第23話
これまでずっと、曖昧にしてきた事。そして目を背けて逃げ続けてきた事。
それらに対して、俺は今度こそ向き合わなければならない。俺の本心を、香花に向けて伝えなければならない。
(覚悟を、決めるか……)
俺は固唾を呑み込んだ後、腹を括った。そして逸らしていた視線を、彼女に向けて真っ直ぐと合わせる。
相も変わらず、彼女からの威圧は凄まじかった。無機質で光の灯らない瞳を前にすると、少しでも気を抜けば怯んでしまいそうだった
彼女の瞳から発してくる圧に負けそうになるが、どうにか俺は堪えた。ここで逸らしてしまっては、言う前から負けてしまう。
正直なところ、上手くいくとは思ってはいない。彼女は俺の考えている事が分からないと言っていたが、俺にだって彼女の考えは分からないのだ。
だからこそ、何を言えば正解で、何を伝えれば喜んで貰えるかなんて、分かるはずもなかった。
(そうだ……最初から、そうだったんだ……)
俺は香花と話す上で、いつも何が最善で正解なのかを考え、それを語ってきた。
自分の身の安全を最大限に優先し、上辺だけの取り繕った言葉を、彼女に向けて伝えてきた。
その結果が、今に繋がってしまったのだ。安全策を講じていたつもりが、自らの首を絞めていたという事である。
本心で香花と語らなかったからこそ、彼女の中で疑心や不満が積もりに積もっていき、その感情が爆発し、この凶行にへと発展してしまったのだ。
それを香花は先程、俺に伝えたかったのだろう。それが分かり、俺はようやく納得がいった。
かといって、全てに納得がいった訳では無い。彼女の主張を理不尽だと思う部分もあった。
本心で語って欲しいと彼女は言うが、そもそもの始まりは彼女が俺をストーカーし、脅迫して付き合い始めた事が発端である。
そんな相手を前にして、本音を語れというのは難しい話だ。実際に俺がそうだった様に、相手を恐れて自分の主張から遠のいた事しか言えなくなるのだ。
それなのに、彼女はそれを不満だと口にするのだ。その主張は身勝手としか思えないものである。
(でも、それが香花らしいというか……何というか……)
俺も相当に、香花によって毒されているのだろう。慣れてしまった彼女の独善性に、不思議と憎悪といった感情は沸かなかった。
寧ろ、すとんと腑に落ちている自分がいる事に気づかされる。彼女ならそうするだろうと納得をしているからだ。
香花と暮らしたこの半年間で、俺も変わったという事だ。以前の俺なら考えられない。彼女の異常性を、共感出来てしまったのだから。
「……なぁ、香花」
俺は短くそう言って、彼女の名を呼び掛けた。待ち侘びていた香花はその声に直ぐ反応し、先程よりも自分の顔を俺の眼前にへと接近させる。
数字にすれば10センチかそこらか。もう少しだけ近づけば、キスが出来てしまう。そんな距離であった。
「答えは、出たの?」
「あぁ、出たよ」
「じゃあ、聞かせて欲しいな。まーくんが、私の事をどう思っているか」
淡々と彼女は無機質な表情をしたまま、俺にそう尋ねてくる。
しかし、先程と違う部分が一点だけあるのを、俺は気付いてしまった。
それはあまりにも近距離で彼女の顔を見ていたからこそ、分かった事だった。
光の灯っていなかった彼女の瞳が、少しだけ潤んでいるのを俺は見てしまった。
彼女もきっと、怖いのだと思う。本心を言えと言っておいて、俺の口から拒絶の言葉が出てくる事が。
ここまでの事をしておきながらも、俺に嫌われる事を恐れているのだろう。そうでなければ、そんな反応はしないはずだ。
「俺は……」
これから香花に告げるこの言葉は、彼女を傷つけてしまうだろうか。俺の人生に終止符を打つ事となる原因となるのか。それは俺も分からない。
けれども、それは紛れも無く俺の本心だった。そして彼女が望んだ事でもあるのだ。それなら俺は、これを言わなければならない。
「香花の事を、どう思っているかは……」
覚悟を決め、意を決した俺は、彼女に向けてこう口にした。
「ごめん、分からない」
好きだとか嫌いだとか、そんなはっきりとした言葉ではない。これまでと同じ、曖昧な言葉を香花に向けて告げたのだった。
「……えっ?」
それを言われた彼女はきょとんとして、何を言われたのか分かっていない様子だった。
恐らくは、香花もこの答えは想定していなかっただろう。拒絶か受け入れるか、そのどちらかで考えていただろうから。
けど、申し訳ないがこれが俺の答えだった。男らしさの欠片も無い、あやふやな回答だったが、今の俺が出せる、本心からの言葉である。
「悪いけど、まだ俺にも分からないんだ。どう思っているかなんて……まだ答えれない」
それを彼女に分かって貰う様に、俺はもう一度同じ言葉を伝える。彼女は目をぱちくりとさせながら、それを聞いていた。
「その、さ……香花の事は可愛いとは思っているし、家事とかもしっかりとしてくれていて、とても助かってるんだ」
「う、うん……」
「そういった事を鑑みると、まぁ……自慢の彼女、というか……」
「じ、自慢の、かのっ……」
『自慢の彼女』と、俺は慣れない言葉を口にすると、香花の顔が一瞬の内に沸騰し、赤く染まった。
俺も慣れてはいないが、彼女も慣れていないだろうか。その様な反応を示したのは、初めて見る姿だった。
ただ、よくよく考えてみれば、こうした言葉を彼女に向けて口にした事は、あまり無かったかもしれない。
なので、そうした耐性は無いのだろう。今まで知らなかったが、案外と攻めには弱いのかもしれない。
いつもとは違う新鮮な反応を見せられ、俺は不覚にも笑みが零れそうになった。
しかし、場面が場面なので、どうにか気を引き締めて心の中だけに留めておく。今のこの状況で、気を緩めている場合ではないのだから。
「だ、だけどさ。こういった事をされると、そうとは思えなくなるし……な」
縛られた両手を動かして、こういう事だと主張しつつ、俺はそう言った。
「せっかく香花の良い部分があるのに……こういった事で台無しになるのは、勿体無いと思うんだ」
実際のところ、それで損している部分は多々あるだろう。いや、ほとんどがそうだと思う。
縛られて喜ぶ様な変態であればともかく、俺は全くのノーマルな思考だ。縛られて喜んだりはしない。
その上、更に監禁まで加わろうものなら、好感度はもっと低下する。所謂、バッドコミュニケーションだ。
「だからさ……まだ答えを出せる様な状態じゃないんだ。まだはっきりと、気持ちに整理がついていないから……」
本当なら、これが告白された時に出ていれば良かったのかもしれない。状況に流されて付き合い始めてしまったから、より事態が悪化してしまったのだ。
しかし、あの時は今以上に混乱していて、その答えにまで辿り着けなかった。正常な判断がまるで出来ていなかった。
「それに……俺も香花の事を、まだ良く分かっていないしさ」
香花は俺の事を良く分かっているだろうが、その逆は全くと分かっていなかった。
まだ彼女について、知らない事が多すぎる。それなのに、彼女を好きになるというのは難しい。相手の事を分かってもいないのに、愛せれる訳が無かった。
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