追跡者X

諸星モヨヨ

第1話

「で、見せたいものって?」

 女は舐めていた乳首から唇をスッと離すと、両腕を男の胸に預けたまま顔を上げる。いかにも平日の昼間からナンパに引っかかりそうな女だ。


 男― 平田夕樹ひらたゆうきは乳首の周りに残った生ぬるい人肌の感触と、くすぐったさにも似た快感に酔いしれ天井を見上げたままだった。ブリーフはもうすでに限界まで膨らんでいて、女の太ももがそれを圧迫していた。女が体重を彼の身体に乗っけてきたことでベッドが深く沈む。


 良いベッドだ、眼を瞑りながら夕樹はふと思った。


 今まで幾多の女と言う女を抱いてきた(無論その殆どが一夜限りだし、今夜だってそうだった)彼は、最高のセックスのスタートラインはベッドだと確信していた。反発が強すぎず、かといって柔らかすぎない。イイ女がそのベッドの上にいればこそ。

 女の吐息が首筋を縫って頬に辿り着いた。


「まさか、これじゃないよね?」

 指先がスッと夕樹の耳を撫でた。密着してくる女の感触が全身に漂っている。


 夕樹は鼻から息を吐いて少し笑うと

「違うね」

 続けて

「確かに、耳にピアスの穴が3つ。それも耳たぶじゃなくて耳そのものに空いてるってのはソートー珍しい………いや、別にそうでもねぇか」


 細い女の指がパチンコ玉大の穴を順番に撫でていく。


「とにかく、俺が見せたいってのはそれじゃあない。ってか、話聞いてなかったのか?」

「え?」


「俺が見せたいのはタートル・ジャックだよ。タートル・ジャック」


 世界でもっとも有名なアニメーションキャラクター。黄色い亀さん、亀のジャックタートル・ジャック


「タートル・ジャックが俺の身体に入ってるって言ったんだよ」

 夕樹は目を開け、少し身を起こしながら女の頭を撫でた。


「そうだっけ?」


「お前がそれを見たいってゆーから、ホテルに来たんだろ?」


 ベッドが最高のセックスへのスタートラインだとすれば、ナンパ(彼の中では吟味と言う意味を持っている)はシューズ選びだ。良い靴を履かなければいい結果は出せない。

 そして、ナンパにおいて大事なのは顔や魅力ではない、イメージだ。(顔や魅力は夕樹の中では最早算段に入っていない。それはナンパ以前の問題)


 結論、『


 体に可愛い少し恍けた黄色い亀のキャラクターが入っていると言えば女であれば誰だってついて来る。少なくとも平田夕樹という男の25年に渡る遥かな人生においては、女とはそう言う存在であった。


「でも、どこみても入ってないけど?」

 女は夕樹の身体を見回して首をかしげる。


 ここがポイント。夕樹はそう思っている。だからこそ、今上半身だけを丁寧に愛撫させたのだ。


「まだ、見てない所があるだろ?」


 そう言いながら、夕樹は赤いブリーフにチラッと視線を送った。女はそれに気づき、一瞬頭の中で下らない下ネタを想像し顔をしかめた。


「そういうんなら、サブいと思うんだけど」

 ほらきた。こいつはとんでもねぇビッチ野郎だぜ― 夕樹はわざと声を上げて笑った。


「じゃあ見て見ろよ、嘘じゃないって分かるぜ?」

 眉を少しひそめ、ブリーフと夕樹へ交互に視線を送っていた女はこう思ったに違いなかった。まぁ、ここまで来たんだからそういう流れになるのは当然。私だって大人だ。

 だから、ゆっくり殆ど嫌そうな顔もせず、パンツを引き剥がした。


「どこ?」

 そそり勃った夕樹の分身を見ながら女は呆れた様なわざとらしい恍け方をした。


「裏」


「へぇ?」


「裏だよ裏。裏見てみ」

 彼の裏筋を覗き込んだ女は、一瞬止まり、そして顔を上げ、目を丸くして夕樹の顔を見ると腹を抱えて笑い出した。

 ベッドが少し揺れ、夕樹は満足そうにほくそ笑む。


「ほらみろ。ホントだったろ?」

「で、でも……ククッ…………痛くなかったのこれ?」

 作戦成功。まるでプログラムされたかのような質問。(女は決まってこう言う)


 夕樹もプログラム通り、返答をする。

「もち、痛かったよ。激痛でよ。知ってるか? タトゥーってのは色の浸透をよくする為に麻酔はかけないんだ。だから、とびきりだったね」

 だが、そのとびきりの痛みを耐えても余りあるほどの女は手に入ったけどよ― 夕樹は心の中で付け加えておく。


これで女の警戒心は解け、事の流れを作る事に成功した。彼はロマンチックなムードは苦手だ。だからこうして笑いと若干の尊敬を提供する。そして後は自分を解き放つだけ。鼓動が速く脈打ち、息が少し荒くなる。


 女はひとしきり笑うとその笑顔のまま、そっと彼のイチモツに手を掛けた。

楽しいセックスこそ、最高。

 後腐れがないからな、夕樹は常にそう思っている。

そう、今夜もずっと。




 ゴミを食べているような味だ― ベッドに寝転がり、ブルーラグーンのタバコを燻らせながら夕樹は思った。

 隣ではシャワーを2度目のシャワーを浴び終えた女がベッドに腰かけて、髪を拭きながら何かをぺちゃくちゃ喋っている。それは言葉としてではなく、不快な雑音として夕樹の耳に感知されていた。


 3度発射し終えた夕樹は疲れ切っていて、退出時間いっぱいまで(といってもあと30分ほどだが)眠りこけたかった。腹も空いていた。

 にもかかわらず、女は疲れた様子も見せずに彼の経験から言う所の『セックスの後の超絶下らない話』を始めた。


正直、中身などどうだっていいのだ。大切なのはお互いの表面を覆っているイメージ。カッコよく面白いイメージと豊満で陽気なイメージの男女が出会い、そして交わる。それだけ。そこに中身などあるか? あるはずがない。


 だから、なぜコトが終わった後、思い出を共有する様な喋りを続けるのか意味が分からなかった。すぐに荷物を纏めて出ていけばいいのに。

 まさか、俺をお喋り友達とでも思ってんのか? 最高のセックス、40点減点― 煙を吐き出しながら夕樹はそんなことを考えはじめる。見上げた天井の染みが気色悪かった。


「でさ? バナナボートに乗る前に足切っちゃったわけ………………聞いてる?」

 女はバスタオルを動かす手を止め、夕樹の方を振り返った。


「聞いてる」

「ほんとに?」

 追加で30点減点してやろうか― 夕樹は目線だけを女に向けた。

 女は黙って少しの間夕樹を見つめると、再び髪を拭き出す。


「バンドやってんの?」

「なんで」

「あのギター。あんな高いギター、普通の人は持ってないでしょ?」


 女の手が部屋の隅に置かれたギターケースを指さしている。それは亀のタトゥー同様、女を誘うためのイメージだったが、同時に彼の仕事道具でもあった。

 が、もっともギター自体は貰い物で、その価値やメーカーを気にするほど真面目にはやっていなかった。


「よく分かったな」

 嘘をついた。ここで正直な事を言っても何のメリットも無い。


「どんなバンドやってんの?」

「流行ってねぇやつだよ。BOOWY、知ってる?」

「なにそれ、あなたのバンド名?」

「知らねぇよな。BOOWYっての。俺達よりももっと有名なバンドなんだとよ。俺も知らねぇけど。俺達はそれのカバーばっか歌ってんの」

 だからろくに流行りもしねぇし、食扶持にならねぇんだよ―


「知らないのに歌ってんの? 変なの」

 女は小馬鹿にしたように笑うと再び髪を拭き始めた。別段怒りもわいてこない。バンドに誘ってきたのは友人だったし、音楽に毛頭興味のない夕樹にはその辺のプライドは無かった。たとえそれが彼の本職(食えてはいないとしても)であったとしてもだ

 


 タバコを2本、時間いっぱいまで吸い終える間、女はずっと、ずっと喋っていた。

 ホテルを出て渋谷の空気を吸うと少し湿っているのが分かった。街は薄っすら暮れはじめ、少し肌寒い。だが、11月にしてはまだまだ暖かい方であった。

 道玄坂を少し登り、吉野家に入ると夕樹は名一杯腹に米と肉を詰め込んだ。



 、が夕樹の目の前に姿を現したのはその直後であった。



つづく

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