第15話

 



 来た時とは逆の道のりを、俺は早足気味に帰っていく。



 俺の動きはしっかりと監視されているので、こうして帰った方が香花の印象は良いとは思う。



 逆にゆっくりと帰る必要も無いし、それをすればどうして急がなかったのかと、彼女からの追及を受ける事になるだろう。



 なので、普通は10分ぐらいは掛かるところを、俺は7分程で家にへと帰る事が出来た。



「さて……香花の機嫌は、どうだろうか……」



 俺は玄関の前に立つと、いつもは鍵を取り出すところを取り出さず、ドアノブに向けて手を伸ばす。



 先程に終わって帰ると彼女に伝えてあるので、きっと施錠はされていないはず。そう思っての事だった。



 そして案の定、鍵は閉まっておらずに開いていた。俺はドアノブを回し、玄関の扉を開けた。



「ただいま」



 開けた直後に、そう言うのも忘れはしない。しかも聞こえやすく、少し大きめの声でだ。



 寝ていると思われた香花を起こさない配慮だったとはいえ、昨日は彼女に聞こえなかったという理由で襲われ、拘束されてしまっているのだ。



 今日もそれで、同じ轍を踏む訳にはいかない。だから香花に聞こえる様にそう言ったのだ。



 そしてその考えは上手くいった。部屋の奥の方から、バタバタとした足音がこちらに向かって響いてきた。



 俺の声に気づいた香花が、走って俺の元にへと向かってきているのだろう。



 ここが2階や3階でなく、1階で助かった。他の階ならもれなく、下の階の住人から苦情が来ていただろうから。



「おかえりっ、まーくん!」



 数秒もしない内に、喜びの色を全面的に押し出し、香花が俺の前にへと顔を出した。



 俺としては顔を出すだけで良かったのだが、彼女は元々の勢いをそのまま保った状態で、更に俺の元にへと駆け寄ってくる。



「今日も1日、お疲れ様っ!」



 そう言った後、俺の不意をつく様に、香花は俺の胸にへと飛び掛かってきたのだ。



 彼女のその唐突な行動は、俺にとって完全に予想外のものであった。



 恐らくは、出迎えをしようとする気持ちと、一刻でも早く俺と触れ合いたいとかそんな気持ちが混合し、そういった行動にへと昇華させてしまったのだろう。



 俺に抱きつこうと宙を浮かぶ香花。そしてそれを見て硬直してしまった俺。



 正直、受け止めたいとは思えなかった。瞬間的な判断で回避し、避けてしまいたい。



 ここで避けてしまえばどうなるのか。考えるまでもない。大惨事必須である。



 避けた先に待つ玄関の扉、もしくは床に香花は顔を打ちつけ、最悪の場合は大怪我を負うのだ。



 しかし、それだけならまだいい。いや、怪我をする時点で良くはないが。



 それよりも彼女を受け入れなかったという理由で、俺がそれ以上の最悪な目にあう事の方がより恐ろしい。



 ここで避けてしまうなんて事は出来ない。変な好奇心は猫を―――俺を殺してしまうのだ。



 だから俺は、飛び掛ってきた香花をしっかりとその身で受け止めようと手を伸ばす。



「ぐっ……!」



 その直ぐ後、香花の身体が俺の胸にへと衝突し、衝撃が俺の全身を走っていった。



 勢いを殺し切れずに少しだけ後退をしたが、何とか無事に彼女を受け止める事に俺は成功する。



 失敗をし、彼女を怒らせるといった悲劇な結果にはならなかった。その事に俺は胸を撫で下ろし、ホッと安堵した。



 怪我をせずに香花も助かったが、俺も助かった。後者のこの結果が、特に重要である。



「えへへ♪ ありがとう、まーくん♪」



 しっかりと俺が受け止めた事で、香花はご満悦の様だ。俺の胸の中で、彼女は満面の笑みを浮かべていた。



「う、うん。でも、な。今度からは、気をつけような……」



 ここで何も言わなければ、彼女はまた次も同じ様な事をするだろう。いや、絶対にやる。やってしまう。



 なので、俺はそう言って彼女を窘める。聞いて貰えるかどうかは分からないが、言わなければ物事は伝わないのだ。



「えー」



 すると、香花は不満の声を漏らした。不服だと言わんばかりに、頬を膨らませてその意を表明している。



「まーくんはこういうの、嬉しくはないの……?」



 その可愛らしい仕草に、俺の心は若干揺らいでしまう。こういう場合において、そういった武器を持ち出してくるのは卑怯だと思った。



 偶にであれば許してもいいのではないかと、そんな考えが少しだけ浮かんでくるが、俺はそれを直ぐに打ち消した。



 許してしまえば、彼女は際限なくそれを実行するだろう。そうなれば、俺の身が持たない。いつかは崩れ落ちる未来が待っているであろう。



「ほ、ほら……香花が怪我をするのは、俺も困るから……」



 俺はそう言って彼女に説得しようと試みる。彼女を心配してでの事だと言えば、きっとは納得してくれるだろう。



「んー……まーくんが、そう言うなら」



 俺が鍛えれば済む話だとか、そんな事を言われるかもしてないとは思ったが、案外とすんなりと、香花は俺の言葉に納得してくれた。



 やはり、彼女の事を考えてでの言葉が良かったのだろう。俺の作戦勝ちである。



「でも、こうして抱きつくだけなら……いいよね?」



「えっ?」



「今日みたいに、飛び掛かりはしないから……駄目?」



「……まぁ、それなら」



「えへへ、やったぁ」



 香花はそう言うと俺の背中にへと手を回し、より密着する様に抱き着いてきた。



 しかも胸の中にへと顔を埋め、すりすりと擦りつけまでしてきた。まるで猫の様な仕草である。



「そ、その……そろそろ、離れて欲しいんだけど……」



「えー、まだ駄目だよぉ」



「ほら、早く着替えたいし……いつまでも立ったままなのも……」



「駄目、だから」



 有無を言わせない、強めの否定の言葉。しかもそれに合わせて、彼女の行動も激しくなった。



 離れて欲しかったが、彼女は聞き入れてくれない様だ。こうなったら何を言っても無駄だろう。



 結局のところ、俺は香花が満足するまでその行為を受け入れ続けた。時間で言うと、実に10分近くは続いた。



 その間はずっと立ったまま、直立不動の状態だったので、足が相当に疲れた。早く座って休みたいものである。



 いや、その前に着替えを済まさないとな。俺は部屋着に着替えるべく、自室にへと向かっていった。



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