26.3 「雨ならもうすぐ止むわ」


「――そうか。判った。引き続き気を付けてくれ――いや、いつでも逃げてくれていいんだぞ」


 ベリル庁舎の塔。

 それに背中をつけ、ジャックは一人小声でそう言った。


「こちらから情報だ。ノヴェルは無事だ。南部で皇室の調査員と一緒だ。遠いが、いつでも連絡はできる。心配はない」

『――良かった。じゃあ僕は戻ります』


 ジャックは壁を離れ、華麗な身のこなしで庁舎の壁を飛び越え――顔面から着地した。

 ――くそ。まだ本調子じゃねえ。

 どういうわけか頭のほうから徐々にくっついていった彼の骨が、ようやく脚の骨まで繋がってくれた。

 スティグマから逃げているときにまた折りなおした左足の骨も一か月でくっついた。

 医師も首をかしげる驚異的なスピードだったが、彼にしてみれば車椅子生活は長すぎた。

 サイラスの情報によれば勇者・真実のセブンスシグマ改め正統王シドニアはこのひと月、内政基盤の継承に時間をかけている。

 国を乗っ取った勇者は、どうやら本格的に王になろうとしているのだ。

 元老院はもうない。バラバラになったこの国の半分は、今急速にくっつき始めている。

 そちらも驚異的なスピードと言えた。

 政策はない。特段、何かを実現しようとしているようには見えないとサイラスは言う。

 ――そうなんだろう。奴からすれば、自分のものを取り返しただけ。

 だが不思議と、彼の人事はハマる・・・のだそうだ。

 人を見る目があるのか、それともただの偶然なのか。

 事実、鉄道も春を待たずに復旧した。

 内政には力を発揮するのに対し、彼の周囲は相変わらず不穏な空気をまとっていた。

 彼が新たに作った小さな軍隊はモノを言わず、決して笑わず、街を闊歩かっぽする姿は市民らを恐怖させている。

 先の民王時代には考えられない。

 市民らはそれを親衛隊と呼んだが、シドニア自身は「宇宙の猿たちスペースモンキーズ」と呼んで嘲笑あざわらっているらしい。

 今や、ベリルにはあまり人間がいない。

 観光客はなく、市民らは引きこもり店も開けないでいた。

 一方、ジャックの調査で奴の正体についても判ってきた。

 オルロという男の話では、奴の本名はボルキス・ミール。

 元民王軍第二師団の中隊長で、奴が自分で話した通りポート・フィレムにも駐留していた。

 比較的若くしてトントン拍子に出世していたが、周囲の評判は良くなかった。

 ――実力もないのに運だけで出世した。

 ――世渡り上手。

 ――いつもへらへらしてる。

 ――旧王の落としだねってウワサ。鼻にかけてやがったよ。

 軍校時代の恩師には連絡がとれない。おそらく死亡しただろう。

 恩師は近郊の軍校の学長であり、ベリルを襲ったドラグーンの最終責任者でもある。

 ミールを悪く言わないのは、彼の部下であった調査チームのみ。

 特にオルロはミールを、尊敬と言えるかまではともかく信頼はしていた。

 ジャックは、自分を追っていた組織の人間と協力して組織のおさを殺そうとしていたわけだ。

 現在、オルロは極度の混乱状態にある。


(掴みどころがねえ。何を考えて、何をしようとしてやがるのか――)


 ジャックには手の出しようがなかった。

 ところでサイラスによれば、庁舎にはどうやらスティグマも潜んでいる。

 スティグマ自身を数度、そしてあの謎の少女らしき人影を繰り返し目撃している。

 奴はあの少女を「インターフェイス」と呼んでいるらしい。勇者ではなさそうだが、勇者たちにも深く関わっているようだ。

 そしてどうやら、そのスティグマがここ数日の間にベリルを発ったらしいのだ。


(また空でも飛んでいきやがったのか? 殺し損ねたぜ)


 ただ彼の勘では――また必ず出会う。それも近いうちに。



***



 ミラが復帰したことでオレ達は御所に入ることができるようになった。

 許可はその日のうちに下りたのだ。

 翌日、オレとミラ、そしてノートンの三人は図書館を通り過ぎて御所へ向かった。

 高い、豪奢ごうしゃな壁に隔てられたその向こうはパルマだ。

 しかも神聖パルマ・ノートルラント王国というより大昔のパルマ――そんな気がした。

 門が開いた。

 壁の向こうには大きなお屋敷があるのを想像していたが、実際は小さな平屋が一軒。

 その横に、石造りのやや小さな建物があり、丁寧に管理された庭の遊歩道が繋がっている。


「右の建物が私文書館――その入り口です。本館は地下に」


 なるほど、あれは氷山の一角か。

 オレ達はその石造りの建物に向かった。

 向こうからメイドとおぼしき女性が二人雨の中を走ってきて、オレ達の傘を受け取り、ミラを支えた。


「地下はミラ君には障る。メイドに任せて我々二人で地下へ行くぞ」


 図書館同様、中はひんやりとしていて乾燥している。

 昇降機などはなく、長い螺旋らせん階段を下へ下へと降りてゆく。

 一番下まで降りたところの扉を開けると更に長い廊下が続いていて、その突き当りの先が書庫になっていた。


「方向感覚が――」

「シッ。この先は私語厳禁だ」


 オレ達の他に誰もいないのに私語厳禁とは――?


「――見張られていると思いたまえ」


 それは困るな。荘厳そうごんだが穏やかじゃない。


「何かあったら外へ」


 そう小声で言い残し、ノートンはリストを持って奥の方へ歩いてゆく。

 図書館の書庫も背が高かったが――その比じゃない。

 地下にぶちぬかれたその部屋は、尋常じゃないくらい天井が高く、その間を足場が格子のように縦横に走っている。

 足場から次の足場までを一フロアとするならこの部屋は九階建て。

 道理で外の螺旋階段が長いはずだ。

 オレは完全に雰囲気に呑まれて、ノートンの後ろを馬鹿みたいについていった。

 床材はしっかりしていてカーペットが分厚く足音がしない。

 床はよほど硬い部材で作られているのか、たわみやひずみは一切ない。おそらく何かの金属だ。

 ――本当にこれが全部私文書?

 とんでもない量だ。

 立ち止まって一冊を手に取る。

 探せと言われても、字が読めない。古代文字だ。

 文字だけは辛うじて読めても書体が特殊だったり外国語だったり――。

 そうしているうちに、オレは気付いた。なるほど、最初に図書館で慣らしていて正解だ。

 いきなりここに放り込まれていたら、五分以内に発狂していたかも知れない。

 ここには一切音がない。

 紙をめくる音でさえ耳に刺さり、すぐに体に、そして床材に吸い込まれていくようだ。

 ノートンは本当にここで一人で調査を――?

 オレはノートンを探して奥へと進んだ。

 声は出せない。

 声を出すのが恐ろしい。

 奥におかしな区画があった。

 そこにあったのは書架ではなく、書き物机とインク壺。そして抽斗ひきだしの並んだ小物入れ。

 ノートンはその机に座っていた。

 机の上には、大きな封蝋の封筒が束になっている。

 本ではなく手紙を読んでいるようだった。

 声はかけられない。

 オレは――暴力的な静寂の中で、情報量という悪夢と戦う決意をした。




***




 アンジーはメイドである。

 元々ポート・フィレムの大きな宿「アグーン・ルーへの止まり木」で働いていたが、あるうるさい客のために難聴になった。

 耳がえた頃、再就職先を探していた彼女は家政婦組合の紹介でここへ来た。

 外国だと聞いていたが、よく聞くとどうも外国にあってそこはパルマであるらしい。

 ミランダというその日の客は、それまで迎えた紳士でも淑女でも官僚でもなく、異質だった。

 すれっからしの冒険者といった感じで、しかも怪我人だ。

 更に――どこかで会った気さえしていた。

 アンジーは大奥様の車椅子を押す。


「お庭に出たいわ」

「大奥様。外は大雨です」

「雨ならもうすぐ止むわ」


 アンジーはカーテンを開けて隙間から外を見る。

 さっきあれだけ降っていた雨が弱まっている。今にも止みそうだ。


「雨が止んだらお客様を招いて差し上げて。一緒にお墓参りを」

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