言の葉で咲く花の色は

箱崎透

イズディヤード

 式の間は青く澄み渡っていた空も、今はすっかり橙色に染まってしまっている。最近少しずつ昼の時間が長くなってきているとは言え、三月のはじめの今の時期は日暮れがくるのが早い。

「なんかあっという間だったねぇ」

 付けっぱなしの胸の花飾りをいじりながら、隣を歩く結菜が呟く。

 膝にまとわりついて揺れる紺色のスカートを見下ろしながら千沙は「うん」と頷いた。腕の中の、美術部の後輩たちからもらった色紙とプレゼントを抱え直す。カサ、と乾いた音が廊下に響いた。

 いつもより早く放課後をむかえた校舎に人の気配は乏しく、昼間の騒がしさとは裏腹に静まり返っている。廊下を歩く二人の足音がことさら大きく聞こえる。千沙はすん、と鼻を鳴らした。

 卒業式も終わり、長めのホームルームも終わり、部活の集まりも終わった。あっという間だった。あとは、ただ帰るだけ。

 正門に近い南玄関から一番遠い、北校舎の端に美術室はある。その地味に長い、けれど話しながら歩けば短い道のりを、三年間いつも二人で歩いてきた。

 北校舎と南校舎を繋ぐ渡り廊下は、いつもよりやけに眩しかった。窓から射し込む夕陽が、薄暗い校舎の中に二人の影を長く伸ばす。千沙はちらりと隣を見やった。友菜の、ほんの少しだけ茶色がかった髪の毛が、金色の光に照らされてきらきらと輝いている。

「にしても全然実感ないよね、もう卒業なんてさ」

「そうだね」

 金色に縁取られた髪をさらりと翻して友菜が笑う。

「おめでとうございます、なんて言われてもあんまりピンとこないし」

「うん、本当に」

 千沙は頷く。短い髪が頬にかかる。

 式の途中、校長先生から、来賓の人たちから、在校生から何度も告げられた祝う言葉。けれどそれは少しも沁みることなく千沙の頭の上を通り過ぎるばかりだった。

 おめでとうございます。

 おめでたいことのようには、千沙には思えない。

 それを友菜も感じていたことに、胸の中に小さな泡がひとつ浮かんだ心地になる。

「だってまだ国立の結果出てないもんね。宙ぶらりんって感じ」

 友菜がどこか硬い表情で呟いた。

 ああ、そっちか。千沙は内心で苦笑した。胸の泡がぱちんと弾けて消えてゆく。

 第一志望の大学にどうしても入りたいこと、そこで絶対に学びたいものがあることを、友菜は何度も千沙に語ってくれた。そのときの、まっすぐ未来を見つめてきらきらと輝いていた瞳が脳裏によみがえる。

 躊躇いなく、力強く前へと進んでいける友菜。

「受かってるといいなぁ」

 友菜がふっと宙を見上げる。その眼差しには、かすかに緊張が滲んでいた。千沙は気取られないよう小さく吐息をこぼし、それから頬を持ち上げてにっこり笑った。

「大丈夫だよ。だって友菜、あんなに頑張ってたんだもん」

 告げた言葉は、少しだけ掠れていた。三年間履き古したローファーの足音がその掠れを隠してくれたことを、千沙は願う。

「へへ、ありがと」

 照れを含んだ、けれど嬉しそうな表情で友菜がはにかむ。胸の奥がきゅ、と痛んだ。

 友菜の第一志望の大学と、千沙のそれは違う。それに、第一志望に受かろうが落ちようが千沙は県内で進学するが、友菜の志望校はどこも県外だ。つまり、二人で同じ学校に通うことはもうない。こうして二人で肩を並べて歩きながら校舎を歩くことは、もう二度とない。

 いつのまにか、帰り道は階段に差しかかっていた。先に階段を下りていく友菜の後ろ姿を見つめる。とん、とん、とん、のリズムに合わせてセーラー服の襟が小さく揺れている。

 四階から三階へ、三階から二階へ。階段というものは特殊な場所だと、千沙はぼんやり考える。上から見ればただ同じ場所をくるくると回っているだけなのに、その実、着実に残りの段数は減っている。確実に、終わりへと近づいているのだ。

「春休み遊ぼうね。あ、でも引っ越しとかで忙しいかな」

 二階にたどり着いたとき、唐突に友菜がくるりと振り返った。何でもないように、いとも簡単に。

 見上げてくる丸い瞳に千沙は笑ってみせた。

「一日くらい大丈夫でしょ」

「そうだよね」

 満足そうに頷いた友菜は、すぐに前を向いた。

 一日くらい。自分の言葉と、それに満足する友菜に、また胸が小さく痛む。

「夏休みも遊ぼうね。たぶん帰ってくると思うから」

「気が早くない?」

「早くないよ、絶対すぐだよ」

 くすくすと友菜が笑う。

 すごいなぁ、友菜は。千沙は目を細める。

 前を見て、前だけを目指して歩いてゆける。囚われることなく、ひたすらに。

 私にはできない。

 ずっとこの場所でぐるぐると足踏みしていられたらと望んでしまう私には。ずっとここで友菜といたいと願ってしまう、私には。

 千沙はぐっと奥歯を噛みしめた。

 階段は、残りあと数段。

 先を歩く友菜の、ピカピカに磨かれたローファーのつま先が、最後の段にかかる。そのまま一歩踏み出そうとする、まっすぐな背中。

 思わず、待って、と告げようと口を開いて。

 ────静かに、言葉を飲み込んだ。

 前をゆく彼女が、何にも囚われることがないように。私の未練にも、想いにも、足をとられることなく進んでいけるように。

 千沙は、祈るように細く息を吐き出した。

 すでに階段を下りきった友菜が「どうかした?」と首をかしげる。

 玄関から射し込む夕陽を背負った眩しい彼女に、千沙は「ううん、なんでもない」と笑う。

 最後の段に残ったままのくたびれたローファーには、友菜の黒い影が落ちていた。




『足踏み』『階段』『祝う』

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