256.使者が来たなら礼儀を尽くす
レーシーが悲鳴を上げて飛び込んできた。反射的に抱きしめてしまったアナトが苦笑いする。レーシーの奇行に馴染み過ぎと笑いあう双子だったが。金切り声で訴える彼女の歌を聞くうちに、アナトの顔が青ざめた。隣のバアルも同様だ。
「急がないと!」
「もう間に合わないと思うけど」
あたふたしながら、打ち合わせもなくそれぞれが動く。アナトは魔王の元へ報告に走り、バアルは転移魔法陣を床に描いた。あまり得意ではないので、途中で諦めて魔法に切り替える。到達点をククルの魔力に手が届く距離に指定し、バアルは魔力を高めた。
廊下を足音慌ただしく駆けるアナトの後ろを、子猫のように鳴きながらレーシーが追いかける。何かあったのかと驚いた顔で、ロゼマリアが足を止めた。すれ違ったアナトは顔色が悪い。レーシーが騒いでいるので、良くない知らせでも入ったのだろう。
「どうする?」
追いかけるの? そう尋ねるオリヴィエラは腰に手を当てて首をかしげた。少し考えて、ロゼマリアは頷く。
「心配だわ。追いかけましょう」
御用聞きを応接間に呼んでいるが、多少待たせても問題ない。リリアーナやクリスティーヌ用の服を注文するのは重要だが、この案件の方が優先度が高い。そう判断して踵を返したロゼマリアを、オリヴィエラは抱き上げた。ふわりと膝下と背に手を回され、彼女の身体は親友の腕に収まる。
「怖かったら言いなさいよ」
ハイヒールを履いているとは思えない速度で、オリヴィエラは駆け出した。廊下を走るのは「はしたない」とされて来たが、リリアーナやクリスティーヌは普段から走っている。何度か教育課程で注意したものの、今は緊急事態だとオリヴィエラの行動に目を瞑った。
見る間に建築途中の新王宮から飛び出し、辿り着いたのは中庭だ。ドワーフ達が驚いた顔でぽかんと見送った。外壁の石材を加工する親方の檄が飛び、慌ててドワーフは作業に戻る。彼らの仕事は、王宮の改築なのだ。
少し先に魔王へ飛びついて、必死に訴えるアナトは報告を終えると肩で息をした。そこへ追いついた2人を驚いた顔で振り返る。
「よく……追いつけたね」
グリフォンはともかく、人間は無理でしょ。そんな呟きを零したアナトだったが、オリヴィエラがロゼマリアを腕から降ろすのを見て納得した。抱いて移動したのならわかる。上位魔族であるグリフォンが人間をそこまで気に掛ける理由は気になるが、尋ねる時期ではないとアナトは意識を魔王へ戻した。
レーシーはまだ歌いながら、森から得た情報を彼らに告げる。罪なき人々の方舟は沈み、年老いた少年は声を張り上げた。黒い竜が咆哮を放ち、水を操りたる翼ある蛇が掬う……。混乱した現場を歌うレーシーの声――かろうじて聞き取ったオリヴィエラは青ざめた。
それって、攻め込んできたんじゃないわ。
少し動きを止めて空中を睨んだ魔王の、血色の瞳になにが見えたのか。眷族と知覚を共有したのかも知れない。僅かに口元を緩めて指示を出した。
「使者が来る。着飾って迎えろ」
それは……戦いに出た彼らの失敗を意味していた。
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