10.2 「オーシュだって一人でどうなるか……」

 ジャックとノートンは、右舷側から中央の海賊船に飛び乗っていた。

 こちらも海賊の激しい抵抗を受けたが、二人は難なく海賊を倒してゆく。

 斬撃にこそ容赦がないが大味で真っ直ぐ、つまり馬鹿正直だとジャックは思った。

 接近戦になると海賊達は驚くほど認識阻害に対して無防備であった。


(別段、それほど悪い連中じゃあねえんだなぁ)


 インスマウス村のマスター聞いた感じでは前時代的蛮族の印象があったが、実際に剣を交えると単に素朴な連中ということが透けて見える。

 剣で時間を稼げば簡単に認識を散らすことができ、海に投げ落とす隙が生まれる。

 見ればノートンも心得たもので、致命傷を与えないような方法で戦っている。


「やるじゃねえか官僚さん。デスクワークより向いてるんじゃないのか?」

「君こそなんだ。冒険者らしくない上品な戦いぶりじゃないか。軍人崩れではないな」


 危なげなく敵船に潜入した。

 この海賊船も木造帆船で、船尾側にブリッジがある。

 平らな甲板の船尾側に一段高い船尾ろうがあり、その上に突き出た船室がブリッジだ。

 敵船の甲板でも、次々に海賊の攻撃を防ぎ、蹴り、海に投げ――船尾楼に上がって外壁に身を潜めた。

 船尾側は煙が濃い。

 ブリッジは更に二階にあり、そこへ至るルートは四か所。右舷側、左舷側それぞれに狭い階段があり、それぞれの階段は船首側と船尾側の両方に降りられるようになっている。

 ブリッジの周りは船尾側を通って右へも左へも回り込めるが、いずれにせよ、この上に勇者がいる。


「……しかし、あんたよく皇帝の船に行けってゴネなかったな」

「ジャック君、段々君の行動パターンが読めてきたよ。ここでディオニスを待ち伏せするのだろう? 私だって軍人相手に二人で正面突破では、勝ち目があるとは思わないからね」

「心強いな。じゃああんたはここで待機しろ。俺はブリッジの様子を探ってくる。耳にイアーポッドは入ってるな?」

「入っている。そのネーミングはどうかと思うが」


 ジャックは木製の階段を音を立てずに上がり、ブリッジの入り口から中を窺う。

 ブリッジの出入口には扉がない。

 航海士らしき海賊は一人だ。

 背後の椅子で踏んり返っているのが、さっき望遠鏡から見えたオーシュだ。

 足をテーブルの上に投げ出し、足先に引っ掛けた靴をぶらぶらさせている。


「もっとスピードは出せんのかぁ! 追いつかれているぞ!」

「機関室じゃあもう魔力切れでぶっ倒れる者が続出してまさぁ! 消火に魔力を使いすぎたんで!」

「だらしねえ奴らだ」

「勇者の旦那! どうか機関室に行って加勢してくだせえ!」

「ああ? その勇者様がなぜ機関室なぞ行かにゃならんのだ」

「船尾側からでも構いませんで……」


 ジャックは状況をレポートする。


「こちらジャック。ブリッジには二名。航海士とオーシュ、奴らはぐだぐだだ。オーシュはゴアと同じ性格らしい。まるで船長に向かない」

『こちらノートン。朗報だ。逃げ切る算段はありそうか?』

「オーシュが魔力を温存しているようだが、どうもやる気がなさそうだ。いざとなったらフル加速する自信があるのか、それとも皇帝とやり合うつもりがあるのか。或いは……」

『時間稼ぎか? 何の? ……仮にそうだとすればまずい。ジャック君、早期に決着を』


 言いかけたそのときだ。


『――ああ、まずい……』


 ノートンが呆けたような声を出した。

 続いて、ゴションと特大の金属がぶつかり合う重たい轟音――。

 なんだ、とジャックは階段上から船尾側を見る。

 濃霧のような白煙の海。

 それをかき分けて、軍用船の横っ腹が迫ってくる。


「なんだ――」


 軍用船の船首側主甲板が見える。

 さっき世話になったザリア人船員がいた。


(逃げろ!)


 彼は身振り手振りで、ジャックにそう呼び掛けている。

 しかしもう時は遅く――軍用船の巨大な横っ腹は、そのままこの海賊船に向けて――激しく衝突した。

 ジャックは慌てて伏せ、階段の段に掴まる。

 

「ぐあああああっ」


 ブリッジ内から叫び声が聞こえた。

 続いて加速度は横向きになる。

 この海賊船が、追突の衝撃で急速に横向きの姿勢になってゆく。


「ぬおおおお」


 これはジャックの声だ。

 急に向きを変えた加速度に対応するため、必死に握力を捻り出している。


『追突された! さっきのザリア人の船だ!』


 結局加速に負け、伏せていたジャックは階段上の足場で仰向けになる。


「ふぅ。痛ぇ。……見た。どうもわざとじゃないらしい。さっきの船員の一人が逃げろと合図していた」

『わかってる。わざとこんな無茶をする奴がいるものか。彼らも押されたんだ』

「押されたって何に……ってのは愚問か」

『ああ、愚問だ』


 白煙に満ちた軍用船の甲板――その向こうには大型軍用船の影が見える。

 ディオニスだ。ディオニスの船だ。

 その煙を振り切って、何かが勢いよく飛び出した。

 それは、海賊船ブリッジを飛び越え、反対側の船首側甲板にダンッと着地する。


「あれは――」


 主甲板上にいた海賊らがたじろく。

 突然空から飛んできた男。

 最上級の鎧を身に着け、文字通り怒髪天どはつてんを突くような髪。

 鬼神だ。いや、武神か。


「あれが――ディオニス三世」

 

 この距離からでも圧倒される。

 あまりにも強大な威風。

 ディオニスは剣を抜き、一閃で周囲の海賊三人を斬首した。

 首をねられた者はまだ幸いである。

 不運な者は額から上の頭部のみを切断され、何もわからないうちに、何もわからなくなって、何もできずに倒れた。


「強ぇ……あれは、正面からじゃ近づくことすらできねえ」


 その殺戮者が、こちらに向けて歩を踏み出す。

 残りの海賊達は蜘蛛の子を散らすように霧散し、こちらへ走ってくるものは手投げ剣の餌食になった。


『ジャック君、ブリッジはどうなっている』


 ジャックは一瞬だけブリッジを覗いた。

 航海士が倒れている。額から出血している。おそらく、衝突の衝撃で舵に頭を打ち付けたのだろう。

 もう一人、起き上がり、慌てたように靴を履く者がいる。


「オーシュが立った。航海士は昏倒。奴がどう動くかはわからない。こっちも危ない。離脱する」

『了解』


 ジャックは後部側の階段を駆け下り、ノートンと合流する。


「皇帝をどうにかできそうか」

「馬鹿言え。あんなものどうにもならない。あんなの相手に、オーシュだって一人でどうなるか……」


 海賊船の船尾のすぐ目の前には、高めの波に揺られて上下する軍用船が見える。

 衝突したままだ。

 誰も操縦者がいないまま、この船は団子のようにくっ付いて航海を続けている。

 そのすぐ向こうの煙の中には、まだ大型船の影がある。

 海上多重衝突。

 皇帝の大型船と、勇者の海賊船が、先ほどのザリアの軍用船を媒介して繋がってしまったのだ。

 奇しくもこの瞬間、敵対または協力する五つの勢力が、海上で一つになっている。

 こんなことってあるか――とジャックは少し笑った。

 馬鹿みたいに広い海の上だぞ。街中の馬車だってこんな風に事故った話なんざ知らねえ。


「はは。無理だ。だがここからならディオニスの船まで行って、側近に親書を渡せる」


 オーシュが皇帝を殺してくれるのではないかとジャックは考えていた。

 それは都合の良い希望的観測でも何でもなく、ごく自然な期待だった。

 だが予想より、桁を二つ超えてディオニスは強い。

 対する勇者は大きいとはいえ木造船の上だ。しかも船には、回収するつもりの偽マーリーンの遺体がある。思い切り魔術を使える場所ではない。

 今ここでノートン達が死んで、身元が洗われればもう戦争を回避するどころの話ではない。即時開戦だ。


「直接渡さなければダメだ!」

「あいつを見たか? 怒りで髪が逆立ってやがるんだぞ! 側近に渡せば、オツムが冷えた頃に読むだろ!」

「側近が渡す保証があるのか? 開封されては意味がないんだ!」

「考えろ! ここであんたが死んで身元が割れたら姫さんはどうなる!」

「……」


 ノートンはメガネを外し、顔を拭いながら苦悶した。


「そうだ……我々の目的は……しかし」

「なら待ち伏せの場所を変える。今なら間の船を通ってディオニスの船まで行ける。そこで待ち伏せする」

「……いいだろう。そのほうが確度が高い」


 そのとき、上階のブリッジから悲鳴が聞こえてきた。



***



 階段を降りるとそこはどうやら海賊船の主砲甲板だ。

 船室がいくつか見えるが、扉は閉じたまま。

 更に降りると下層甲板があり、ここには誰もいそうにない。


「ミラ!」


 叫びながら更に降りると、貨物甲板だった。

 ダメだ。

 この非常事態に、貨物甲板になどいる奴がいるわけがない。

 では上の、主砲甲板の船室か? はたまたブリッジか?

 メルっていう奴の身分がわからなきゃ、どこにいるか推測のしようがない。

 ドン!

 大きな音がして船が傾く。

 隔壁の一つをメキメキと鳴らしながらだ。

 ――衝突だ。

 とても立っていられず、かといって掴まるものもなく、オレは階段下の通路をゴロゴロと転がった。

 でも、そのときふと――奥のほうでおかしな音がした。

 明らかに、箱ではない何かがズルズルと床の上を滑る音。

 柔らかく、重い何か。

 ズタ袋か――そうでなきゃ家畜か何か。

 白っぽい、ぶよぶよした何かが見えた。

 豚だろうか。色白のオークだろうか。

 その豚の傍に、倒れている人間がいる。

 恐ろしい海賊だ。人間も家畜にするとは。


(いや、そうじゃない、あれは)


 突然体にかかる加速度の方向が変わって、オレは思考を散らされた。


(ただの衝突じゃない――なんだこりゃ)


 沈没・・、の二文字がリアルになってオレは少し漏らしそうになった。

 ともかくオレは股間を締め上げ、壁伝いに、ゆっくりと奥へ向かう。


「おい、そこに誰か、いるのか?」


 返事はない。

 だがあの足は、女じゃないか?

 やっぱり女だ。

 近づくとそれは、一目で・・・ミラと判った。

 一緒に倒れている豚も家畜ではなく、いや豚ではなくオークでもなく、どうやら人間のようだが、鎖で壁に繋がれている。


「ミラ! おい! 起きろ! 潜入は終わりだ!」


 オレがミラを担ぎ上げようとすると、何かに引っかかっている。

 見ると、さっきの色白のやや人間離れした人が、きつくミラの手を握っている。


「お前! 離せ! 起きろ!」


 二人とも意識がない。

 この状況で寝ていられる人間などいない。

 世界にひとりくらいいてもいいが、二人揃ってはあり得ない。

 待てよ。じゃあこいつがクック=ロビンとかいう奴か。

 聞いてた感じと随分違うな、というのが正直なところだ。

 ミラもミラだ。潜入してたはずなのに一目でミラとわかる。あの日島で見たメルって女海賊とは全然違う。

 なんだこれは。

 何があった。

 この十日ちょっとの間に、いったい――。


 胡胡うう……。


 人とも獣ともつかないような、不気味な唸りが低く響いた。

 クック=ロビンからだ。

 見ると、薄く、クック=ロビンが、眼を開けていた。

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