44.2 「それって! 光の魔術があれば楽になりますか!」

 リンを襲った現象の正体について、ようやく爺さんが口を割ったらしい。

 女神病。

 馴染なじみのないその病気は、リンだけでなく、ミラの母親をも襲った病の正体だった。

 発症してしまうと、人が神化し、ほぼ確実に病死する。

 その運命を変えるために、爺さんはリンを神にしたんだ。

 それは爺さんたち、大英雄にしかできなかったことだろう。

 爺さんだけのささやかな神。少なくともそれは、爺さん自身が転生させられるまでは上手く行っていたのだ。

 ともあれ、今やリンは光の神フォテムとして無事に再誕を果たした。

 ロウとセスには、オレたちが一度はあの勇者の指導者・スティグマを倒したことを話した。

 でも、奴には未知の秘密があって――オレたちは敵にトドメを刺すことなく敗走したことも。


「つまりあの少女――インターフェイスさえいれば、またあの男を倒せるということですか?」

「同じ手が通じるかは判らん。だがそれだけが頼みのつなだ」


 インターフェイスは船室で休ませている。

 そのとき、通信機が光った。


「ロンディアの局からです」

「ハンクスか。――ハンクス、聞こえるか。ジャックだ」

『ジェイクス! 奴だ! スティグマが動き出した!』


 壊滅したロンディアに潜伏していたツインズが――行動を開始した。


「早過ぎる。ホワイトローズはいるか?」

『わからん。ここから見えるのは、空を飛んでる昨日の奴だけだ』

「何人いる?」

『何人? ひとりだけだ』

「落ち着いて聞け。そいつの聖痕せいこんは、そいつから見て、体のどっち側にある?」

『左、左半身だ』


 つまりアルファだ。

 ベータはまだ動けないのか。


「どこへ向かっているか判るか?」

『南東だ。南東へ向かっている!』


 すると――こっちだ。

 アルファは単身、こっちへ向かっている。


「ジャック! どうするんだ!」

「やるに決まってるだろ」


 そうジャックは立ち上がったが――ふらふらとよろけて机に手を突いた。

 顔色もよくないように見える。


「おい、だからまだ寝てろって――」

「船が揺れただけだ」

「揺れてない!」


 ミラが狙撃銃を取って「ボルトを引いてみろ」とジャックに渡す。

 ジャックはそれを受け取って、銃身のボルトを起こして引くが――力が入らず引ききれない。


「ほら見ろ。役立たずが。お前がそんなじゃ戦えない。おとりにもならねえぞ」


 く――とジャックは苛立たしげに机を掌で叩いた。

 ロウが「トレスポンダ爵、自分が前線に立ちます」と前に出た。


「ありがたいが前線を増やしても無意味だ。奴が話したくなるように仕向けなきゃならん。俺か、ノヴェルかだ。ロウとセスはドノバで市民の避難を頼む。俺はカウンターバレーで避難を呼びかけつつ、奴の動向を探る」

「サー・イエス・サー!」


 ロウとセスは慌ただしく船を出て行った。


「ノートンとエイスは、奴の航路の分析を頼む。ここが危なくなったらコード・デルタを発令してキュリオスで逃げろ。ノヴェル、ミラは船で待機」

「待機って」

「お前らは自分の妹を守れ。いいな?」




***




 ロウとセスと別れ、ジャックは単身、北のカウンターバレーへ向かった。

 流れる小川沿いに発展した古い街で、ブリタシア南東部としては最大である。

 ジャックはその大聖堂の鐘塔カンパニーレに登って、街を一望する。

 最上部には、吹き抜けの上に巨大な青銅の鐘がぶら下がっていた。

 棒を両手で持ち、体をひねって力いっぱい鐘を叩く。


「ああ――傷にちょいと響くな」


 空気魔術の拡声ボトルを手に、メインストリートを見下ろした。


『カウンターバレーの皆さん! 即時に街を離れ、避難してください!』


 なんだなんだと、古い石造りのアパートメントから人々が顔を出す。

 二階、三階、四階と、小川を挟んだ通りに面したアパートメントの外開きの窓が次々と開き、通りの人々は塔を見上げ、やや騒然とする。


「何だ! 何があった!」

「新聞の奴か!?」


 ジャックは手を振って応える。


『昨日ロンディアを襲った奴が、ここにも来ます! パニックにはならないで! 決して応戦せず、市民の皆さんは避難を最優先してください!』


 市民らは突然塔に現れた怪しい男を怪訝けげんそうに見上げるばかりで、逃げない。


『新聞読んでない!? 郊外の頑丈な建物に避難し、危機が去るまで決して外にでないように!』


 衛兵が集まってきた。


「こっちの話が判らないみたいだな――」


 ジャックはまず信用がない。仮に多少の信用があったとして、人は言うことを聞くものではない。

 だからジャックには秘策があった。

 

「やれやれ。口で言っても無駄なら仕方がない」


 ジャックは鐘塔の手摺てすりに隠した狙撃銃を取り出し、一発撃った。

 ガラスが砕け、通りに散らばる。

 大勢が頭をかばって通りを駆けだしてゆく。


『さっさと逃げろ!!』


 ――こっちは腕が痛えんだ。

 狙撃銃は重く、狙いは定まらない。


『早く逃げろ! 勇者が来るぞ!』

「ここ? 来るのか?」

『そうだって言ってるだろ――』


 野次にも似たその声は、すぐ背後から聞こえた。

 ジャックは慌てて振り向きざま、銃口を突き付ける。


「何。順番、違うんじゃね?」


 そこに立っていたのは――ホワイトローズだ。

 銃口はその胸元に突き付けられている。

 迷わず引き金を引くところだが――今撃ったまま次弾を装填していない。


「くっ――」

「そんな顔すんなって。こっちは丸腰なんだ」


 ――。

 すきはない。

 ジャックは強引に銃身を突いて、ホワイトローズの胸を打つ。

 彼女は身を引いて銃口をらし、銃身を蹴り上げた。

 その勢いで銃身を回しながらボルトを引くが――引ききる前に蹴り上げたかかとが落ちてきて、ジャックの手から銃を奪った。


「――ッ」


 拾おうとしたジャックの側頭部を目掛けて、回し蹴りが迫る。

 だが――ジャックのそれはフェイントだ。

 咄嗟とっさに、拾う瞬間を狙われると感じた。

 それでも即座に上体を起こし、足先をけるのが精一杯だ。

 ジャックの頭を外したホワイトローズの足は、そのまま塔の鐘を激しく打ち鳴らした。

 鐘の音が響き、ホワイトローズがバランスを崩す。


(――った)


 ジャックはその腹に思い切りパンチするが。


(浅い――)


 ホワイトローズはその拳を掴んで引き寄せていた。

 逆にジャックの腹をひざで蹴り上げると、ジャックの体は一メートルも跳ね上がり、塔最上部の床に崩れ倒れた。

 倒れたジャックの頭を狙い、床を突き刺さすような鋭い蹴りが次々と襲う。

 ジャックは体を回転させてそれをかわし、鐘塔の柵にまで戻ると柵を掴んで身を起こした。

 だが立ち上がると――銃口がジャックへ向けられていた。

 咄嗟とっさに鐘の陰へ飛び込む。

 今度は銃弾が鐘をいた。


「――ひっでえ武器。反動やべえし」


 鐘に背中を付け、ジャックは息を整える。


「バカが。片手で撃つからだ」


 ――右から出るか、左から出るか。

 ジャックが右側から飛び出すと、銃口が彼を出迎える。

 慌てて身を引く。

 今度は左側から飛び出すと、そこにも銃口が。

 身を隠すのと銃声が同時で――銃弾は辛うじてジャックをれた。

 ボルトを引く音がする。


(残弾数は――クソ、二十発以上ありやがるな)


 銃弾がかすめたほおから血が流れる。

 ザザザと鐘を回り込んでくる足音。

 ジャックは更にぐるりと外周を反対側へ逃げるが――追ってくる。


「――クソッ」


 ジャックは渾身こんしんの力で、鐘に体当たりした。

 鐘は跳ね上がり、反対側のホワイトローズを押し飛ばす。

 手応えがあった。

 ったばかりの傷口が開く手応えだ。


「あああああっ」


 絶叫を上げながら鐘を回り込み、バランスを崩したホワイトローズに飛び掛かる。

 ――今度こそった!

 彼女の体を、鐘塔の低い柵へと押し飛ばし、銃身を首にかけ、全力で抑え込む。

 腰の入り、膝の曲げ、靴底の滑り。

 すべてを込めて、ホワイトローズの、案外華奢きゃしゃな体を柵へ押し付けた。

 ホワイトローズ越しに下が見える。

 下は騒然としていた。

 衛兵が鐘塔を取り囲み、上へ掌を向けて魔術を撃つ姿勢で待機している。


「逃げるか戦うかどっちかにしろ間抜け!! こいつは勇者だ!!」


 ジャックの声で、何人かが鐘塔の階段へと回り込む。

 残りは野次馬を散らし、市民の誘導を始めた。

 ――最初からそうしろっていうんだ。

 銃に力をめ、ホワイトローズのくびを締め上げる。

 上半身を半分ほど柵からはみ出させ、ホワイトローズはあえぐ。


「うっ、ぐっ、へへっ――イイ――イイ感じ……」

「黙れっ!!」


 そこへ――下から上がってきた衛兵らが二人を止めた。


「男!! 女から離れて、手を頭の上に挙げ、ひざまずけ!!」

「――こいつは勇者だって言ったろ!!」

「警告する!! 女から離れて、手を頭の上に挙げ、跪け!!」


 ザザザと足音で、背後に展開する衛兵たちの存在が判った。

 衛兵は四人。

 ジャックを取り囲むように、鐘を避けて左右に二人ずつ――。

 装備までは判らないが――目だけを動かして衛兵を見た、ホワイトローズのその瞳の輝きで知る。

 ――刃物を持っているな。


「刃物を下へ投げ捨てろ。このままこいつを離したら、三秒以内に全員殺されるぞ」

「最終警告だ!! 女から離れて、手を頭の上に――」


 クソッ――と毒づき、ジャックはホワイトローズから離れる。

 次の瞬間、魔獣確保用の投網とあみが発射され、ジャックを包み込んだ。


「くっそ、何しやがる!」

「市民煽動せんどう、暴行の現行犯だ! お前を逮捕する!!」


 ジャックを包み込んだ網には金属のワイヤが編み込んである。

 極めて頑丈がんじょうで難燃性だ。


「クソが。イキそうだったのに。邪魔しやがって」


 ホワイトローズはそう言って首を回すと、またたく間に衛兵の足元に飛び込み、手の骨を蹴り砕いていた。

 剣は地面に落ちる前に奪い取られ、衛兵の腹を十字に切り裂く。

 剣を手にしたホワイトローズはまるで水を得た魚。空気中を泳ぐ渓流けいりゅうの魚のように素早く、残る三人の頸を切り裂いた。

 ――クソッ。もうどうにでも――。

 ここにいたって殺される。

 高さはおよそ二十五メートル。とても助かる高さではない。

 ジャックは網諸共もろとも、鐘塔の柵から身を投げた。

 重たい網をまとったまま、空中へ。

 だが――飛び出した背後で網のロープが悲鳴のような擦過さっか音を立てて緊張し、それに応じて網全体が収縮した。

 網にかけられたロープが何かに引っかかったままなのだ。

 ジャックは鐘塔最上部から吊り下げられる。


「――っておい!! またこんなかよ!!」


 足元もなく、捕まる場所もない。

 上を見ると、返り血を浴びて嬉しそうなホワイトローズが顔を出していた。




***




 オレとリンは、デッキでノートンの作業を見ていた。

 ノートンは大きな紙と、見たこともない計算尺を取り出して慌ただしく製図をしている。

 計算尺は円形で、外周の目盛りがとびとびになっている。数字と数字の間が一定じゃない。

 あちこちに穴の開いた、物々しい道具だった。

 待機と言われたが、邪魔するなとは言われていない。


「ノートンさん、これは何に使うんだ?」

「昨夜徹夜で作ったのだ。フラクタルを作図するのに便利なようにね」


 フラクタルっていうのは、昨日ノートンがツインズのつたを見て言いだしたことだ。

 血管、神経、宇宙、そうした自己相似性を持つものと言っていた気がするが、意味は判るような、判らないようなだった。


「フラクタルは、どこを拡大しても新しい図形がでてくる。すると太さとか直径とか、そういう代表的な大きさを持たないのだ」


 イメージがつかない。

 丸や四角といった図形とは根本的に違うってことか。


「そんなこといったってさ、直線だって、どこを拡大したって直線だろ? フラクタルなのか?」

「フラクタルの場合は、どこをとっても直線のように滑らかではない。つまり、予測が極めて難しいのだ」

「でも昨日、ノートンさんは蔦を見て、他の蔦の出現位置を予想していたろ」

「出現位置などは到底判らない。ただ、出現した場合の形はどうにか予想できた――私も驚いたがね」


 予測に重要なのは、フラクタル次元という数値らしい。


「ツインズの蔦のフラクタル次元は1.5から2.3くらいまで様々だ。ざっくりいうと、密度や複雑さのようなものを表している」


 それを計るのが難しい――とノートンは講釈する。

 ふぅん、とオレは流したが、リンは割と興味深そうに聞いていた。


「それって! 光の魔術があれば楽になりますか!」

「ふむ。光の魔術か。フラクタル次元を時間方向に拡張する研究がしたいと思っていたが――パワースペクトルの測定には役に立つかも知れないな」


 もう何のことか珍紛漢紛ちんぷんかんぷんだ。

 気が付くとミラがいて、「光の魔術か――」と言っていた。


それ・・って何の役に立つんだ?」

「あのあの! 攻撃とかはできませんが! はかったり調べたりするのは得意です!」


 やっぱ攻撃には使えねえか――とミラは肩を落とす。


「リンさん、測る・調べるというのは、何をどう測るのだね?」


 そうですね――とリンは考える。


「飲み物を見ただけで、お砂糖と塩の量が判るとか――ですかねえ。あ、あとあと! 健康診断みたいのは得意かもです!」


 役に立つような立たないような魔術だ。


「胃に穴が開いてないかとか、血管が詰まってないかとか。ノヴェルは足を四十針いましたね。鎖骨にもヒビが入って、全治二週間です!」


 妹に世の中がどう見えているのか、オレは急に不安になってきた。


「あ、そうそう! 例えば今は、変な――変な匂いがします!」


 そういえばオレはしばらく風呂に入ってない。

 くんくんと襟首えりくびぐ。


「ノートンさんのタバコじゃないか?」

「潮の匂いじゃねえか?」

「――君たち、海の男の前でにおいの話とか、つつしみたまえよ」


 違うんです! とリンは首を振る。


「変な――地震の匂いっていうか」

「地震の匂い?」

「そう。地面が壊れて、そこからフワーッって匂ってくる、変な匂いが」


 イオンだ、とノートンは目を見開いた。

 岩盤の崩壊がイオンを発生させることがあるらしい。

 リンの嗅覚きゅうかくには――それがわかる?


「地震が来るってことか?」


 オレはデッキから港町を見渡した。

 建物が――小刻みに振動している。


「お、おい――マジで地震じゃないか!?」





***




 ロウとセスは、ドノバの街で避難を呼びかけていた。


「新聞で見たぞ! ここも危ないのか!?」


 港町だけあって情報が早い。


「そうです! すぐに船に乗って陸地を離れてください!」

「うちは船なんかないんだけど!?」

「パルマ船籍の白い船――キング・ミステスに搭乗してください! できるだけ乗せて、フルシへお連れします!」

「パルマまで連れってくれ!!」


 市民をどんどん港へ連れてゆき、キング・ミステスに避難させる。

 その途中で、それは始まった。


「――地震か?」


 地震にしては妙だ。

 足元は揺れていない。

 ただ音や、建物は明らかに振動している。




***




 ジャックはカウンターバレーの鐘塔からぶら下がっていた。

 網に捕まり、上からホワイトローズがにやにやと見下ろしている。

 その時、ガコンと鐘塔が傾いた。

 ――なんだ?

 ホワイトローズが、「あっ」と街の外を指差す。

 何が起きているのか。

 ドドドという地鳴りとともに、街の北のほうから、建物がわずかに内側へ傾いてゆく。


「――あのヒトだ! 来てくれた! ホントだった!」


 ――どこだ。

 ジャックは網を掴んで空中に目を凝らすが、ツインズは見えない。

 網は、上から吊り下がったまま揺れ始めた。

 塔の外壁をこすりながら、振り子のように揺れている。


「おい――おいおいおい!」


 街の崩落は、一直線にこちらを目指してきて――聖堂を直撃した。

 聖堂の屋根が崩れ、鐘塔の傾きも一層大きくなる。

 悲鳴を上げて市民らは逃げ散り、ホワイトローズの嬌声だけが場違いに響いていた。


「どこにいるんだ!」

「どこ見てんの! 地面の下だって!」


 下――?

 つまり、ツインズは地中を移動している――そういうことか。

 北からこの、大聖堂の真下を通って、南へ。


「地中だと!? ふざけ――」


 鐘塔の倒壊は進んでいた。

 塔は内側へ大きく傾き、強度の限界を超えるところだった。

 がくんと体が引っ張られ、木組みと焼いた土壁に叩きつけられる。

 踏ん張りようもない。


「う――」


 その斜面を滑り降ちるように、ジャックは転がっていた。


「うわあああ――」


 網の中でゴロゴロと転がって、ジャックは地面に転がり落ちる。

 どうにか受け身を取ったその背後で、カウンターバレー大聖堂の鐘塔は倒壊した。

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