この話いつまでするんだよ
森山智仁
平成31年1月6日
「お疲れ様です! 先日の出演オファーの件、その後いかがですか?」
時刻は朝の九時半。
俺が深夜バイトしてるの知ってるだろこの時間寝てるってことぐらいわかれよだいいち出演オファーをラインで送ってくんじゃねぇよ検討中と既読スルーの見分けがつかねぇだろっつーかチケットバック二十一枚目から一枚千円ってオファーって言えんのかよ時給換算したらいくらだよ
不機嫌で冴えた頭というのは始末が悪い。
言いたいことを全部飲み込んで、「もうちょっと考えさせて。ごめんね」と返信を送る。
まもなく、「了解です!」という返信が来たことを通知で確認し、未読のままにしておく。
すっかり目が覚めてしまった。暖房をつけてのそりと起き上がり、素早く半纏を羽織って、カーテンを少しだけ開ける。
椎名町駅徒歩十分、築三十五年のアパートの二階、拭き掃除など滅多にしない窓から見るいつもと変わらない景色。昨夜の雪は積もらなかったようだ。
テレビをつけ、めしを解凍して、卵をかけてかき回す。洗濯機も回す。埃まみれの洗濯機で服がきれいになる不思議。
午前十時。
「お誕生日おめでとうございます!」
祝いの言葉を最初にくれたのが居酒屋チェーンの会員ラインという現実。しかもきっと最初で最後だろうという予測。
かと思えば、「今日ヒマでしょ?」小菅からのライン。
飛びついてはみっともないような気がして、わざと十五分ほど空けてから、「ヒマだが?」と返す。
「じゃあ待ってますよ。サービスしますから」
このみすぼらしい五十一歳に祝福をくれる心優しい四十九歳に、二十時に行くとラインで伝える。
何をするにもライン、ライン。ライン河のほとりに寄せ集められる流浪の民。
バイトは休みだ。誕生日だから空けていたわけではなく、たまたまシフトが入らなかったに過ぎない。
◆ ◆ ◆
小菅仁史の店は住宅街の中にある。とんでもなく美味いわけでも法外に安いわけでもないが、いつ行ってもそこそこ客がいる。
以前、繁盛の秘訣を本人に訊いてみた時には、嫁さんを示しながら「こいつがキレイだからでしょ」と自信たっぷりの顔で答えるので、俺は大笑いしながらかなりの力を込めて奴の首を絞めた。
三十年前――原が敗走して、剣崎が正式に新しい劇団を旗揚げした時、いや、その以前からずっと、小菅は剣崎の腰巾着だった。彼の剣崎に対する男としての憧れは「細川を寝取られた」という一件で無残に崩壊した。
小菅と細川佳子がいつから付き合っていたのか、俺は知らない。
剣崎は、寝たというところまでは認めたが、取ったというところは認めなかった。
細川はほとんど何も語ることなく、あっという間に演劇の世界から姿を消した。
小菅は剣崎の劇団を離れ、フリーの役者としていくつかの舞台に出演した後、自分の才能に見切りをつけた。言い換えれば、見切りをつける才能を彼は持っていた。
「じゃ、おめでとうございまーす」
「めでたくねーっつーの」
俺は中ジョッキ、小菅はグラスのビールで、カウンター越しに乾杯する。
「小菅、子供の写真見せろよ」
「え、何ですかいきなり」
「見せたくてしょうがないんだろ」
「まぁそうなんですけどね。はい」
小菅がスマートフォンの画面をこちらに向ける。校門の前で、卒業証書を持った中学生の女の子が母親と一緒に笑っていた。
「見といてノーコメントですか」と、小菅の嫁さんが笑う。小雪に似た美人である。
「いや、ちょっと見とれちゃって」と、俺は本心を言った。
二つ下の後輩が、結婚し、店を開き、一人娘を今度は高校に入れようとしている。清く正しい現実に打ちのめされる。
かたや俺を御覧じろ。五十を過ぎて「役者」。開き直れてすらいない。
人に言えば九分九厘「テレビとか出てるんですか?」と訊かれる。そんな時は「舞台のほうなんで」と答えれば、大抵、それ以上は突っ込まれない。
出たかったよ、テレビには。さんま御殿に出ていじられてみたかったよ。
大盛りのニラ玉を出しながら、「牧くんの舞台、出るんですか?」と小菅が言う。
ずるずると役者を続けてきたから、定期的に出演依頼をくれる劇団はいくつかある。牧忠志の劇団はその一つだ。
「どうしようかと思って」
「他と迷ってるんですか?」
「そういうわけじゃない」
「だったら出てあげればいいんじゃないですか? あそこの劇団、中井さんのこと頼りにしてるんだと思いますよ」
「頼りにっつーか《歳上枠》だろ」
小劇場にいる役者は概して若い。小菅のように三十の手前で辞めていく者が多い。だから、歳を取っているということ自体が一つのステータスになる。
歳は、勝手に取らされた。勝ち取ったものじゃない。
「牧の本だと客があんま呼べなくてさ」
「そうなんですか?」
「ああ」
「いいと思いますけどね、俺は」
舞台なのに、アニメみたいな脚本。好き嫌いがはっきり分かれる。
正直言って俺は好きじゃない。恥ずかしいと思っている。
それでも何回か出ているのは、呼んでくれるから。大御所扱いしてくれるから。役者でなくなることが怖いから。
「小菅」
「何ですか」
「もう平成が終わるぞ」
「知ってますよ」
「俺はどうすりゃいい」
「知りませんよ。てか、何をですか?」
「人生」
「え、役者続けるかどうか迷ってるってことですか?」
「……」
決断力のあるお前にはわからないだろうな。俺はずっと迷いっ放しだ。
この歳になっても、大成したいという気持ちはある。ただ、アマチュア劇団に出続けても道は開かれない。小劇場ブームが完全に昔話となった今、客席に大手のスカウトなどいない。
役者としてメジャーになりたければ、芸能事務所に自ら申し込んで所属するしかない。俺はこれまでに二度入って、二度とも一年弱で辞めてしまった。いてもいなくても変わらないようなエキストラの仕事しか回ってこなかった。
それでも、上に上がっていく人間もいるのだから、俺には何かが足りないんだろう。《実力》か、《根気》か、《世渡りの巧さ》か。《運》と思えば楽だが。
「次、どうします?」
「来世? 鳥がいいな」
「いやいや、何飲みますか?」
「ぬる燗一合」
「うぃす。てか、鳥になりたいんですか?」
「少女みたいだろ」
「はい」
「あ、でも虫食うのは勘弁だな」
「鳥に生まれたら美味そうに見えるのでは?」
「かもな」
お前は生まれ変わるなら何に――と訊こうして、やめた。小菅はまた人間でいいだろう。
鳥というのはテキトーな思いつきだ。真面目に考えても何になりたいのかわからない。
未来が見えない。いや、見ようとしていないだけか。
そんなことを考えながら、俺はアジの開きの目玉をほじくる。
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