第15話 よりによって薔薇ですか

 ジョセフ抱擁ほうよう事件の翌朝、ミリアの部屋に紅い薔薇ばらの花束が届いた。エドワードからだった。


 届けにきたエドワードの侍女達は困惑するミリアを押しのけて部屋に入り、テーブルの上に高価な花瓶かびんを設置して手際よくけると、丁寧に頭を下げて出て行った。


「一体なんなの……」


 備え付けの調度品をそのまま使い、装飾もせずにシンプルでしかなかったミリアの部屋に、ぱっと赤い色が咲いている。


 エドワードから直接花を渡されたことは今までにもあったが、それはせいぜいキッチンブーケほどの小さなもので、ここまで豪華な、しかも薔薇の花束は初めてだ。


 どれも完全に花開いていて、つぼみや開いたばかりの花をほどよく混ぜるような、長く楽しめるようにしたものではなかった。実用性よりも見栄みばえに特化している。


 この時期にこれだけ見事に咲き誇っているのだから、温室で育てられていたのだろう。お高そうだ。


 前日の騒動に対するおびの気持ちなのだろうか。それともジョセフに無体むたいをされたミリアへのお見舞いだろうか。であればなんと気遣いのできる人かと感心し、喜んで受け取るが……。


 そんなわけはなかった。




 寮から出ようとすると、外が騒がしかった。人だかりができている。ご令嬢の。女子寮の前なのだから令息がいないことへの不自然さはないが……。


 ぶんぶん、と頭を振ってよぎった悪い予感を追い出す。考えるとフラグが立ってしまう。


 だが抵抗むなしく、人の輪の中心にいたのはエドワードだった。令嬢たちとにこやかに話している。


「ミリア嬢!」


 ミリアを目にした途端、エドワードは駆け寄って来た。


「おはようございます、殿下。今日は早いですね」


 令嬢たちから、ぎろりとにらまれた。またあのなのね、と。


 顔ぶれは、毎朝正門でエドワードの入り待ちをしている令嬢たちだった。馬車を降りて歩くエドワードを囲み、校舎まで一緒に行くのだ。王子様でも見るような目をして。事実エドワードは王子なのだが。


 ちなみにジョセフとアルフォンスはエドワードと一緒に学園にくるのがつねで、二人を目当てに入り待ちをする令嬢もいる。きっとファンクラブ的なものもあるのだろう。ミリアは他の令嬢たちと交流がなく、朝は比較的早いので詳しくは知らなかった。


 今朝のエドワードは一人だった。珍しいこともあるものだ。ミリアが行くよりも早く来ていること自体が珍しい。


 自惚うぬぼれるのはよくない。エドワードは他の令嬢に用があって、たまたまそこへミリアが出てきたのだ、とポジティブに考えてみるも、ミリア嬢を待っていたのだ、と言われた。


「なんの用ですか」


 多少冷たい反応になってしまうのは致し方ない。

 寮の前で待たれるなど迷惑以外の何物でもないからだ。


「校舎まで一緒に行こうと思ってな」

「そうですか」


 かくしてミリアは、王太子様と共にご令嬢方に囲まれて歩くことになった。


 エドワードは懸命に話しかけてくる令嬢たちを適当にあしらいながら、ミリアに話しかけてくる。会話を続ける気のないミリアは、同じく適当にあしらった。


 なんとかエドワードから離れようと速度を落としてみるが、エドワードもそれにあわせて足を遅くする。令嬢たちもそれに追随ついずいするので、だらだらと移動することになり、この状況が早く終わって欲しいと思っているミリアは、結局足を早めた。


 そんなミリアに、ごうを煮やしたのか、エドワードが爆弾を落とした。


「贈り物は気に入ってもらえただろうか」

「……はい。ありがとうございました」


 顔を合わせたときに礼を言うべきだったのだが、後でこっそり言うつもりだった。こんな大勢の前でではなくて。


「香りのいい薔薇だっただろう?」


 言われてミリアは目を丸くした。


 ここでそこまで言う!?


 無神経だ。


 エドワードは婚約者の名前をど忘れしたらしい。頭の検査に行くべきだ。そのまま入院すればいいのに。

 

「……そうですね。紅い色がきれいでした」


 ミリアはそう言うしかない。

 

 エドワードは満足そうにうなずいた。ご令嬢様方が発する黒くどろどろとした怨嗟えんさの空気の中、一人でご機嫌になっている。


 幼い頃から注目され続けた弊害なのだろうか。ごくごく平凡に育ってきたミリアは今にも窒息しそうだというのに。記憶を取り戻す前はかなり鈍感だったという自覚はあるが、これほど強い思念にさらされていれば、さすがに気がついたと思う。矛先ほこさきが自分でなかったとしても。


 ミリアはどんよりとした曇天どんてんを見上げた。


 まだまだ校舎は遠い。


 

 やっとの思いで講義室にたどり着き、ミリアは隅の席へとさっさと向かった。エドワードの定位置、中央前方の席とは離れている。


 だが、エドワードはミリアを追いかけてきた。


「昼には雨が降る。だからカフェテリアで共に食事をとろう」


 そう、今日の天気は悪かった。


 先ほどの空の様子は、今にも降り出しそうなほどだった。昼まで到底もちそうもない。


 やはりエドワードはミリアが庭園に行っていることを知っていたのだ。その上で誘っている。


 半年間も晴れ続けることはあり得ない。むしろよく続いた方で、そのうち降ることはわかっていた。エドワードは宣言通り食事の場所をカフェテリアに移したようだし、雨の日にエドワードと同席するのは断り切れないかもしれない、と覚悟していた。

 よりにもよって今日でなくてもいいじゃないか、と天を呪いはしたが。


 だがまさか、エドワードに正面切って誘われるとは思わなかった。


 しかしこれはミリアにとっては僥倖ぎょうこうである。強引に座られるより断りやすい。


「ご遠慮します」


 失礼だとわかっていて席に座り、いつものように一言で断った。


 食い下がってくるかと思ったミリアの予想に反し、エドワードは、そうか、と悲しい声を出すと、あっさりと引き下がった。


 が、エドワードは次の休憩時間、強力な武器をたずさえて再戦を挑んできた。


「では個室にしよう。ミリアの好きなメニューを用意させる。食後のデザートもつけるぞ。そろそろ季節物が出る時期だ」


 ぐっ、とミリアの心が揺らいだ。


 王都に出ないミリアは、ケーキの新作が出た、シュークリームのレシピが変わった、パティシエが移籍したらしい、他国産の果物を使ったフェアをしている、といった令嬢方の噂話を耳にするたびに、行きたくて行きたくて仕方がなかった。


 別に我慢せずに行けばいいのだが、誘う相手がいないし、家から護衛を呼ぶのも大げさすぎる。


 王都は、大通りであればミリアが独りでふらふらと歩いても平気なくらいには治安がいい。ご令嬢らしくない服を着ていれば危険度はさらに下がる。だが、独りでいるところを商会関係者に見つかると、後でエルリックに叱られる。なぜ弟に報告が行くのか。


 たまにエドワードのお茶会を受けるのは、実はデザートが目的だったりしていた。甘い物が恋しくなってくると負ける。要は餌付えづけされていたのだった。

 

 デザートは捨てがたい。

 好きなメニューを用意してくれるなら、少な目に作ってもらうこともできるだろう。そうすれば最後まで美味しく食べられる。


 ――だが断る!


 ここで負けてはいけない。


 大体なんだ、好きなメニューを作らせるとは。おかしいではないか。カフェテリア同様、決められたメニューから選ぶはずなのだ。学園の厨房ちゅうぼうを私物化するつもりか。


「お断りします」


 むぅ、とエドワードが眉を寄せて口をとがらせた。


 王太子様、人前でその顔は王族としてどうかと思いますよ。


 


 昼休み。


 なぜかミリアの向かいの席にエドワードが座っていた。その隣にはアルフォンスがいる。


 二人はカフェテリアに向かうミリアについて来たのだ。しかもエドワードはミリアと共にカウンターに並び、自らトレイを運んだどころか、ミリアのトレイまで持つ始末だった。


「エドワード王太子殿下、わたくしは先ほど、殿下のお誘いをお断りしたのですけれど?」


 わざと他のご令嬢のように丁寧に言う。


 ミリアだってやればできるのだ。……少しの間なら。


「そうだったか?」


 エドワードは笑顔ですっとぼけた。


「殿下、はっきりと申し上げます。こういうのは困るのです。わたくしのことはお気になさらず、どうぞ他の方々との親交を深めて下さいませ」

「料理が冷めてしまう。食べようか」


 聞けよ。


 エドワードの見事なスルーに、本音が顔に出た。さすがに声には出さなかった。


 どうにかしてくださいよ、とアルフォンスを見るが、じっと無表情が返ってきた。いつも止めてくれる側だったのに、明らかにを越している今、なぜ止めてくれないのか。裏切られたような気分だ。


 エドワードは気品あふれる仕草で優雅に食事を始めた。

 隣のアルフォンスもそれに続く。


 チャンスだ。


 ミリアはさっと席を立った。トレイを持って。


 一人で別のテーブルに行こうと言うわけである。

 王太子が食べている前で失礼なことこの上ないが、勝手に居座るエドワードだって悪い。それにもう、なんだか色々いまさらな気がした。


 しかし、間髪かんぱつ入れずにエドワードも立ち上がった。トレイを持って。


 手にしていたカトラリーを乱暴に置いたのだろう。皿に当たる音がやけに大きかった。倒した椅子は、すぐ側に待機していた給仕がすかさず支えた。


 他の生徒も響いた音にぎょっとしている。


「場所を変えるのか?」


 エドワードは驚いているミリアに平然と聞いた。


 エドワードがマナーを捨てるのは想定外だった。


 ミリアがここまで拒否しているというのに、エドワードは譲らない。少し強引過ぎやしないだろうか。逃げるミリアも無理矢理過ぎるのではあるが。


 アルフォンスまでもが立ち上がっているのがこたえた。


「いえ」


 せめてもの抵抗に、ミリアは一つ隣の椅子に移り、アルフォンスの正面に座った。


 個室に引っ張り込まれなかっただけいいよね、とか、二人きりじゃないだけましだよね、とポジティブ思考に切り替えて、ミリアは食事を楽しむことにした。


 周囲の反応はシャットアウト。

 食事に集中する。


 なんたって久しぶりのサラダだ。


 寮の食事は温野菜しか出ないので、生野菜が食べられるのはとても嬉しい。


 エドワードが振ってくる話に受け答えしつつ、ミリアは食事を味わった。



 食べ終わり、お茶を飲んでひと心地ここちついたところで、あえて地雷を踏みに行った。ここまできたら皿まで食べてしまうことにする。


「今日はジョセフ様は休みですか?」


 エドワードが顔をしかめた。


 朝からジョセフを見ていない。

 講義にいないのは初めてのことだった。風邪一つひかないのだ。


謹慎きんしんしている」

「謹慎?」

「ミリア嬢にあんなことをしたからな」


 エドワードが吐き捨てるように言った。


 学園中に知れ渡るということは、当然教師も知っているし、何より貴族大人達の間にも広まっているということだ。


 ミリアに言わせればたかが抱擁ほうようで、嫌悪感があったわけでもないのだが、女性に乱暴したのには変わらない。評判を気にする貴族社会ではそうなるのだろう。


 と思っていたら、アルフォンスが「自主的にです」と補足した。罰を受けたのではないらしい。


 ……それはそれで釈然としない。


 これが他の令嬢だったらまた違ったのだろう。伯爵家か侯爵家ならば訴えることができるのではないか。いや、男爵家であっても、傷物にされたのだから責任をとれ、と言えるのかもしれない。ミリアに言う気はないが。


 それに、エドワードだって同じことをしたのに、なんだか不公平ではないか、という気持ちも起こる。ジョセフが反省するならエドワードもすべきだ。ミリアの主観ではそういうことになる。


 崩れ落ちそうになったところを助けてくれたのは感謝しているが、ジョセフから解放してくれさえすればよかったのであって、抱き締める必要はなかった。大体、エドワードのおかげで狙いをはずしてしまっただけで、ミリアも自分で解決できそうだったのだ。


「マリアンヌ嬢はショックで寝込んでいるそうだ」

「ですよね……」


 眉を寄せたエドワードに言われ、ミリアはがくりとうなだれて頭をかかえた。


 講義室にはマリアンヌもいなかった。ジョセフ同様、目を引く三人組が一人欠けていればそれはそれは目立つ。


「婚約者を泣かせて何をやっているのだ、あいつは」

「……」


 エドワードが言うセリフではない。


 婚約者ローズを放って何をやっているのか、王太子様は。


「……そろそろ行く」

「え?」


 エドワードが懐中時計を見て席を立った。

 想定よりだいぶ早い。エドワードのカップにはまだ半分お茶が残っている。


 思わず驚きの声を上げてしまったミリアに、エドワードが嬉しそうな顔をした。


「なんだ? いて欲しいのか?」

「そんなことは全くありません」

「そうか。ではまた午後に」


 ミリアが否定して立ち上がると、苦笑いをしたエドワードと、なぜか憮然ぶぜんとしたアルフォンスが立ち去った。アルフォンスのお茶はほとんど減っていない。まだゆっくりしたかったのだろうか。



 また午後に、とは言われたが、休憩時間に話をし、講義後に別れの挨拶をしただけだった。


 休み時間のたびにエドワードがやってくるものだから、てっきり放課後もつき合わされるものだと思っていた。切り抜ける方法はないかと考えを巡らせていたのに、なんだか拍子抜けだ。


 一日中エドワードに悩まされ、ギルバートが不在でお昼寝ができなかったので、今日は図書館には行かずに自室に戻ることにした。少し横になりたい。


 帰ってみると、部屋には新しい薔薇の花と手紙が届いていた。

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