136.淡い色ほど染まりやすい
押し寄せる人々を捌きながら、ロゼマリアはひとつ息をついた。外壁の仕事を担当してすでに4日目だ。美しく着飾る必要を感じないため、シンプルなワンピース姿に着替えたのが昨日で、ドレスをやめた途端に男に絡まれた。
「姉ちゃん、この国の人か? 俺と結婚しようぜ。嫁にしてやるよ」
「きゃあ、やめて」
いきなり腕を掴まれ、強引な男の腕の力の強さに悲鳴をあげた。オリヴィエラは少し先で難民への対応に当たっており、距離が離れている。きっと小さな悲鳴は聞こえなかっただろう。
この国の女と結婚すれば、土地も生活も安泰だと考えた男は、衛兵と離れて立っていた金髪の女性を捕まえて覗き込んだ。
「綺麗な顔してるな」
キスをしようというのか。近づく男の顔を身をよじって避けた瞬間、男が悲鳴を上げてロゼマリアを突き放した。驚いて後ろへよろめいた細い身体を、むっとした顔のオリヴィエラが支えてくれる。
「あ、ありがとう」
「何をしてるの。もっと大きな声で叫ばないと手遅れになるわ」
叱られても、口元が緩んでしまう。文句を言いながら助けてくれるオリヴィエラは、出会った頃は味方ではなかった。魔王サタンを狙う刺客の1人で、この世界の魔王に与する魔族だ。なのに、今は姉妹のように仲良く過ごせていた。
「それと、お礼を言うならこの子にもね」
肩を竦めたオリヴィエラの促す先で、言いよった男の太腿を噛んだヘルハウンドが、首を揺すった。がうう、唸りながら足を噛んだ頭を振るが、残った頭は男の手を噛みちぎっていた。
ぽたぽたと赤い血が滴る手首を、ヘルハウンドは吐き捨てる。獣の牙で噛みちぎった手は、男の身体に戻ることはない。この国で治癒魔法を使えるのは、魔王サタン と数人の魔術師だけ。
「ありがとう、ヴァラク。ヴァセゴも助かったわ」
2つの頭にそれぞれ礼を言うと、1本しかない尻尾を大きく振った。手首を捨てたヴァラクが血塗れの口で鳴く。甘える声に微笑むロゼマリアを見て、衛兵が恐る恐る声をかけた。
「あの……この男はいかがしますか?」
大量に難民が流れ込めば、こういった即物的な輩もでる。盗みを働く者や、豊かになったバシレイアの民を害して奪おうと試みる者も出るのは必然だった。
「牢に……」
「あの地下牢は何か住んでるわ。まあ、でも王女を無理やり襲おうとしたのだから、死んでも構わないわね」
恐怖心を煽る言い方をしたオリヴィエラが、焦げ茶の長い髪をかき上げた。ヴァセゴが噛んだ太腿も肉を食い千切られたが、ようやく犬が離れる。飼い主であり名付け親でもあるロゼマリアに、双頭の犬は駆け寄った。
美しい金髪のお姫様と、魔物の犬。似合わぬ取り合わせだが、この国の民は何も言わない。国王が魔族であり、魔王なのだ。護衛に魔物を充てがってもおかしくない。実際は魔王サタンではなく、リリアーナのお土産なのだが。
「にしても、2つ名前をつけたの? ヘルハウンドは双頭だけど1匹なのよ」
「それぞれに個性があるし、ちゃんと名前に反応するの」
すっかり魔族との暮らしに慣れてきたお姫様の無邪気な受け答えに、オリヴィエラは肩を竦めた。今後のことを考えるなら、悲鳴を上げて卒倒するよりマシだろう。
「危ないから、しばらくその子達を連れておきなさい」
オリヴィエラはそう告げると、テキパキと不埒な男の処理を命じている。魔族らしい冷たさを装うオリヴィエラに、ロゼマリアは穏やかな表情を向けた。
「お嬢様、大丈夫でしたか」
炊き出しの手伝いをしていた侍女のエマが、騒動を聞きつけて戻ってきた。口元を真っ赤に染めたヘルハウンドの頭を両手で撫でながら、王女はこっそりと打ち明けた。
「ねえ聞いて。私、オリヴィエラ様と親友になれると思うわ。最初はあの方、この子達を『この子』と単数で数えたのに、今は『この子達』と言い直してくださったのよ」
「よろしゅうございました。是非、仲良くなされませ」
母のような乳母の優しい声に、ロゼマリアはこの国の明るい未来を思いながら頷いた。
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