209.己の残酷さを知り幸運に微笑む
氷の柱に押し潰された人間が、まるで染色用の虫みたいだった。紅を残して肉は潰れ、大地の養分となる。人間の肉を食料とする種族ではないため、食欲は沸かなかった。ただ鉄錆た血の匂いには誘われる。
オリヴィエラの攻撃を受けた大群は、蟻を散らすように四方八方へ逃げ始めた。戦いにならない。血腥さや残酷さも感じられなかった。あの小さな赤い点が1人の人間だったという実感がない。あまりに一方的な蹂躙に、ロゼマリアは唖然とした。
魔族にとって人間は羽虫程度の存在だ。そう聞いたことはある。御伽噺や噂で、魔族の強さを伝え聞いた程度の知識のロゼマリアの目に映る光景は、現実味がなかった。小さな箱庭に入れた虫で遊ぶ子供のように、罪悪感なく手を入れて引っ掻き回し指先で潰す。
オリヴィエラの力は圧倒的だった。初めてできた親友は、とても優しくしてくれる。微笑んで助けてくれる上、とても素敵に見えた。知識も豊富で話していると楽しい。
そんな彼女の別の一面に、オリヴィエラの懸念の本当の意味がわかった。この顔を見せたくなかったのだ。嫌われるのを恐れた、それは以前の私と同じね。
場違いを承知でくすっと笑い、目の前の毛皮に手を回して強く抱きついた。
「ごめんなさい、怖かった?」
ほら、気遣ってくれる。こんな素敵な友人がいるなんて、私の人生も悪くないわ。ロゼマリアは自分を偽り抑えつけて暮らす事をやめた。前の生活に戻れる選択肢を与えられても、必ずいまを選ぶだろう。
「怖くない。ヴィラがカッコいいと思ったの」
聞こえたくせに返事をしない。でもオリヴィエラに伝わったことは疑わなかった。甲高い声を上げて彼女の魔法が地上を蹂躙する。氷の柱が複数立ち並び、地面を凍らせ、一万の兵を減らしていく。
残酷な光景なのに、涙も同情もなかった。もし彼らを助けたら、戦闘に長けた一万もの兵士が我が国を襲撃する。わずか二万人のバシレイアはひとたまりもなかった。二倍の人間がいたとして、それは数だけの話だ。戦闘員でもない赤子や女子供まで含めての数だった。
実際に戦えるのは五千人いるかどうか。その中にオリヴィエラやリリアーナのような強者がいなければ、バシレイアは良いように蹂躙された。奪われ、殺され、犯され、何もかも失う。
大切なのは手の届く人々の安寧で、それを脅かす外敵の心配など不要だった。ようやく実感としてそれが理解できたことで、ロゼマリアはサタンの行動の意味を深く知る。
「私は本当に運が良かったわ」
「そう?」
尋ねるオリヴィエラに抱きついたまま、聖女の血を引く元王女は微笑んだ。
「だって、あなたと友達になれたんだもの」
世界が変わった。この出会いは得難いもので、心から神に感謝する出来事だ。たとえ、誰かに断罪される未来が待っていたとしても、私は彼女の手を取るだろう。
「そろそろ片付けるわよ」
照れたのか、オリヴィエラは大きく息を吸い込んだ。それから細く長い息を地上に吹き付ける。それは吹雪のような派手さはない。ただひたひたと地上の温度を下げ続け、ありとあらゆる生物を死に至らしめる冷気を地上に敷き詰めた。
「最後はこれ」
あまり得意ではないが、せっかくだから友人に見せてやろうと魔力を練る。晴れた空を見上げ、グリフォンは魔力を放出した。
記憶した魔法陣を空中に焼き付け、美しい模様が展開して光を放つ。多めに注いだ魔力が反応し、地上へ稲光が突き刺さった。
っ、どん!
数瞬遅れて、地上の氷が砕けて舞い上がる。きらきらと陽光を浴びて降ってくる氷の欠片に、ロゼマリアは呟いていた。
「綺麗、とても」
人の命そのもの、そう言い換えても過言ではない美しい光景は、遠く離れた王都の高台にいた人々にまで届いた。
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