第24話 それストーカーって言うんですよ side ジョセフ

 最後の冬の休暇までの間、エドワードがミリアに執着しなくなったことで、ジョセフがミリアに接する時間はぐっと減った。


 一度、また二人でどうかと茶会に誘ってみたが、ミリアは決まり文句で断った。断られることに慣れていないジョセフは、それきり誘えていない。


 エドワードが初めて誘ったときに素気すげなく断られたのを見て、ジョセフは大笑いしたのだが、今は申し訳なかったと思う。エドワードはよく何度もめげずに誘えたものだ。嫌われていないとわかっていてもこれなのだから、あの頃のミリアを誘い続けるのはどれほどのプレッシャーだったことか。


 ジョセフができたのは、顔を合わせたときに少し言葉をわすくらい。それも、講義室で話しかけるとミリアが迷惑そうな顔をするので、廊下でばったり会ったときくらいだった。


 ジョセフはあせった。狙って落とせなかった女はいない。それも期間が短ければ言い訳も立つというのに、二年ももうけたのだ。すでに一年以上経過しているのにも関わらず、顔を合わせて話をするだけの知り合いポジションを獲得したあと、何の進展もなかった。


 休暇に入ってしまえば、ミリアとの勝負ゲームの残り時間は半年しかない。それまでに意識くらいしてもらいたい。


 なんとかならないものかとこっそりミリアを観察するも、一人でいるだけのミリアを見ていてもなんの情報も得られない。聞き耳を立てようにも誰とも会話をしない。


 どうしたものかと考えたジョセフは、昼休みと放課後の様子を探ることにした。ミリアの後をつけるのである。


 昼休み、ミリアが食事を終える頃を見計らってカフェテリアの近くに行った。昼休みが終わるまでカフェテリアに居続けるわけではないことは知っていた。


 ジョセフが廊下を歩けば頻繁に声がかかる。ミリアに気づかれない距離で適当に立ち止まり、にこやかに応対しながらミリアが出てくるのを待った。


 ミリアが現れればあとは簡単だ。校舎内は複雑に曲がりくねっているわけではない。警戒していないミリアターゲットを尾行するのは訓練にもならなかった。ついてくる令嬢たちは、エドワードからの頼まれ事だと言って追い返した。


 道すがら、もしやとは思っていたが、ミリアが入ったのが間違いなく図書室だと確認したとき、ジョセフはその場に立ち尽くした。


 ミリアが本好きなのは聞いていたが、こんな人気ひとけのない、校舎の端にある図書室に通っているとは思わなかった。


 だいたい、図書室は第一王子専用であるというのが暗黙の了解だ。ミリアはそれを知らず、初めて来たとでもいうのだろうか。ちょうどジョセフが後をつけたこの日に。


 そんな偶然があるわけがない。


 ミリアは第二王子エドワードだけでなく、第一王子とも交流があるのだろうか。


 図書室は窓がないか、あってもカーテンが閉め切られているだろう。そんな暗い部屋で二人は何をしているのか。


 知りたい気持ちと知りたくない気持ちがせめぎ合った。知れば一歩近づけるかもしれない。だが、世の中には知らない方がいいこともある。


 長々と悩んだあげく、ジョセフは図書室の扉を開け、隙間から体を滑り込ませた。


 中は真っ暗だったが、奥の方から光が漏れていた。本棚にさえぎられていて光源は見えないが、天井や壁に映る影がちらちらと揺れている。


 目が慣れるまでじっとしていようと息をひそめていると、話し声が聞こえてきた。


 内容までは聞き取れないが、二人いるようだった。一人はミリア。もう一人は男の声。状況からして第一王子だ。


 やはりミリアは第一王子と知り合いなのだ。


 もっと近づけば内容もわかるが、王子との会話を盗み聞きするような不敬は犯せなかった。


 出て行くべきか、と思っていたとき、ミリアが第一王子のことを、ギル、と呼ぶのが聞こえてきた。第一王子が、ミリア、と呼ぶ声もした。


 瞬間、ぎゅぅぅっと胸が締め付けられるような痛みがした。心臓が鷲掴わしづかみにされたようだった。


 またミリアが、ギル、と呼んだ。甘えた声だった。


 ジョセフは眩暈めまいがして立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。目をつぶり、耳を手でふさぐ。


 これ以上聞きたくなかった。ミリアが甘えた声で第一王子を愛称で呼ぶのも、第一王子がミリアを呼び捨てるのも。


 しばらくして平衡感覚を取り戻し、一刻も早く出て行こうと立ち上がると、声がしなくなっていた。


 暗い部屋に二人きりでいるのに会話がない――。


 最悪の光景が頭に浮かび、吐きそうになった。


 口を押さえてうつむくと、奥の光が大きく揺れた。


 光はだんだん近づいてくる。


 ランプを持って現れたのは、ギルバートだった。


 エドワードよりやや低い背丈せたけに細い体つき。あごの辺りでぱつんとまっすぐに切りそろえた髪は、手に持つランプの光ではわかりにくいが、淡い金色をしている。


「ギルバート王子殿下」


 エドワードの護衛とされているジョセフはギルバートに対しては目礼もくれいが許されており、学園内では他の生徒もひざまずくことは免除されている。


 だが、ジョセフを見上げた緑の冷ややかな目には、有無うむを言わさぬ圧力があった。

 

 ジョセフは反射的にひざまずいた。


「声を落とせ。……ジョセフ・ユーフェンか。ここで何をしている」


 ランプを顔に近づけてジョセフを確認したギルバートは、さらに圧をこめた目でジョセフを見下ろした。


 ギルバートとは数え切れないほど会っているが、はかなげで、柔らかな空気を持つ人だ。なのに、今は話し方も雰囲気もまるで違う。ここまで威圧感のある視線を向けられたこともない。


「ミリア嬢――ミリア・スタインが入って行くのを見かけて、声を掛けようと」

「その割には長く留まっていたようだが? 王族わたしの話を盗み聞きするとはいい度胸だ。エドワードの指示か」


 ジョセフの首に汗がつたった。


「エドワード殿下の指示ではありません。私の単独行動です。間諜かんちょうのような真似をするつもりはありませんでした。何も聞いてはおりません」


 ギルバートが探るようにジョセフの目をのぞき込んだ。


「……まあいい。聞かれて困るようなことは話していない。知ればミリアは嫌がるだろうが」


 ギルバートが、ミリア、と呼び捨てたのを聞いて、ジョセフは瞳を揺らした。


「この件をエドワードに報告するか?」


 言外げんがいに報告するなと言っているが、ジョセフのあるじはエドワードであり、加えて、王太子エドワードが命じれば、第一王子ギルバートの言葉より優先される。


「聞かれない限りは、何も」


 ジョセフにはそう答えるしかなかった。


「報告しても構わん。だがその時は、邪魔はするなと伝えておけ。ここに来るのは彼女の意志だ。彼女の意を曲げるようなことがあれば、エドワードであっても許さない」

「……承知しました」

「お前もここには近づくな。わかったら下がれ」

「承知しました。失礼致します」


 ジョセフが図書室を出るまで、ギルバートはジョセフから視線をはずさなかった。


 逃げるようにその場を去った。図書室からだいぶ離れた場所まで来てから、ジョセフは手頃な空き教室を見つけて入り、閉めた扉に背を預けた。そのままずるずると座り込む。


 ――勝てない。


 ギルバートは怒っていた。ジョセフが図書室に入り込んだせいだ。あのギルバートがあそこまでプレッシャーをかけてくるのだから、相当な怒りだったに違いない。その迫力は、かつて王太子にと強く望まれていただけのことはあった。


 そして、二人が恋人同士なのも明らかだった。互いの呼び方、ミリアの甘えた声、ギルバートの怒り、邪魔をするなという言葉。図書室での全てがその事実を示していた。


 ――勝てる訳がない。


 ミリアにすでに恋人がいて、これ以上続けても恋愛ゲームは負けで決まりだ、という意味だけではない。


 第一王子は完璧だ。唯一の欠点と言えるのが、病弱で公務に耐えられないということ。しかし今すぐ命に関わる病ではない。王太子としては致命的であっても、王太子でさえなければ大した問題ではなかった。


 婚約者はいない。王位継承権を放棄したときに、進んでいた婚約の話は流れた。その後うやむやになったまま誰とも婚約していない。


 王族が元平民の男爵令嬢と結婚するのは難しいだろうが、継承権がないのだから不可能ではないだろう。ギルバートなら上手くやるんだろうな、と漠然と思った。


 ははっ、と乾いた笑いが漏れる。

 立てたひざの上に腕を乗せ、顔をせた。


 うめき声が出そうなくらい胸が苦しくて、ジョセフはミリアのことが好きなのだと自覚した。


 ミリアを落とすゲームをしていたはずが、逆にジョセフが心を奪われてしまっていた。あれだけ女遊びをしておいて、今の今まで気がつかなかったなんてお笑い草だ。しかも気づいた瞬間には失恋している。


 ジョセフがまさっているとすれば剣術くらいだ。だがその腕をミリアが重視するとは思えなかった。であれば何にもならない。

 

 ジョセフの入り込む隙はまるでなかった。


「あー……」


 ジョセフは、顔を上げて後頭部を扉につけた。やけに豪華な天井画が目に入る。


 思い返せば、きっかけは、王都で弟といたミリアを見つけたことだろう。あのときのミリアの姿が強烈に心に焼き付いている。


 ドレスを贈りたいだなんて、独占欲以外の何物でもないではないか。なぜそのときに気がつかなかったのだ。


 これまでそれなりに好きになった子もいたが、ミリアへの気持ちは比べようもなかった。


 これが恋なのだとしたら、なんと苦しい感情なのだろう。


 今まで遊んできた彼女たちも、こんな気持ちを抱えていたのだろうか。


 ぎゅうぎゅうと絞られるような胸の痛み。

 自分の物にしたいという強い渇望。


 ギルバートはミリアになんと愛をささやくのか。

 ミリアはどんな顔でそれにこたえるのか。


 笑っていてほしいのに、その笑顔が、ふわふわのピンク色の髪が、物怖ものおじせずにまっすぐに向けられるピンクの瞳が、愛らしい唇が、白い首が、細くなめらかな指が、柔らかそうな体が、全て他の男の物なのだと思うと、ぐちゃぐちゃにしてしまいたくなる。


 もしも相手が下らない男だったなら、何をしてでも奪うのに。


 第一王子ギルバートがいなくなれば、ミリアは自分を見てくれるだろうか。甘えた声で名を呼んでくれるだろうか。


「馬鹿だな……」


 物騒な考えが頭に浮かび、両手で目を覆った。




 ジョセフは、ミリアへの想いにふたをすることを決めた。

 

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