159.傀儡と躍る哀れな獲物

 聖女の国と称えられる小国バシレイアに、他国が侵略しない理由はひとつ。異世界から勇者や聖女を召喚する技術と魔法陣を持つのが、彼の国だけだから。それ以外に躊躇する理由はなかった。過去に好戦的なイザヴェルが攻め込んだ際、魔法陣の塔を崩すと脅されて撤退したことがある。


 魔族との戦いで多くの魔術師が死んだ。今となっては勇者召喚は、新たな魔王を滅ぼす唯一の手段である。塔の召喚魔法陣を再構築できる魔術師がいない今、あの国を攻めることは人間を滅亡させる行為と変わらない。イザヴェルは引き上げ、新興国グリュポスも手をこまねいていた。


 勇者召喚がなされた。その一方でグリュポスは進軍し、出遅れた我が国はイザヴェルと水面下で軍事同盟を結んだ。聖国を滅ぼした汚名を被ったグリュポスを、正義の名をもって攻めれば大義名分がたつ。最高の条件が揃ったと考える国王フルカスだが、もたらされた情報は予想外だった。


 バシレイアに新たな勇者が召喚されて2ヶ月、前国王の愚行と重税により弱体化した国がグリュポスの一万に届く軍を退けた。聖女の国はその呼称に相応しい豊かさを取り戻し、外壁の外へ領地を広げている。さらに召喚された勇者は、魔王だという。


 理解が及ばぬ事態に混乱し、宰相を含めた貴族院も慌てて情報収集を始めた。王女や公爵も独自のツテで情報を集める最中、有力情報として飛び込んだのは――召喚されたバシレイアの魔王の女好きの噂だ。城内ではなく城外で聞こえたため、信憑性が高いと判断された。その上、の魔王が常に女性を侍らせる目撃情報が、複数寄せられる。


 フルカス王には、娘が数人いる。唯一生き残った王族であり聖女の血を引くロゼマリアと一番年齢が近い王女カリーナを与えれば、召喚された魔王を操ることが出来る。空席の正妃に娘を据えることが叶えば、聖女の国に干渉も可能だった。


 愚かな男は夢を見る――絶対に届かない、己が覇王となる幻想を。






「フルカス陛下」


 青白い長髪を背に流し、白く透き通るような肌の女性が歩み寄る。執務机の書類を邪魔だと指先でのけて、彼女は机の上に腰掛けた。本来なら許されない暴挙だが、彼女に限って国王フルカスが声を荒げることはない。


「どうした? 寂しかったのか」


「だって、来てくださらないんですもの。私はこの国でフルカス様以外に頼る方はおりません。少しでもお側にいたいわ」


 にっこり笑う唇は少し紫がかった紅が引かれている。ハーブなのか、甘い香りが彼女をさらに魅力的に感じさせた。細い肢体に大きすぎる豊満な胸と、片手で抱き込める細い腰、やや小ぶりの尻を引き寄せる。素直に机からフルカスの膝の上に降りた美女は、柔らかな笑みで抱き着いた。


「愛しているぞ、我が白薔薇」


「フルカス様、私もですわ」


 誰が書類を取りに来るか、新たに運んでくるかわからぬ執務室で、国王は享楽に耽る。快楽に溺れて美女の肢体を余すところなく味わった。


 そんな男女の痴態を、レーシーは冷めた目で見つめていた。影の薄い彼女に気づく者はなく、レーシーは落ちた書類を数枚拾い上げ、重要と判断したものを窓辺のコウモリや小さなネズミに託す。


「哀れね、傀儡と躍る獲物……」


 口元を緩めたレーシーの呟きは風に溶けて、誰の耳にも届かない。代わりに廊下まで響いたのは、青白い髪の傀儡の嬌声だった。

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