢方にとっては、今更刺繍なんて、という空気があるため、刺繍の講義自体が滅多にない。半年に二度くらいだ。最初に少し歴史やデザインの説明があり、その後は実習となる。ちなみに令息たちは同じ時間に剣術の鍛錬をしている。


 刺繍室にて、そこかしこにおいてあるソファーに座っている令嬢たちを見て、ミリアは毎度感心していた。なぜあんなに速く針を動かせるのか。下絵を描いているわけでもないのに。談笑する余裕まである。


「いたっ」


 よそ見をしていて自分の中指を刺してしまった。ぷっくりと血が玉になった。それを口に持っていきそうになり、思いとどまる。口に含むと怒られるのである。令嬢がすべき行為ではない。


 ミリアは講師の所まで行って指を見せた。礼儀作法の講師でもある彼女は、いつものことと、何も言わずにミリアの指に包帯を巻いてくれた。すでに人差し指と親指にも巻いてある。


 包帯を巻けば多少は守られるので、最初から全部の指に巻いておきたいところだが、そうすると指が滑って進まないのだった。


 ソファに戻ると、針から糸が抜けていた。抜けないように慎重に置いたつもりだったのだが、ひっかけでもしたようだ。糸を針に通すのも苦手だ。糸通しが欲しい。せつに。


 結局、ミリアは時間内で完成させることができなかった。ハンカチのすみに小さくイニシャルと花を描くはずが、まだイニシャルすら半分ほどしかできていない。


 失敗しては糸を引き抜いているものだから、新品のハンカチのはずなのに、すでにぼろぼろだったりする。刺繍を入れれば付加価値が高まるはずが、逆に劣化させてしまっていた。


 他の令嬢はというと、何枚も完成させていたり、大きな図案に取り組んでいたりした。時間が余ったからといって、予定外の小鳥を追加したという声も聞こえていた。


 ミリアが完成しないのはいつものことで、講師は明日までに提出するように、と言った。大変厳しいお言葉であるが、本来ならば時間内に終わらせなければならないのだからこれでも温情がかけられている。


 成績が悪くても卒業はできるが、赤点をとると補修がある。毎日放課後に刺し続けるなど耐えられない。講師だってつきあうのは嫌だろう。だからミリアは毎回死ぬほどがんばって期限までに提出していた。


「――で、やってるわけか」


 ミリアの手元をジョセフがのぞき込んだ。


「何が何でも今日中に終わらせないといけないので」


 エドワード達とのお茶会の場で、ミリアは針と格闘していた。時間がないのならば断ればよかったのだが、今回のお菓子は魅力的だった。


 フォーレンに店を構える菓子店が、王都に出張出店したのだ。五日間だけの特別販売。ミリアはここのシュークリームが大好きだった。これを逃す手はない。自分で買いに出ようと思っていたくらいだ。


 だが、行列必至で学園が終わる頃には売り切れてしまうという。泣く泣く諦めたところ、エドワードが手に入れたと言ってきた。お菓子だけ欲しいと言ってもくれただろうが、そこまで厚かましくはできなかった。


 エドワードはひとしきり包帯だらけのミリアの手を心配していたが、あまりのしつこさにミリアがうんざりしたのを見て、それ以上言うのはやめた。


「それは何を刺繍しているのだ?」

「イニシャルとお花になる予定です」

「ミリアのイニシャルには見えないが……」

「私のではありませんから」


 針先を凝視しているミリアは、エドワードの目が鋭くなったことに気がつかない。


「誰かに贈るのか?」

「はい」

「誰に?」

「……」


 ミリアはエドワードの問いを無視したわけではない。少しずれたところに針が刺さってしまって、何とかリカバリできないかと全神経を集中していたのだ。糸を抜くとまた針に通すところから始めなければならない。そろそろ糸の耐久力も心配だ。ぷつっといけば、新しい糸で続きを始めなければならない。


「俺だな」

「どう見てもジェフではない。これは……わたしのイニシャルではないか!?」

「まさか」

「よく見ろ、絶対そうだ」

「……そう、見えなくもないな」

「だろう? ミリアはわたしのためのハンカチを刺繍してくれているのだ!」


 二人で言い合っているのを、アルフォンスは冷ややかな目で見ていた。ミリアのおぼつかない手元を見て、自分の方がまだ上手くできるだろう、とも思っていた。


 ふぅ、とミリアが息を吐いた。

 なんとか隙間を埋めて誤魔化すことができた。よく見ればわかってしまうが、遠目にはわからないはずだ。


 針を持ち替えて片手をあけ、紅茶を飲もうと顔を上げると、エドワードがその手を両手で握りしめた。


「ミリア、一生大切にするぞ」

「結婚はしませんが?」

「ち、違う、ハンカチのことだ」


 なんだ。唐突過ぎるプロポーズかと思った。


 ジョセフは横で吹き出していた。


「どうしてエドワード様がハンカチを大切にするんですか?」

「それはわたしにくれるのだろう?」

「いいえ?」


 ミリアは紅茶を一口飲んだ。何を勘違いしているのだろうか。


「いや、しかし、そのイニシャルはわたしの……」

「弟のです」


 ジョセフがまた吹き出した。


 ミリアが刺していたのはエルリックにあげるためのハンカチだった。いつも同じデザインで色を変えて刺している。毎度ひどい出来だが、雑巾の代わりにでもしてくれと言ってある。


 エドワードはショックを受けたが、すぐに立ち直った。


「エルリック、と言うのだったか。わたしと同じイニシャルだ。ならばわたしにくれてもいいのではないだろうか?」

「嫌です」


 ミリアの一蹴いっしゅうに、ジョセフは腹を抱えて笑い始めた。


「なぜだ? さっきも言ったが、一生大切にするぞ」

「だからです。こんなの後生大事に持っていられたらたまりません。エドワード様はどうぞもっと良質な物をお使い下さい」


 ミリアはそれだけ言って、刺繍に戻った。エドワードが何か言っていてうるさかった。黙れと言う前にジョセフが止めてくれて、ミリアは課題に集中することができた。


 指を刺すとエドワードが大騒ぎするのが目に見えていたので、それだけはすまいと心に念じ、イニシャルを完成させたころには、テーブルにはジョセフしか残っていなかった。


「終わった?」

「まだですけど……エドワード様とアルフォンス様は?」

「用事があるからって、先に行ったよ」

「じゃあ、ジョセフ様だけ残ってくれてたんですか?」

「ミリア」

「……ジェフだけ残ってくれてたの?」

「暇だったからね。ミリアを見てたかったし」


 嬉しそうに笑うジョセフを久しぶりに見た。いつもの軽薄な遊び人の笑顔とは違う。ミリアにだけ見せる顔だ。


「ありがとう」

「もう暗くなるから、残りは部屋でやった方がいいよ」


 そろそろ夕焼けが見られる時間になっていた。


「うん、そうだね」


 ジョセフはミリアを寮まで送ってくれた。歩きながら、生徒とすれ違うたびにすまして口調を変えるのが面白くて、二人で何度も笑った。


 ジョセフといるのは楽しい。

 だけど、やっぱりまだ、好きだという気持ちはなかった。

 

 

 夜、ランプの光の下で、ミリアは残りの花の部分をなんとか刺し終えた。目が痛い。首も痛い。肩も痛い。


 一応、何の図柄かはわかるだけの物はできた。これだけ何枚も同じデザインを刺し続けているのだから、少しは上達してもいいのに、と思う。新旧を並べればわかるのかもしれないが、古い物はとっくに捨てられているだろう。比較するためだけに自分用にもう一枚作る心と体の余裕はもちろんない。


 ミリアはできたばかりのハンカチを丁寧に畳んでテーブルの上に置き、目頭を揉みながらよろよろベッドにもぐり込んだ。

 

 

 翌朝、目が覚めたミリアは悲鳴を上げた。

 

 テーブルの上のハンカチが、無惨に切り刻まれていたのだ。

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