351.文字通り手も足も出せぬ

 長い爪が生えた足は猫科の猛獣に似て、音を立てずに歩ける。額にある第三の瞳が開いたため、見える景色が歪んだ。普段は見えない魔力や因果のような物まで映るのが、鬱陶しい。長い2本の角の真ん中にある短い角が視界に映り込んだ。


 獣の瞳が見下ろす先で、金の輝きが手を伸ばす。膝まで届きそうな金髪を振り乱し、琥珀の輝きを宿す娘が泣きじゃくっていた。


 ああ、オレを呼んだのはコレか。


 右前足を持ち上げ、触れようとして止まった。この手では壊してしまうか。不思議な感覚だった。獣の状態に戻るまで魔力を解放したのに、理性が残っていたことはない。冷静な分だけ、己の醜さが気になった。


 だが解放し過ぎた魔力は溢れ出し、抑えがきかない。圧倒される魔力に、駆けつけたアルシエルが平伏した。ウラノスは近づくことが出来ず、膝をついて離れた場所で項垂れる。背の翼を揺らせば、魔力の色を帯びた風が広がった。


「我が君、解放してしまわれたのですね」


 アスタルテが不安そうに呟く。過去の世界でもこの姿になったことはある。命の危険に見舞われた時と、魔王であった父との最終決戦だ。どちらも元に戻るまで周囲を破壊し尽くした。大量の魔力を扱う代償として、世界を崩壊寸前まで追い込んだのは記憶に新しい。


 アスタルテと双子神、ククルが万全の状態でようやっと封じた獣が目覚めたのだ。青ざめるのもわかるが……なぜか制御できていた。


「やだっ、何でよ」


 青ざめたククルが少女の姿で駆け込む。慌てて追いかけてきたバアルが足を止め、アナトは泣き出した。今の状態の彼女らでは、暴走したオレを止める手立てがない。それを嘆く側近を安心させようと、前足を折って身を低くした。


 竜となったリリアーナより一回り大きな身が動くと、大地が揺れて風が轟音を巻き起こす。狼の後ろ足を畳み、胴体を大地に預けた。


「……シャイターン、さま?」


 怪訝そうなアスタルテが、オレの変化に気づいた。暴走していない。顔を見せたものの近づくことも出来ずに震えるオリヴィエラの陰で、ロゼマリアは目を見開いた。クリスティーヌを含め、臆病な他の配下は魔力を感知できる近距離にいるが、姿の見える位置に出てこない。賢い選択だろう。


 ぐるりと周囲を見回し、ようやくこの場所を把握した。中庭の外れ、出会った頃のリリアーナが噴水を壊した庭の上だ。後ろでがしゃんと音がして水が吹き出した。竜に似た鱗のある尻尾が壊したらしい。


 なんだかおかしくなり、喉を鳴らして笑った。噴水を壊したリリアーナの行動を、再現することになるとは。


……よか、った」


 壊さぬように遠慮してやったのに、気遣いを無にする形で抱きついたリリアーナが大声で泣いた。舐めてやろうにも口を開ければ牙があり、舌の先もざらりと突起がある。手を伸ばせば爪が傷つけるか。四面楚歌だと苦笑いした気配を察したように、リリアーナが竜化した。

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