44.主人ならば命がけで守れ

 この世界では、子供を親が育てない習慣でもあるのか? 疑いたくなる状況が続いている。リリアーナは母親を知らず、父親との接点もなかった。ロゼマリアも乳母に預けて放置された傾向が見受けられる。そして街にあふれる大量の孤児と、このヴァンパイアの子供だ。


 この子に至っては、名すら与えられなかった。


「この蝙蝠に名をつけたか?」


 リリアーナに捕まっている蝙蝠は、主人が出てきたことで大人しくなる。翼を摘まむリリアーナは、破らないように力を加減していた。褒めてやって、そのまま捕まえさせておく。


「名前、しらない」


 眉をひそめた。これは完全に親がいなかったパターンだ。吸血種は狼や蝙蝠を使役する種族だった。そのため親は子供に、使役方法や名付け方を指導するのが一般的だ。名づけなければ、使役獣を制御することが出来ない。この程度の知識すら与えずに子を捨てたとしたら……。


 この子供は望まれなかったという意味だ。


「わかった。オレが教える」


 指示してリリアーナの手から蝙蝠を受け取り、少女の手に乗せた。返された蝙蝠を大切そうに抱き締める少女は、今まで孤独だったのだろう。使役獣と表現するより、弟妹に対する扱いだった。頬ずりして大切そうに翼を撫でる。蝙蝠も同じように接した。


 だから使役に必要な名付けがなくとも、蝙蝠は少女に従うのだ。互いに失えない唯一の存在として助け合って生き抜いたことがわかる。


 不思議そうな顔のリリアーナも感情が未発達だ。どちらも手がかかると肩を落とした。多少の困難があっても、この世界を攻略すると決めた以上立ち止まる猶予はない。


「ヴァンパイアか――お前、名前が欲しいか?」


 生きていくのに必要な個体名だが、彼女が望まないなら無理につける必要はない。本人に決めさせる気で尋ねると、驚く勢いで腕を掴まれた。蝙蝠を左手で抱いたまま、右手の指が強く袖を掴む。


「欲しい! 名前、欲しい!!」


 親に放置された子は、総じて言葉や感情が育たない。だがこれも愛玩動物を飼う楽しみのひとつだろう。きちんと育てれば、真っすぐ育つはずだ。その達成感は、世界を制覇するのとどちらが満たされるか。


 未知の感覚に口角を持ち上げる。すでに前世界で一度味わった達成感に並ぶ程ならばよいが。


「わかった。今日からクリスティーヌと名乗れ」


 名付けは複雑な手続きを必要としない。ただ相手の目を見て、強者が弱者に名を与え、受け取る側が納得すればいい。名付け親に逆らえなかったり殺せないなどの不都合も存在しなかった。これはオレが自ら名付け親の先代魔王を殺したことで証明済みだ。


「くりすてぃーぬ」


 ぎこちない発音で繰り返し、少女は笑った。この時点で名付けは終了だ。方法を説明して蝙蝠に名を与えるよう言い聞かせた。頷いたクリスティーヌが「ジン」と短く呼ぶ。蝙蝠がキーと鳴いたことで承認が終わる。


「ジンはクリスティーヌの使役獣となった。忠実な部下だ。主人ならば命がけで守れ」


 逆は言わずとも、ジンが覚悟を見せている。圧倒的強者であるオレに対し攻撃の姿勢を見せたことが、使役獣としての忠誠を証明した。頭を撫でる間に、リリアーナが近づいて腕を組む。クリスティーヌに構うのがおもしろくないのか。


 嫉妬する小動物はそれなりに愛らしい。リリアーナの褐色の頬に手を這わせれば、嬉しそうに微笑んだ。最近は笑顔のぎこちなさも取れ、言葉もだいぶ流暢になった。


 ぐるりと見回した部屋は薄暗いが、目が慣れれば物がいくつか転がっているのに気づく。片隅に置かれた布の山は、クリスティーヌの布団らしい。近くに小さな机があるが、足ががたがたしていた。それ以外の大きな家具はなく、がらんとしている。


 当初の目的通りに使うため、オレは収納空間の中身を順番に取り出した。家具、宝飾品、衣服、食料、先日のリリアーナが捕らえた魔物、毛皮、魔道具、武器、魔物の牙や角……記憶にある物を出し終えると、最後に纏めてひっくり返す。壊れ物が混じっていたら惨事だが、仕方ない。


 見覚えのある壷や書物が転がり出て、最後にひらりと紙が舞う。その中に見覚えのない封筒を見つけて拾い上げた。淡い緑の封筒は見覚えがない。初めて見る封筒を風を操って切り、中の便せんを開いた。

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