8.隠された神話を暴け

 早朝から押しかけたアスタルテの前で、リリアーナは渋々服を手に取った。寝ている間に脱いだようで、いつの間にか裸だったのだ。はしたないと叱られて、自室なのにと文句を言う。面倒だから訂正しないが、ここはオレの寝室でリリアーナの私室ではない。


 服を着終えたところに、食事が運ばれてきた。あっという間に人数も増えていく。十分な広さを持つはずの部屋は、手狭に感じるほど人口密度が上がった。


 アスタルテ、アルシエル、ヴィネ、ウラノス……そしてオレ達2人だ。円卓に腰掛けた魔族を見回し、各々に食事へ手を伸ばした。このあたり、人間の貴族ならば仕来りがあるだろう。だが魔族にそういった礼儀作法は適用されない。


 食べたければ勝手に手に取り、食べたくなければ座っているだけ。人間の決めたルールに従う義理も感じないため、ヴィネは大量の野菜を頬張り始めた。呆れ顔で、夫の口から零れそうな野菜を押し込むアスタルテ。アルシエルは生に近い肉を持参したらしく、齧り付いた。自由気ままな彼らを見ながら、ウラノスはお茶と果物を手元に引き寄せる。


「報告を始めろ」


「はい。リリアーナ、もう具合はいいの?」


 嫌味なのだが、リリアーナはけろりとした顔で頷く。机に用意されたゆで卵をぺろりと平らげた。


「うん。アスタルテは?」


「……陛下と同様の鈍さですね」


 呆れたと告げても、リリアーナはまったく意に介さない。それどころか、朝から生肉を齧り始めた。表面を炙っただけの肉は魔獣だろうか。収納から取り出した肉を咀嚼しながら、骨を器用に抜き出した。彼女にストレスという概念はないのだろう。


 それにしても……オレと同じとは失礼な表現だ。オレはきちんと嫌味に気付いている。


「過去の文献を調べた結果、あの土地に関する記述は一切見つかりませんでした」


 言い切ったアスタルテに反応したのは、オレとウラノスだった。この世界では長寿者に分類されるウラノスも、あの氷の大地の話は人聞きでしか知らなかった。伝説が一切残されていないのは、明らかに人為的な作為が働いている。何かを故意に隠そうとした形跡に他ならない。


 事実、レーシーは叙事詩を口遊んだ。レーシーの中に話が伝わっていたと考えるより、彼女がこの場面でこの歌が相応しいと本能的に察知したことを意味する。ならば、残された文献は別の形を取っている可能性があった。


 隠そうとする者らの目を掻い潜る必要があったなら、別の伝説や記録に紛れ込ませるのが一番だ。


「レーシーの叙事詩を調べ直せ」


 何らかの神話のような内容だった。バアルとアナトならば内容を正確に聞き取れるだろう。そう提案すると、リリアーナは目を輝かせた。こういった謎解きが彼女は好きなのだ。アスタルテはまだ食事中の夫ヴィネを連れて、その場を離れようとしていた。ヴィネの首が軽く絞まっているぞ。


「まだ話がある」


 オレの仮説を聞き、アルシエルがウラノスを担ぎ上げる。小柄な細身の青年を担いだ大男は、ドラゴンらしい豪快な足取りで部屋を出て行った。


「よく分からないけど、私も何かする」


 生肉を頬張ったせいで血塗れの両手を拭いながら、リリアーナは満面の笑みで振り返った。……服が真っ赤だぞ。注意する前に気づいたリリアーナは、その場で着替え始めた。


 色気には程遠い。昔と変わらぬ彼女の金髪を乱暴に撫でて、オレは何故か安心した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る