4章

第29話

 



 後日。といっても、あの監禁未遂事件から数時間が経った昼時の事である。



 俺は数時間前に遭遇し、体験してしまった事件の概要を愚痴として、いつもの聞き役である神谷と津田の二人に話していた。



 場所は会社近くに立地している、安価な価格で商品を提供するファミレスでだ。



 ここでの昼飯を奢る代わりに、二人には俺の愚痴に付き合って貰っている。



 しかし、俺の愚痴に付き合う対価として、この店で奢る事が妥当かどうかは分からない。



 そう言えてしまうのは、俺がここにすると言って選んだ訳ではないからだ。



 この店を選んだのは、神谷と津田が二人で協議した結果だからである。



 が、俺の財布の事情からすると、非常に大助かりである。



 あまり高いものを奢れと言われても、俺にだって限りがある。



 一応、貯蓄はあっても収入は一定であり、限度というものは存在する。



 今後の事や出費を考えると、そうした二人の気遣いはありがたいものだった。



 ちなみに、津田は単品のざるそばを注文し、神谷はボリュームのあるハンバーグプレートを頼み、それを食べていた。



 そして俺は―――アイスコーヒーのみを頼み、料理の注文はしなかった。



 別にこれは節約だとか、出費を抑えようとしてでの事じゃない。



 料理を頼まなくても、ちゃんと俺には昼飯が用意されているからだ。



 もちろん、それが何かは言うまでも無いだろう。その正体は、今朝方に香花が作ってくれた弁当である。



 昨日のあの後にも関わらず、栄養バランスをしっかりと考えられた内容の弁当を、彼女が出掛ける際に持たせてくれたのだ。



 ただ、ファミレスで持参した弁当を広げ、それを堂々と食べる訳にはいかない。というよりも、そんな勇気は俺には無い。



 なので、ここでは飲み物だけで済ませておく。弁当は後で会社に戻った時にでも食べようと思う。



「と、まぁ……そんな感じな事があってな。全く、本当に苦労させられたよ」



 粗方の概要を二人に説明し終えた俺は、手元に置かれているアイスコーヒーの入ったグラスを手に取り、挿してあるストローに口をつける。



 内容が内容なので、俺は長い時間を掛けて、二人に実際に体験した事を語り尽くした。



 だからこそ、説明を終えた頃には当たり前ではあるが、喉が渇いて仕方なかった。



 渇いた喉を潤す。その生命における、当然の生理的な欲求を満たすべく、俺はコーヒーを飲んだ。



「……ふぅ」



 グラスに入っていた半分の量を飲み、俺は一息吐く。



 語り尽くした事による解放感からか、それとも渇きを潤した事による達成感からか。



 何とも言えない満足感が、俺の胸の中に満ちていく。



 こんな爽快な気分を味わうのは、随分と久しぶりである。



 特にここ最近は色々とあったので、より強く俺にそう思わせているのだろう。



 やっぱりこういう時に、話せる相手がいるのは良い事だ。



 悩みを打ち明けれる相手が身の回りにいる。俺はそういった境遇に感謝の念を抱いた。



 そう感じながら俺はグラスをまた元の位置にへと戻し、二人にへと視線を向け、反応を伺った。



「ん?」



 視界を向けた先、そこには浮かない表情をした神谷と津田の姿があった。



 まぁ、それは想定の範囲内だ。こんな話をされて、晴れ晴れとした表情にはならないだろうから。



 二人共、人の不幸話を聞いて、愉悦を感じる様なタイプの人種では無い。



 しかし、妙なのは二人が食事をする手を止めている事だった。



 神谷も津田も、注文した料理を半分は手をつけていたが、残りは全くと手をつけていない。



 というよりも、箸を置いて完全に食べる気を無くしていた。



 一体、どうしたのいうのだろうか。不思議に思い、俺は首を傾げてしまった。



「どうしたんだ? 別に手を止めてなくてもいいんだぞ。食べながら聞いてくれても良かったのにさ」



「いや、お前……」



「あのさぁ……」



 俺が遠慮なんてしなくてもいいという旨の言葉を口にすると、二人は恨みがましい視線を送りつつ、そんな事を言ってきた。



 神谷は右手を額に当てて頭を抱え、津田は有り得ないとばかりに呆れている様子である。本当に、何があったのだろうか。



「奢って貰っておいて悪いけどさ……もう、いらないや。これ……」



「私も……」



 そして二人はそう言うと、自分達の目の前にある食べ残しの料理を、何故か俺にへと差し出してきたのだ。



「お前のせいだから、責任取って食べてくれよな……」



「そうね。これは完全に、依田が悪いわね……」



「は? いや、どういう事だよ」



「いや、あのさ……あんな話を食事中にされてさ。箸が進むと思うか?」



「寧ろ、逆よ。逆。食欲が無くなるわ。だから、もういらないの……」



「しかも、俺……同じハンバーグだし。もっと考えてくれよな、そういうところ……」



 と、二人に思いっきり駄目出しをされてしまった。しかも、俺の前には二人の食べ残しが並んでいる。



 この後に香花の弁当が待っているというのに、この二つも食べてしまったら苦しい展開となってしまう。



「で、でも……これは香花が作ったものじゃないし、お店の料理だからさ。安全基準はしっかりと守られた上で提供されているはずだぞ」



「それは分かってるけど……連想しちゃうんだよ、こういうのはさ。入っていないと分かってても、もしかすると……ってな感じで」



「ホラー映画やドラマを見た後に良くあるやつよ。全く、本当に依田ってこういうところは、神谷以上にデリカシーが無いわね」



「って、おい、津田。さらっと俺をディスってるんじゃない」



「は? 何を言ってるのよ。神谷にデリカシーが無いのは、周知の事実でしょ。昨日の事、私はまだ忘れてはいないわよ」



「いや、お前。あれは―――」



 そうして二人は俺をそっちのけで口論を始めてしまった。こうなってしまうと、俺にはもう手はつけられない。



 蚊帳の外に置かれてしまった俺は少し考えた後、二人から差し出された料理にへと目を向ける。



 正直、弁当があるので食べたくは無かったが、せっかく注文して作って貰い、この後にお金を払うはずの料理だ。



 食べ残すのは作ったお店のスタッフにも悪いし、お金を払うのに食べ残すというのは勿体無いと思ってしまう。



 そして、そうなってしまった原因は俺にあるという。なら、取るべき手は一つだけである。



「……いただきます」



 目の前で繰り広げられる口論を眺めながら、俺は使われていない箸を手に取り、二人の食べ残しを口にした。



 味は、まぁ……ファミレスの味、という感じだろうか。特に何の変哲も無い、普通の美味しさだった。



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