37.2 「シートベルトをしろ。掴まっていなさい」

 現在の時刻から五年と少し前。

 ブリタシア国の首都ロンディア市。

 市警ではハンクス警部にジェイクスとフィルが報告していた。


「犠牲者の本体・・、オリビア・ハゼスはフルシからの移民で、旧ナイボリブ生まれ。十年前に紛争で消滅した国だ」


 現在のスローヴァ=チェリ。

 第一次征東せいとう戦争の主戦場となった国で、ブリタ正規兵からも沢山の兵士を送った。


「難民工場だな。じゃあL層で『仕立て屋』に捕まり、玩具おもちゃにされたってわけか」

「玩具なんてもんじゃない。被害者には、男のナニが移植されていた。そのまま往来に捨てられ、自分であのファーマシーの破れたショウウィンドウから奥まで逃げたんだろう。引きった形跡っていうのも、よく調べれば自分でったものに見える」


 まったく――と警部は苛々いらいらと、犯人を罵倒する言葉を探す仕草をした。

 だが適切な罵倒が見つからなかったものか「クソ」とありきたりな罵倒が出たのみだった。

 報告書に視線を戻し、内容を追いながら警部がく。


「それで、這いつくばって逃げてる間に――気持ち良くなっちまったのか?」

「そこまではわからん」

「クソ最低の精通だ」


 警部が忌々いまいまし気にそう言って、フィルが少し笑った。

 ジェイクスは続ける。


「他のパーツだが――胴体の腰から尻まで、これも女だ。身元不明。これは難しいだろう。ただ、状態から娼婦であった可能性がある。そっちも行方不明者を洗ってる」

「ふむ」

「手足のほうは――手の指紋は犯罪者のデータに該当した。アヘンの密輸でパルマで逮捕された女で、保釈中にモートガルドに逃亡したようなんだが――足取りは追えてない」

「モートガルドか。厄介だな。手だけか?」

「脚は持ち主不明のままだ。おそらく犯人を挙げるまで判らないだろう。見つかってない死体がまだ山ほどある」

「とにかく、その女は犯人を見ているんだな?」

「ああ。そのはずだ。意識は混濁こんだくしているし、字を書けるほど腕の神経がつながっていない。今、認識術のチームを待機させてる。意識がはっきりしたら被害者の見たものが判るかも知れない」

「いずれにせよ超ド級の変態野郎だ。犯罪史にその名を刻むことになる」


 ようやく、ようやくだ――とジェイクスは肩を落とした。

 ――犯罪者は必ずヘマをする。

 今がそのときだ。

 奴は大胆な犯行を続けるうちに気が大きくなって、生死の確認をおこたった。


「ようやくこの犯人を縛り上げて、そのツラをおがんでやれる。洗いざらい吐かせてやる」


 よくやった、と警部は言う。


「飯はまだだろ? 前祝いだ。おごってやる」




***




 署の近くのダイナーのテーブル席で、ハンクス警部の向かいにジェイクスとフィルが座っていた。

 しばらく談笑しながら食事をしていた。


「――かみさん、臨月なんだろ?」

「臨月? さぁ」


 ハンクス警部は呆れ顔をして、自分の大きな腹を指し示す。


「これだよ。腹がデカくなる頃合いだろ?」

「いや、まだそれほど見た目には違わないな」


 すぐだぞ、とフォークを向けてハンクスは警告する。


「ジャック。君には休暇を出そうと思う。よく頑張ってくれた」


 ジェイクスには一瞬、意味が判らなかった。

 だがその意味が判った瞬間――その裏にある意味も判った。


「おい……おいまさか、やめてくれよ、冗談じゃない。これからってときに!」

「心配するな。犯人には会わせてやる。好きなだけ拷問しろ」

「そういう話じゃない! 人を拷問狂みたいに言うな!」

「違うのか」

「違う! 俺は、奴を逮捕したい! それが俺の仕事だ! 取り調べや送検は他の奴に任せてもいい! 逮捕だけは俺にさせてくれ!」


 そのために追ってきた。

 足掛け丸二年。

 ――毎日毎日、奴を追ってきたんだ。

 奴のほうも、二年で色々と変わった。

 最近では犯人は医者ではないかと噂されるほど、切断や縫合ほうごうも上達した。

 最初はい針を使っていたのに、今では外科手術用の曲がった縫合針を使っているらしく、血管や神経まで接続している。

 現役の医者をして『天才的』と言わしめるほどの上達ぶりだ。

 ついには、切断した別人の手足を縫合して、一個の個体として生存させるまでになっていたのだ。


「――変わったな。ジャック。お前も」

「俺は変わってなんかない」

「お前のルーキー時代の報告書――なんだっけ? 『我々警察官は、法治国家の体現、法の番人として犯人を逮捕し――』」


 やめてくれ、とジェイクスが顔を真っ赤にすると、フィルが大いに噴き出した。


「こいつが? こいつが法の――なんだって?」

「こいつにも青臭い頃があった。いや、青くはないな。ただ臭いんだ」

「それにしたって――『法の番人』だって? そりゃあ一体どこの何様だい」

「やめてくれ。悪かった。ガキだったんだよ」

「今じゃすっかり汚れ仕事が板についた。でもな、こいつはまだ根っこがガキのままだ。そうだろ? 法の番人さん」

「悪かったよ警部。撤回する。俺は変わった」

「なら答えろ。お前は何のために刑事をやってる? 何のために故郷のフルシを出て、このクソ大都会で犬のクソを拾ってる? フィルみたいに楽しいからか?」


 俺は――とジェイクスは口籠くちごもりつつ、答える。


「治安だ。街の平和を、市民の生活を守る」

「そうだ。それでいい。お前は法律だの正義だののために働いているんじゃない。そんなバカな部下は要らん。街のため、市民のために働いている。そして今、その市民が増えようとしている。ジェイクス・ジャン・バルゼン・ジュニアだ」


 おいおい、まだ決まったわけでは――とジェイクスは手を振る。


「聞け。お前は、お前の家族を守る義務がある。それは刑事の仕事と同じだ。家に帰ってやれ。夫として父として」


 ――そうだ。警部の言う通りにしろ。

 後ろのテーブル席から振り返って、ジャック・トレスポンダはそう思う。

 過去の自分を見て――だがこれは夢だ。

 どれだけやり直したくとも、時間が戻ったわけではないのだ。


「わかるよ、ハンクス。友人として言ってくれてるんだろ? だが部下として言わせてくれ。これは俺の事件ヤマだ。ずっと追ってきた。寝ても覚めても、奴のことばかりを考えて」

「知ってるさ」

「奴を捕まえさせてくれ。後のことは、ビーチに転がって新聞で読むさ。息子か、娘か、将来俺の子に、『こいつはパパが捕まえた』って――」

「上の決定なんだ。このヤマの捜査は、フィルが続ける。だが――」


 ハンクスは小声になった。


「逮捕のときはお前を呼ぶ。そのときだけ休暇は返上だ。それまでフィルを信じろ」


 だがジェイクスは納得できなかった。


「上の決定? どういうことだ! どうして俺に捜査を続けさせてくれない! 俺が何かヘマをしたか!? この、現場で吐いてるフィルが優秀で、俺は間抜け!?」

「逆だ。お前が優秀過ぎるんだ」


 警部は懇願こんがんするようにしつつ、やや沈黙し――やがて豆をひとすく頬張ほおばってから答えた。


「――勇者だ・・・。勇者がこの件を捜査したがっている」

「勇者だと!? 勇者ってつまり――」

「七勇者のメンバーだ。目的はわからん。だが少なくとも、この件を解決するつもりらしい」


 ジェイクスは絶句した。


「――勇者が今更ノコノコ出てきて何だ!? 戦争にでも行きやがれっていうんだ!」

「わかってない。勇者がやるといったらやる。カンパニラ市のマフィア掃討作戦を知ってるだろう。あれは市長が勇者の捜査をこばんだせいだって噂だ」

「だからって――ここはブリタだぞ!? それもロンディアだ!」

「ジェイクス。わかってくれ」

「――」


 ジェイクスは無言で小銭をテーブルに置いた。


「休暇のことは考えさせてくれ」

「ジェイクス!」


 ジェイクスは立ち上がり、歩き出す。


「聞け! ジャッカル・ジャック!」


 ジェイクスは振り返りもしなかった。




***




 ポート・フィレム。

 宿無亭やどなしていの前には物々しい警備がかれていた。

 勇者・放蕩ほうとうのファンゲリヲンと共に姿を消したノヴェル・メーンハイムが自宅に戻るかも知れないからだ。


「通してください! 私たちこの宿の関係者です!」


 裏通りを入ったところの入り口は、守衛が二人警備している。

 壁には『裏切り者』『非国民』『出ていけ』『無能』『ひきこもり』といった心無い落書きが雑然と並び、窓は割れていた。

 ミーシャとサイラスは掃除用具を手に、壁の落書きを消しに来たのだ。

 守衛は、返事もせずただそこに突っ立っている。

 無視してその横を通り抜けようとすると、無言のまま剣を抜いてサイラスのくびの高さに伸ばした。


「何よ! あんたたち街の衛兵じゃないでしょ!」

すんだミーシャ。ギルドの雇われ者だろう。いくらで雇われた! 父が倍の額を出すよ!」

「酒瓶を出して、サイラス。こいつらの頭、ウイスキーの瓶の一番固いところでぶん殴ってやるわ」

「乱暴は止しなよ――」


 二人が守衛とにらみあっているときだ。


「――もし」


 そう背後から声がかけられた。

 振り返ると、古びたローブを被った旅姿の女性が立っている。


「宿無亭はこちらですか」

「お客さんですか? 生憎あいにく、宿無亭は今営業停止で――」

「構いません」


 宿は要りませんので、と女はローブを取った。


「賢者マーリーンとその二人のお孫さんを探しています。神になりかけているはずです」


 その女は――不思議な神々しさがあった。

 彼女は、火の女神フィレムであると名乗った。




****




 ヴァニラ海に面したエウロラ大陸側の国は、東の海峡のあるリトアから順にポラント、デルマッシェ、ジェミニ、アムスタ、フルシだ。

 フルシとブリタシア島は橋でつながっているらしい。

 綺麗な海岸通りを抜け、ポラントを抜けた俺達はデルマッシェに入った。

 ポラントでは一泊し、その後ファンゲリヲンはずっと運転のし通しだ。


「――替わってやろうか」

「六十五馬力であるのだぞ。初心者には危なっかしい」


 デルマッシェに入ってしばらく走ると、海岸通りは終わった。


「どうするんだ」

「海は飽きただろう。山を越えてジェミニに入る」

「山って中央山脈か!? 正気か!?」

「まさか。そこまでの無謀はしない」


 中央山脈は、北のヴァニラ海から沿岸三か国、リトア、ポラント、デルマッシェの南側にかかる大きな山脈だ。

 パルマ・ノートルラントとの位置関係でいうと、パルマとヴァニラ海と丁度中間あたり、大陸の真ん中を東西に走るけわしい山脈だ。

 八千メートル級の山がごろごろとあり、魔物と山岳民族からなる小国家が山ほどある。


「未承認の国で未知の部族だの、魔物だのと戦っても得るものは何もない。――西部諸国の連中の考えることはわからん」


 ブリタシアを中心にした西エウロラ連合国とは何度も戦争になっているらしい。

 征東せいとう戦線といったか。

 オフィーレアも参加したっていうあの戦争だ。征東の東は、西部諸国から見ての東――すなわち中央山脈のことだ。

 中央山脈周辺の戦乱の歴史は、実に百年にも及ぶらしい。


「戦争でもなんでも、争うに任せておけばよいものをな。拙僧せっそうらも余計なことをしたものよ」

「勇者は戦争には関わらないんじゃないのか」

「国家間の戦争にはな。戦地におもむいても直接戦闘行為には加担しない」

「何するんだ。見物か?」

「まぁ、そんなところだ。一種の人道支援とでもいおうか。死地に赴くのが勇者というものだ」


 わからねえな、とオレは言った。


「お前らは何なんだ」

「だから、世界を守るために死地に立つ者だ。魔力は移動できない。移動したらとどめられない。犬死にしてしまえばその者の魔力は消失する。勿体もったいなかろう。だから拙僧らの管理下に置く」

「ハイエナか」

「何とでも呼ぶがよいさ。拙僧らは間接的に、この世界の魔力の総量・・・・・を管理しているのだ」

「何の権利があってそんな――」


 権利? とファンゲリヲンはステアリングホイールを握りながら怪訝けげんそうにした。

 風景は海岸がそのまま砂漠のようになり、ゴツゴツした赤い岩や巨大なサボテンが道路際に現れるようになっていた。


「わからんな。権利とは何だ? 逆に聞くが、世界を守るのに権利が要るのかね」

「――それは――」

「責めているのではないぞ。純粋に、疑問なのだ。誰がこの宇宙を守れるのか。守るために何を犠牲にしてよいのか。神か? 神がやらぬとしたら、誰が誰の許しをうてそれをすればいいのか」

「判った、判った。悪かった。そういう意味で聞いたんじゃない」


 でも、とオレは付け加える。


「『世界を守る』って――本当にお前達の目的はそれだけか?」

「無論だ。あのお方の目的はそれだけ。拙僧はそう信じる」

「お前の目的は?」

「――拙僧には、拙僧の考えがあるのだ」


 ほら来た。

 すぐそれだ。イヤになる。


「あのな、オレは世界を守るななんて言うつもりはねえ。オレの爺さんだってやった。爺さんにはそんな権利があったなんて思わねえ」

「であろうな」

「でもお前ら、目的は一つじゃねえだろ! 私利私欲だ! お前らは、自分のためにやってきたことを世界のためだとか言っておためごかしにしてる! メイヘムも、ソウィユノもオーシュも、ゴアだってきっとそうだ」

「彼らはそのとがを負った」

「お前は? お前はいつ負う」

「拙僧は、自分のやるべきことを知っている。いつこの身を滅ぼすべきなのかも。そのときまでは旅をしているだけだ」

「じゃあお前の目的を聞かせろ。オレが手伝ってやる。それでお前がくたばるならな」


 いい機会だ、とファンゲリヲンは言った。


「君にも道を示してやろう。拙僧の目的は、あのお方を守ることだ。それが世界を守ることに通じるのだから同じことである。――なんということだ。七勇者はこれまでにも沢山いた。なのに誰一人、あのお方をかえりみる者はなかったのだ」

「どういう意味だ」

「特にあのソウィユノ達二世代勇者までは酷かった。葬ってくれて勲章をあげたいくらいだ。強いが無礼で、人の話を聞かず――」

「そうじゃなくて――! あのスティグマを、『守る』って――?」


 ふむ、とファンゲリヲンはルームミラーの角度を変え、少し鼻をこすった。

 しらばっくれるなと言おうとしたとき、ファンゲリヲンは口を開いた。


「――このままでは、あのお方はもう長くない・・・・


 ――なんだって。


「あのお方は、我らに自身の力を分けてくださる。だがそれは有限だ。それを無限にする方法を探している。そのためには、大賢者と七勇者が必要なのだ」


 予算といったのは。


「予算っていうのは――それか」

「さよう。あのお方を維持するのに必要な魔力プールが尽きようとしている。あのセブンスシグマという勇者――彼が特に致命的だった。だから拙僧は――待て」


 ファンゲリヲンはバックミラーを確認した。

 赤い砂が続く荒野。そこを貫く道のし方から。


「お客が来た。冒険者のようだ」


 振り向くと、リアウインドウの向こうに煙を上げながら追い上げてくる不審な大型車両がある。

 なんてこった。話に夢中になっていて、こんなデカブツに近寄られるまで気付きもしなかった。

 ウェガリアのホイールローダーよりもはるかに――途轍とてつもなくでかい。

 まるで機関車だ。いや、機関車も運べそうだ。

 輸送専用車両だろうか。


「トレーラーであるな。大物を牽引けんいんできる」

「くそっ! 昨日、宿で見つかったのか」

「――? 君を助けに来た連中なのではないのかね?」

「馬鹿言うな! オレは賞金首だ!」


 大型車両はどんどんとスピードを上げながら近づいてくる。

 ――やる気だ。

 あんなものに追突されたらひとたまりもない。


「シートベルトをしろ。掴まっていなさい」


 ファンゲリヲンが何かのスイッチを操作すると、突然屋根が上がり、そのまま後ろに向かって吸い込まれ始めた。

 カラッカラに乾いた風と、それがはらむ砂粒をまともに被ってオレは息もできない。


「ぷあっ――こりゃあ――いったい、ぺっぺっ」


 背後からの轟音。

 超巨大タイヤが路面を切り刻む音。

 振り向けば、もうすぐそこだ。


「頭を下げろ! 上げるんじゃないぞ!」


 そう言われて、オレはシートの上で頭を低くした。

 ファンゲリヲンは急にブレーキを踏み込む。

 ガクンと慣性がかかって、首をやられるかと思った。

 急に暗くなる。

 オレのすぐ上を――巨大車両のシャーシが通り抜けてゆく。


「うあああああっ!」

しびれるだろう!?」


 背後から追い上げてくる巨大な車体の下に、オレたちはもぐり込んだのだ。

 あっという間に車体の下を抜けた。

 再び激しい日光と排ガスにまみれ、オレはまたき込んだ。


「抜けたぞ! これでもう追突の心配はない!」


 巨大車両の荷台にはコンテナはなく、代わりに十人からの荒くれ者が乗り込んでいた。

 こちらに向けて掌を拡げ――魔術を撃ってくるつもりだ。


「危ない! 魔術だ!」

「当たらんよ」


 車上から次々繰り出される魔術を、ファンゲリヲンは右へ左へと避ける。

 オレたちの車は大きく車道からはみ出し、砂煙をあげた。

 サボテンやら岩やらがすぐ傍をすり抜けてゆく。

 奴らの魔術は、そのサボテンと岩に次々命中した。


「狙いがいいぞ! 手練てだれみたいだ! 慣性が働かないのを計算して撃ってる!」

「つまりあの者らに丁度いい速度というわけだな! ノヴェル君、シートベルトを外すのだ! 運転は得意かね!?」

「付けろといったばかりだろ! まさか今われなんていうんじゃないだろうな!?」


 そのまさかだ、とファンゲリヲンはわらった。


「道路に戻って彼らのトレーラーにお邪魔する。君はスピードを合わせて、トレーラーにつけろ。これがアクセル。これがブレーキ」

「はぁ!? 馬鹿だお前は! お前は馬鹿だ!」


 ファンゲリヲンは充分加速しながらハンドルを右へ切り、車を急激に大型のトレーラーに近づける。

 この動きは予想できなかったようで、奴らの魔術は大きく外れた。

 わずか数秒のうちにトレーラーに横付けし、「また会おう」とファンゲリヲンは運転席で立ち上がった。

 オレは慌てて運転席に滑り込み、入れ替わりにファンゲリヲンは助手席の上を通ってトレーラーに飛び乗る。


「なんだこいつ!?」

「おい、こいつは――勇者だ!」


 目にも止まらぬ速さで、ファンゲリヲンは一人の腕をつかみ、足元を払って荷台の上に倒す。


「勇者だと!?」

「こんなジジイが!?」


 ジジイ・・・は、自らに向けられた掌を払い、肘までがっつり抱えて自身の腰を支点に放り投げる。

 放り投げられた冒険者は、トレーラーの荷台から地面に落ちて転がり――まばたきをする間にももうはるか後方に転がっていた。

 火の魔術をかわし、空気魔術の暴発を誘い、荷台の上にいた残り八人を次々と倒し、放り出し――あっという間に半分の四人にした。

 強い。

 魔力が強いとか腕力が強いとかじゃない。

 べらぼうに戦い慣れている。

 奪ったナイフで切りつけ、二三振る間にも間合いに見切りをつけ、投げナイフに切り替える。

 敵が掌をかざしてから魔術球の出現までの時間、それが打ち出されるまでの時間を正確に読み、それへの対応が適切だ。

 一対十だった。

 それがあっという間に一対二になった。


「な――なんだこのジジイ!」


 敵の冒険者は――魔術頼みだ。

 芸もなく再び掌を繰り出し、魔力を込める。

 ファンゲリヲンはそのすきを読んで動いた。

 間合いを詰め、そして――出現した魔術球を素手で鷲掴わしづかみにし、唖然あぜんとする相手の口の中に放り込む。

 次の瞬間、男は自分の眼玉を射出し、そして鼻と耳から炎を噴き出していた。

 ――こんなことができるのか。

 残った一人は戦意を喪失そうしつし、ひざをついて両手を頭の上で組んでいた。

 ファンゲリヲンはその男に向かってゆく。


「こ、この通り! 降参だ! た、助けて……命だけは」

「はて。ここには十人からいた。君は最後の一人。降参する機会は充分にあったのではないか?」

「許してくれ! あんた達に恨みはねえ! 分け前が増えると思っただけだよ!」

「もうやめろファンゲリヲン!」


 オレは叫んでいた。

 その声が奴に届いたのかは判らない。


「浅はかなことだな。その哀れさに免じて、一人だけ生かしてやる。仲間の死を噛み締めて生きよ。拙僧の名は放蕩のファンゲリヲン。尊公そんこうの放蕩を許す。ただし――条件がある」


 ファンゲリヲンは一人残った男の耳元で何かをささやくと、悠然ゆうぜんと歩いてこちらの車に飛び移ってきた。


「運転が上手いじゃないか。人間、何かひとつくらい取り柄があるものだ」


 オレはファンゲリヲンに運転を替わる。

 助手席に戻って、オレはひとつ息を吐いた。


「見直したぜ。見逃してやるなんて――」

「そうだとも。拙僧は心が広い。一人だけなら見逃してやると言った」


 一人だけ――。

 何かが引っかかった。

 男は荷台を前方へ歩き、牽引している車両のドアに飛び移った。

 運転席側だ。


「おい、まさか」

「巻き込まれてはかなわん」


 ファンゲリヲンは加速し、トレーラーを追い越してゆく。

 追い抜きざまに一瞬見えた。

 さっきの男が、トレーラーの運転手に飛び掛かる。

 魔術の爆発――。

 トレーラーのフロントグラスが飛び散り、左右に大きく暴れ始めた。

 血塗れになったさっきの男が顔を出し、必死の形相でステアリングにとりつくが――。

 道は既に山道だ。

 大きなカーブの向こうは青空が突き抜けて見える。

 崖か何か――おそらく落ちたら終わりだ。

 ファンゲリヲンは難なくカーブを曲がる。

 後ろでトレーラーはバランスを崩し、横転した。

 横滑りし、火花を散らしながらカーブを飛び出し――何十メートルか下の渓谷へ向けて空を飛んでいた。


「ああっ――」


 爆音。

 そして立ち昇る煙。


「どうだ。見直したか?」

「見直したぜ。お前に人の心はない。お前はモンスターだ!」


 ファンゲリヲンは小さく嗤った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る