第5話
この間、初めてパチンコ店に足を踏み入れた。
金を増やすためだとか、スロット台に興味が湧いたという訳ではなく、ただ入ったことのない店に入ってみたかった。
ならば風俗店もそれに当てはまるがそこには多分、死ぬまで入ることはないだろう。
そんな事の為に親の財産を使うことはえらく不誠実に思われたからだ。酒とタバコも不誠実だと言われればそれまでだが。
結局、騒々しい店内の音に耳をやられて、家以上に煙たい店内に頭もくらくらして、早々に店を後にした。
もうやり残したことも少ない。
残り15日である。
その日の天気は曇りのち雨。僕は放課後、屋上ではなく叔父の家に向かった。
晴れていれば、屋上に向かっていただろう。
無論、酒をクスねるためだ。それ以外に特に理由は見当たらないが、他にも酒を得る方法はある。
しかし、叔父の家にこうして足を運んでいるのには何か別の理由があるのかもしれない。
そんなフウに考えて、ふと立ち止まってみた。
叔父の家は目の前だ。
漆喰の白い壁に、黒い門扉は偉く重重しく映る。庭に植えてある松の木がこちらまで枝を伸ばしているのもその要因の一つかもしれない。
古風な日本家屋の前で5分ほど立ち止まっていると不意に声をかけられた。
「なにしてるの?」
声の方に顔を向けるとそこには叔父の子供。つまりは僕の従妹にあたる和紗(かずさ)がこちらを怪訝な顔で見ていた。
和紗が僕を嫌う理由は当然である。
自分の家に急に異分子が我が者顔で住み始めたら誰だって嫌だろう。それに同い年くらいの異性ならば、なおのこと嫌になるはずだ。
少女漫画とは違い、現実は非情である。
「少し立ち寄っただけだ。すぐに帰るさ」
僕はぶっきらぼうに彼女に言う。
「………そう」
彼女は僕と話すのも嫌そうに、そう小さく零すと僕の隣を通り過ぎて家へと入っていく。
彼女を見送って、1分ほど経った。次第に空が曇り始めたので僕も同じように家に入ろうとすると門扉は閉まっていた。
この家の中はやはり独特の静けさがある。
誰もが口を閉ざし、誰もが自分の時間を大事にする。それがこの家族の空気感なのかもしれないが僕は最後まで慣れることはなかった。
静かなことは好きだが、それを強要されているのは好きではない。この家にいると何かが溜まって破裂しそうになる。そうなる前に僕はこの家を出たのだ。
和紗に嫌われていたのも理由の一つだが、なによりこの家の空気は僕の肌に合わなかった。
僕はリビングを通り過ぎて、奥の物置に向かった。和紗はいつも通り自室にいるのだろう。
物置の扉を開けると、すぐにウィスキーボトルとタバコを見つける。
そのまま物置からまたタバコと酒を拝借して、家を出ようと廊下を歩いていると、声をかけられた。
リビングの方から聞こえた。それは叔父の声だった。
「雄介か?」
僕はリビングの前でピタリと足を止めると、リビングから叔父が顔を出した。
相変わらず人懐っこい、優しい顔をしている。皺の数だけ酸いも甘いも知っているであろう叔父の顔を僕は直視出来ない。
残念ながら僕はその優しさを甘受できなかったのだ。
彼は未だ、僕がこの家を出ていった理由を自分の責だと考えているのかもしれない。僕はそれを知っていながら、肯定も否定もせず家を出た。それが心残りかと問われれば、実際のところ僕はなんとも思っていない。
ならば何故ここに来たのだろう?
死に気付かなければ素通りしたであろう元住処に何故こうして足を運んでいるのか?
それは矛盾であり、ある種の帰巣本能なのか?
いや違う。これは結局、屋上に毎日行く理由と変わらないのだろう。
残り僅かな命である。僕を引き取ってくれた叔父には僅かな恩義もあり、最後の日を迎える前に何か言葉を残しておくことも念頭に置かなければならない。
僕は努めて笑顔で応対する。
「はい。通りかかったので」
「そうか。久しぶりだな」
叔父は僕の顔をまじまじと見て、少し眉を顰めて小さく零した。
「晩は食べていくだろう?」
「いえ。今日は………遠慮しておきます。もう晩の食材を買ってしまったので」
無論、嘘である。今日は、とは何回言ってきたのだろう。離れて暮らすようになって一度もこの家族と夕飯を囲んだことはない。今、ちょうど腹も空いてきた時間だ。
さっさとお暇しよう。
「そうか。自炊しているんだな。偉いな。和紗は未だに昼の弁当もお母さんにねだっているというのに」
そう苦笑いしながら言う叔父に僕も苦笑いをする。斜め上の叔父の意見に、蛇足な一言。思えば彼の言動が僕を居辛くした原因だったのかもしれない。もうどうでもいいことだが。
「あ、そうだ」
叔父は急に何かを思い出したように、指を鳴らした。
そうして優しそうに僕に笑いかけると、ため息混じりに言う。
「最近、物置のウィスキーが消えていてね。雄介何か知らないか?」
その言葉から察するに多分、タバコが消えていることも彼は知っている。しかし、それを言わない。酒のことだけを僕に聞いてきた。何故かはわからない。
もっと言えば、彼は僕が犯人であることも分かっているのだろう。
「いえ。知りません」
「そうか………分かった」
「では失礼します」僕はそう残して家を後にしようとする。
その時、「また家に来なさい。晩御飯もあるし、なにより母さんも君に会いたがっている」
そう彼の声が追いかけてきた。
僕は聞こえるか聞こえないか分からない声で「善処します」と呟き、家の門扉をしっかりと締めて出た。
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