1‐4‐6 裏竜星時空門螺旋御霊会
「痛ってぇぇぇぇェッ!」
現実世界に帰ってきたコンマ数秒後、意識を取り戻した閉人はジークマリアの投げた魔槍アンブラルに刺されて悶絶した。
リリーバラに続き二回目。
多少は覚悟していたが、それでも痛いものは痛い。
「大丈夫ですか閉人さん?」
「だ、大丈夫だ姫さん。それより、ナイフ……」
「……?」
閉人と同時に現実世界に帰ってきたエリリアは、自分が無意識の内に閉人に向けてナイフを突き出していたことに気が付いた。
互いにギリギリ。
閉人は蟹のようになった骨の腕を、エリリアはナイフを、互いに突き刺そうとしていたのだった。
「まぁ! ごめんなさい!」
「へへ、いつもの姫さんだ……」
閉人は蟹の右腕をエリリアの肩に回し、庇うように軽く身体を引き寄せた。
「遅くなってごめんよ姫さん」
「……ありがとうございます、閉人さん」
エリリアは軽くハグを以て応えると、その背の向こうにジークマリアを見つけた。
「マリィ! 良かった、無事だったのね!」
満面の笑みで手を振る。
「え、ええ。私は無事ですが……」
エリリアが正気を失った過程を知らないジークマリアは、予想外の喜ばれ振りを嬉しく思いつつも、ちょっと不思議なのであった。
「というか閉人、貴様は何をちゃっかり姫様に抱き着いているんだ。串刺しにするぞ」
ジークマリアは眉をしかめて言い捨てる。
「け。刺す前に言え、刺す前に」
閉人は名残惜しそうにエリリアから離れると、アンブラルを引き抜いて投げ渡した。
「閉人、アタシのこれもどうにかしとくれよ」
「あ! ごめんよ婆さん」
閉人の『不死者』の復元力がボリ=ウムを捕えていた血の拘束を回収した。
ついでに変形した右腕に意識を集中して元の右手をイメージすると、肥大化した骨は見る見るうちに縮退し、右手が再生する。
「すげぇな、『不死者』って。こりゃ死ねないワケだ」
「……」
場の空気はすっかり様変わりしてしまった。
最も剣呑な状況にあった閉人とエリリアが妙にあっけらかんとしてしまったので、仕方ない。
が、それでは済まされない男がいた。
「はっはっは。若者のすることというのは、一々面白いですな」
愉快気に手を打っているのは、イヴィルカイン=フォーグラー。
この魔術師がいる限り、危機的状況は変わらない。
「形勢逆転だな、ジジイ。袋叩きにしてやるぜ」
閉人は魔銃カンダタと鉈を構え、エリリアを庇うように進み出た。
精神世界を抜け出したためか些かハイになっているきらいがあるが、状況はこれ以上ないくらいに優勢に見える。
だが、イヴィルカインは笑みをいささかも崩さなかった。
「勘違いしてはいけませんよ、閉人くん。『
イヴィルカインの手には、依然として魔笛の杖と魔導書が携えられている。
魔術師とは己の意思とこれらさえあれば、
イヴィルカインは大きく息を吐いた。
「まったく、もう少しで生まれそうだったのに」
「?」
一同はその意味が分かりかねた様子で、訝しむ。
イヴィルカインは閉人たちの無知に呆れるように口の端を歪めた。
「『魔王』ですよ。私はイルーダン殿を魔王にしたかった。あれは、中々の器ではあった」
イヴィルカイン視線を落とすと、首を横に振る。
「しかし、とても足りない。一人では。一人では……勝てやしない。議会もマギアスも不足なのだ。それなのに、あの腰抜け共め……」
イヴィルカインはぶつぶつと独り言を繰った。
「また、一からやり直しです。いや、零からか……」
イヴィルカインは魔導書のページをめくった。
魔術師がそれをするのは『やり方を変える』ということを意味する。
瞬間。
ぞ。
ぞぞ。
ぞぞぞぞぞぞぞ。
均衡状態にあった空気が黒く塗りつぶされ、イヴィルカインを中心に収束を始めた。
それは、
イヴィルカインの全身から発せられる『殺す』という意思が滲み出し、周囲の空間を侵食し始めている。
「貴様、一体……ッ」
ジークマリアが震えていた。
閉人は、それが武者震いだとすぐに察した。
ジークマリアが恐怖に震えるはずもない。
だが、薄い膜を隔てて死と隣り合わせに在った閉人だからこそ分かる。
……このままでは皆死ぬ。
ジークマリアが呆気なく死に、衝撃を受ける間もなくエリリアも死ぬ。
そうなる未来が、まるで一度その結末を迎えたことがあるかのように、鮮明に浮かぶ。
「駄目だ、ジークマリア、やめろ!」
閉人はエリリアを手で入り口の方へ押しやりつつ、叫ぶ。
「二人共逃げろ! 今度ばかりはただじゃ済まない!」
ゆっくりと歩き出したイヴィルカインの前に、閉人は立ちはだかる。
「おやおや」
二人を庇う閉人の奥歯がガチガチと鳴っていた。
こちらは武者震いではない。
恐ろしい予感に心底恐怖し、身体が拒絶反応を起こしている。
「脚が震えていますよ閉人くん。いや、本気の私に刃向かおうとしているだけ、賞賛には値しますが……」
閉人はイヴィルカインの姿を正しく認識する事が出来なかった。
その姿は黒く塗りつぶされたようにしか見えない。
しかし、その双眸は太陽のようにぎらつき、身体を熱線に焼かれるような緊張感が神経を焼いた。
だが、それでも閉人はカンダタを向けた。
すぐ後ろに、逃げようともせずにエリリアとジークマリアが付いていてくれている。
それは、無限に嬉しいことであると同時に、無限の絶望であった。
「ランク10、禁断空間魔術『
イヴィルカインの魔笛杖の先から黒く濡れた闇が滲み出す。
その球体を中心に風鳴りが響く。
大気圧の関係で、空気がその次元の歪みに吸い込まれていっているのだ。
だが、それを理解する暇もない。
「さあ、三人仲良くこの大陸から消失するがいい!」
イヴィルカインが杖を振り下ろそうとした、その時だった。
サクリ。
嵐のような風鳴りの中を、小気味良い刃物の音がした。
ボリ=ウムが投げ放った刃が、背中からイヴィルカインを刺し貫いていた。
「……無駄だ!」
構わずイヴィルカインは杖を振り下ろそうとした。
だが、
「……?」
イヴィルカインの動きが止まった。
それだけではない。
閉人の周囲、エリリアやジークマリアまでもが止まっていた。
まるで、時間が止まってしまったかのように。
「何だこれ……!? 姫さん!? おいジークマリア! 大丈夫かよ……?」
閉人は慌てて辺りを見回したが、返事は無い。
二人共、まるで彫像であるかのように静止している。
イヴィルカインの動揺はそれを遥かに上回っていた。
「馬鹿な、身体が動かない……ッ!」
ボリ=ウムが羽を翻して風を起こすと、イヴィルカインの杖先に生じていた亜空間が閉じていく。
「何故だ、術式が逆展開を……っ」
ボリ=ウムはほくそ笑んだ。
「そうじゃない。アンタの魔術の周囲だけ、『時間』を巻き戻しているのさ」
「『時間』、だと……」
時間。
その言葉で、閉人はしっくりきた。
閉人とボリ=ウム、そしてイヴィルカインを除いて、時間が停止しているようだった。
閉人には魔術の事がよく分からないが、時間への介入がとんでもない事だというのは分かる。
「ランク10『
ボリ=ウムの言葉と共に、どす黒く染まっていた空気を風がさらっていく。
「アタシぁ、バードマンの族長としてこの、最善の選択を積み重ねて来たと思っている。この小さな翼に抱えられる程度の事しかできなかったが、それがアタシの器ってことさね」
ボリ=ウムの声は静かだった。
「その中で、どうしようもない未来を見た。
ボリ=ウムは閉人を見た。
「閉人。アンタだけだ。この停止した時間の中で動けるのは、その影響さね」
「……」
閉人は大きく息を呑んだ。
エリリアとジークマリアが死ぬ。
そんな未来が存在していたことを心底恐ろしく思うのであった。
ボリ=ウムはゆったりとした歩みでイヴィルカインへと迫る。
「それを知ったのは大体一〇〇年前くらい前かね。アタシには『切り札』を用意する猶予があった」
ボリ=ウムはイヴィルカインの背から刃を引き抜いた。
何の変哲もないはずの刃から、奇妙な魔力が湧き上がっている。
「ランク11『
ボリ=ウムは不意に吐血した。
吐き出された血液はどす黒く、病的なまでに泡が立っていた。
「婆さん!」
閉人が駆け寄るが、ボリ=ウムは首を横に振る。
「分かっていたことだ。これでいい……」
ボリ=ウムの目は凪のように静かだった。
「そもそも、アタシがここまで長生きしていること自体が時を操ったズルだからね。これは清算なのさ」
イヴィルカインはボリ=ウムの放つ超然とした魔力に目を剥きつつも、今なお余裕を保ち続けていた。
「確かに大した術のようです。ですが、どれだけ時を弄しようと、このイヴィルカインを殺すことはできない」
「それはどうかな?」
ボリ=ウムが刃を振る。
すると、イヴィルカインは驚いた様子で膝を付いた。
「この虚脱感は……時が、巻き戻っている?」
「その通り。アンタは誕生する以前に巻き戻って消滅するのさ」
「……ッ!」
イヴィルカインは新たに魔術を構築しようとしたが、その行動、意思自体が巻き戻っていく。
「馬鹿な……ッ」
「観念しな。ジジイとババアはここで退場だ」
イヴィルカインは、その段になって初めて声を荒らげた。
「この、老いぼれめぇ……ッ!」
その姿は若返り、青年のそれとなっている。
だが、その表情だけが老いと憎悪に歪んでいる。
閉人はそれを見て、やはりこの男は老人なのだと思った。
それに比べて、見た目ではより老いたボリ=ウムの方が、余程偉い年の取り方をしている。
何故か、そんな気がした。
「……後悔することになりますよ」
見る見るうちにイヴィルカインの姿は幼児のそれとなり、さらに縮退を続けていく。
「後悔? そんな時間すら、もうアタシには残されとらんよ」
「くっ……」
乳児、胎児、あるいは細胞の集合体にまで縮退したイヴィルカインは、やがて原子の塵となり、見えなくなった。
静寂。
騒々しかった応接間の時は止まり、動いているのは閉人とボリ=ウムだけ。
「ぐふっ……これで、役割は……終わりか……ね……」
ボリ=ウムが倒れようとするのを、閉人は慌てて駆け寄って抱き支えた。
その身体は、木箱の中に在った時とは比べ物にならない程軽くなっていた。
「おい、婆さん! どうして……」
ボリ=ウムは、嘴の端を釣り上げ、笑った。
「勘違い……するんじゃあ、ないよ……すべては、里の……バードマンの、未来の為……」
ボリ=ウムの身体が、急激に色褪せていく。
イヴィルカインとは逆の現象が起きている。
時の加速、あるいは、留められていた時間の清算。
閉人の腕の中で、命が零れ落ちていくのが嫌と言うほど感じられた。
ボリ=ウムは色褪せた翼で閉人の頬を、抜け殻のような力で叩いた。
「まだ、終わっちゃ、いないよ……アンタたちに、翼の、加護、を……」
ボリ=ウムはそのまま翼を垂れ、力を失った。
何かが、ボリ=ウムの身体の中から消失したのを、閉人は確かに感じ取った。
「婆さん……おい、婆さん!」
ボリ=ウムは、応えなかった。
享年一二四歳。
バードマンの平均寿命を大きく超える長寿が、ここに全うされたのであった。
周りの空間に、時間の流れが取り戻された。
エリリアとジークマリアは、閉人が瞬時に移動したことに驚きつつ、周囲を見回す。
「閉人、奴は?」
ジークマリアが訊ねると、閉人は半泣きで首を横に振る。
「婆さんが、殺った……」
閉人は、腕の中で眠るボリ=ウムの亡骸を示した。
「婆さんが、命がけの術でジジイをやっつけたんだ」
「そんな、猊下……」
エリリアは手当をしようと駆け寄るが、そういった処置が無駄な事は、誰の目に見ても明白だった。
時の徴税を受けたボリ=ウムは枯れ木のように干からび、それでいて、安らかな顔で眠っていた。
一同がボリ=ウムの死に衝撃を受けている最中、応接間の窓ガラスを突き破って、クシテツが飛び込んできた。
「婆ちゃん、間に合わなかったか……!」
クシテツは、自らの傷のことも忘れ、ボリ=ウムの亡骸に駆け寄った。
「ごめんよ、クシテツさん。俺がふがいないばかりに……」
頭を下げる閉人からボリ=ウムの亡骸を託されると、クシテツは涙を流しつつも、首を横に振った。
「婆ちゃんは、こうなる事を知っていたのです……何でも自分で決めてしまう人でした。満足そうな顔して、本当に……」
クシテツは、感極まって亡骸を強く抱きしめた。
凄惨な戦いは、終わったかのように見えた。
イルーダン、アイリーン、イヴィルカイン。
敵は倒れた。
後は為すべきことを為し、フェザーンの里にボリ=ウムを連れ帰らなくてはならない。
誰もがそんな終息感を感じている中、ただ、閉人だけがボリ=ウムの最期の言葉に引っ掛かりを覚えていた。
「待てよ。まだ、終わりじゃない……?」
確かめるように口にした、その瞬間であった。
忘れていた『何か』を、閉人は思い出した。
……『
「まぁぁぁぁだァッ、終わってねぇぞぉぉぉぉォッ!」
「ギ ア ア ア ア ア ア ア ア !」
二つの咆哮と共に、応接間に面したテラスが破壊され、
その背には、イルーダン=アレクセイエフが邪悪な笑みと共に佇んでいた。
「馬鹿な、奴の死体は確認したはず……ッ!」
驚愕するクシテツを、イルーダンは嘲る。
「ククク、俺が死んだ? だからどうした! 笛の音は止まらねぇ……ッ。生臭ぇ奴らは全員ン、ぶっ殺してやる……ッ!」
死人を操るランク8、魔術『
術者が消えて尚、悪夢から醒めない死者共の叫び。
「焼ぁぁぁぁけぇぇぇぇ死ぃぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl!」
アラザールはテラスから応接間に突っ込んだ口を開け、その巨大な大口から火炎ブレスを放射。
応接間にある全ての物をどす黒い炎に包み、爆砕した。
『断章のグリモア』
その31:ランクアップについて
魔術における『ランク』は、その複雑さによって決まり、ランクが上がれば上がる程、その次のランクに至る事が困難になる。
銃火器に例えて説明してみよう。
銃の根幹を成す原理『火薬に火をつけると爆発する』という現象をランク1とする。
その爆発を筒状に制御して推進力で弾を飛ばせばランク2。
単純な発射機構を備えた筒状の器具を用いて取り回しを良くすればランク3。
薬莢や換装システムを採用して高速かつ正確に運用できるようにすればランク4。
……といった具合に、ランクが増せば増すほど、その機構は複雑になる。
さらに遠くの物を撃ち抜くための弾道計算システムを搭載したり、連射性能を高めたりしていけば、さらにランクは増していく。
そして、例えば戦車や軍用ヘリコプターなど、銃や砲の原理を応用した機動兵器の域まで到達すればランク9以降、『大魔術』の領域と言えるだろう。
そこまで行けば、もはや無数の原理を内包した精密機械の段階である。
たかが一文字、されど一文字。
ランク10の時空魔術をランク11に押し上げることは、未来を見ることのできる望遠鏡を応用してタイムマシンを作るようなものである。
ボリ=ウムはいかにしてその大業を為し得たか。
彼女はその秘密を墓まで持っていってしまうつもりであった。
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