195.この首落としてお詫びするのみ

 皮膚に浮かんだ鱗の隙間に刃を当て、男はじっと見つめ返した。この刃の鋭さも意味も理解しているらしい。


「我が君が私を要らぬと仰せなら、この首を落としてお詫びするのみ」


 潔く散って見せると言い切った黒竜王に、オレはくつりと喉を揺らした。なるほど、相当な覚悟のようだ。これほどの魔族が膝をついたのだ。過去を含めて受け入れるのがオレの器を示すことになるが……斜め後ろで袖を掴んで唸るリリアーナに声をかける。


「お前は気に入らぬか」


「だって裏切る」


 すでに一度裏切られたと唸るリリアーナの表情は、厳しかった。親に育てられなかった子供のもつ感情は、よく知っている。だからこそわだかまりが簡単に解けないことも。


「決断はリリアーナに委ねよう」


 その言葉に、黒竜王は静かに頭を下げた。反論しない態度は好ましい。そしてリリアーナは驚いた顔でオレを見上げる。


「どうした? お前の立場で判断して見せよ」


「サタン様、ずるい」


 ぐるると喉を鳴らして不満を表明したが、リリアーナは真剣に考え始めた。オレの言い回しに含めた意図を彼女が得られればよし。もし得られねば、それなりの扱いをすればいい。


「リリー、私なら……」


「クリスティーヌ」


 名を呼び咎めた。きゅっと唇を尖らせて黙ったクリスティーヌは不安なのだ。リリアーナの選択が、今後の彼女の行く末を決めると気づいている。他者の感情を察する能力は、吸血種に備わる本能の一部だった。リリアーナを姉と慕うからこそ、彼女は口を出そうとした。


「持って帰る。ローザとヴィラに聞いて、ウラノスに相談する」


 感情のままに振る舞わなかったことに、正直驚いた。直情的な竜らしからぬ慎重さは、後から身につけたものだ。ウラノスやロゼマリアが築いた信頼関係があるから、リリアーナは感情より理性を優先した。


 くしゃりと金髪を撫でると、満足そうに目を細める。それから少し首を傾けて尋ねた。


「これで合ってる? 私、間違えてない?」


「上出来だ」


 手放しで褒めてやれば、顔を腕に押し付けてぼそぼそと言葉を紡ぐ。


「本当は殺したいけど、向こうのが強いし……サタン様の役に立ちそうだもん。私が強くなったらやっつけて、片付けるんだから」


 聞かせたいのか、隠したいのか。判断に迷うほど小声だった。しかし今のリリアーナの本音だろう。だから聞かなかったフリで、ぽんと頭に手を置いた。


「リリアーナ、まだ命令は撤回しておらぬ」


 我が配下として受けた命令を匂わせれば、金瞳を大きく見開いてから頷いた。地面に伏せて頭を下げたままの黒竜王を一瞥して、クリスティーヌに言い聞かせた。


「しっかり見張って」


「うん」


 頷いた妹分の黒髪を撫でて、リリアーナは再び竜体をとった。先ほどの不本意な決断の憂さを晴らすように、咆哮をあげて舞い上がる。


「いってらっしゃい。リリー、餌取ってきて」


 クリスティーヌの言葉に呼応するように甲高く鳴いた竜は、黒銀の鱗を閃かせて城下町へブレスを放った。


「黒竜王よ、聞いての通りだ。決断はそなたの娘に委ねた」


「承知。立派に育ちましたな……私が育てなかったのが、良かったのかも知れません」


 複雑な心境を押し隠すような低い声で自嘲し、黒竜王は「礼を申します」と親の顔で頭を下げた。

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