第9話
上司と神谷の三人で居酒屋に飲みに行った翌日の朝。俺からすれば、帰ってきた後に寝てから数時間後の事である。
早朝とも言える早い時間帯ではあるが、俺には今日も、会社にて仕事が待っているのだ。この時間に起きていなければ、遅刻してしまう。
しかし、そんな事は知るものかと、目蓋は勝手には開いてはくれない。
夢の中で一時の幸せを噛み締めていたいのだと、真っ向から反抗をしているのだった。
それに環境的な部分でも、俺を起こせなくさせている。
今は4月の初旬。まだ朝方には冬みたいな寒さが残っている。それが余計に俺をベッドから出させない要因となっているのだ。
しかし、いつまでもそうしている訳にもいかなかった。今日は休みではないので、仕方が無い。
眠っていたい欲求はあったが、仕事に出掛けなければならないという使命感と責任感の二つによって、その欲求を断ち切った。
そうして俺は若干の眠気を残しつつも、目を覚ます事に成功した。目蓋がゆっくりと開いていき、視界の中に朝の光が飛び込んでくる。
倦怠感からか、どうにも体が重かった。多分、二日酔いである。昨日に飲んだ酒の影響だと思われた。
しかし、息苦しさもあるのは何故なのか。胸が圧迫される様で、どうにも気分が悪くなる。二日酔いにそんな症状はあっただろうか。
けれども、起きなくては仕事には行けないし、そんな事は業務には関係はないのだ。
起きて時間内に出社しないと、罰を受けるのは他でもない自分なのだ。
なので、俺は何とか起き上がろうとする―――しかし、起き上がれなかった。
(ん……?)
力を入れてみるものの、一向に起き上がれない。いや、体を起こせなかったのだ。
金縛りか―――と思ったが、どうも違うみたいだ。その原因はもっと物理的なところにある。
何かが俺の上に乗っており、それが起こすのを邪魔しているのであった。
そして何が乗っているのかは、直ぐに見当がついた。そもそも該当するのは、この世でたった一人しか当てはまらない。
彼女以外で俺に対し、こんな事をする人間は一人もいない。
俺はそれを確認しようと寝ぼけ眼を凝らし、視線を向けてみる。すると、腹部の上に香花が座っていた。昨日と同じ様に馬乗りとなってでだ。
「……えっと、香花さん?」
「おはよう、まーくん♪」
「あっ、うん。おはよう……」
何で馬乗りになっているのかを聞こうとしたが、彼女は呑気にも俺におはようと言ってきた。
挨拶を返さない訳にもいかないので、俺もしっかりとおはようと返す。
しかし、そうじゃない。おはようという前に、まずは俺の上からどいて欲しいのだ。このままだと動けない上に、苦しいのである。
……ちなみに、彼女が重いという訳ではないが。もちろん、体重的な意味合いで。ただ馬乗りになっているから、苦しいのだ。
「あの……何で俺の上に乗ってるの?」
「だって……まーくんが起きるのが遅かったから、起こしにきてあげたんだよ」
「……そうなのか。まぁ、ありがとう……」
起こすのに馬乗りになる必要があるのか―――それを問いたかったが、彼女がするというのなら必要なのだろう。
なので、それは聞かずに置いておこう。それよりも俺を起こすという用事を達成したのなら、早く俺から離れて欲しいのだが……。
「とりあえず……起きたいから、離れてくれないか?」
「……何で?」
「……えっ?」
「まだ朝の挨拶は……終わってないよね?」
香花はそう言うなり、俺の顔にへと自分の顔を近づけていく。ゆっくりと迫ってくる彼女を、俺は止められない。拒否をする権利は、俺には無かった。
だからこそ、俺はその行為を甘んじて受け入れる。彼女は俺の顔に両手を添えた後、自分の唇を俺の唇と重ね合わせた。所謂、キスをしたのだった。
彼女はこうして、朝の挨拶としてキスをする事を要求してくる。
彼女が起こしにきた時に俺が先に起きていれば、俺から彼女にキスをしなければならなくなってる。それが俺と彼女の朝の挨拶となっている。
そっと触れる様な、軽めのキスである。朝の挨拶としてはそれで十分なのか、それ以上の事はしてはこない。
それで満足したのか、彼女は俺の唇から離れていく。同時に俺の上からもどいてくれたのだった。
「……えへへ♪」
幸せそうなにやけ顔を浮かべた後、香花はいそいそと俺の部屋から出て行った。大方、朝食の準備に戻ったのだろう。
俺を起こし、朝の挨拶をも終えたのだから、そうする事は彼女の役割でもある。
別に朝食を作ってくれるのは、助かっている。起こしてくれるのも、それなりにありがたいとは思っている。
ただ、こうしてキスをされるのはどうにかならないものか。俺としては、普通に起きたいのだから。
香花と付き合い始めの頃はまだ自分で起きていた。それが俺の日常だった。けど、それが徐々に彼女に起こされる様になっていった。
まぁ、いいだろう―――と、そんな甘い気持ちで断りはしなかったのだが、最終的には俺の使っていた目覚まし時計を彼女によって破壊され、その役割は完全に彼女が担う様になったのだ。
それが段々とエスカレートしていき、今の様な状態となってしまったのである。全ては俺の甘い考えが招いた結果であった。
彼女も善意でやっている事なので、それを非難は出来ない。常態化してしまっているので、今更変えられもしない。
(まぁ、キスするのは悪くは無いんだけれども……)
こうして何度もしていると、その喜びはどんどんと無くなっていく。ただただ惰性で続けていく様なものだった。
もっとも、彼女はそうは思ってはいないだろう。毎日の様に俺とキスが出来て、幸せなのだと思う。
そうでなければ、あんな顔はしないだろう。少なくとも、俺には出来ない。
(とりあえず……起きてシャワーでも浴びるか)
何時までもベッドの中に潜ったままではいられない。早く準備を整えて会社に行かなければ。
そう思った俺はようやく起き上がり、そのままの流れでベッドから出る。
そして着替えを手にした後、洗面所兼脱衣所へと足を向けていく。
彼女の作った朝食を食べるのは、それを済ましてからである。
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