第370話 コールドチェーンの無い異世界に昭和を思い出す

「異世界転生内政チートといえば輪栽農業よね。領地の発展の手柄はみんなオッティのお陰だと思っているから、ここらで自分の存在感を示しておかないと」


 ティーノの店でワインを飲みすぎで、真っ赤になったグレイスが、お酒臭い息を振り撒きながらそう言った。

 テーブルに突っ伏して、意味もなく指を動かしている。

 街中華で美人さんが独りで飲んでて心配になるあれみたいな雰囲気だ。

 街中華っていうと、家族連れか近所の常連しかいないのだが、ごく稀に一見さんで非常にお綺麗な若い女性がやっていて、いきなり生中を一気飲みしたかと思うと、その後は焼酎をボトルで頼んで常連が何事かと心配するアレである。

 女性が酔ってくると、誰かに泣きながら電話したりして、常連も騒がしく飲む雰囲気ではなくなる。

 街中華だと常連も大人しくて、その辺はスナックとは別だ。

 スナックに女性が独りで来て飲むイメージが無いけど。

 街中華の話しはどうでもいいが、グレイスはいつもの「酔った勢いで、本当はこうしたい異世界転生論」を講釈する。

 今回は輪栽農業についてだ。


「農業効率を上げれば、お金がザックザクで領主としての評判もうなぎ登り。鰻が竜になるわね」


 据わった目付きでそういうグレイス。


「それは鰻じゃなくて鯉だろ」


 そう訂正すると、ギロリと睨まれる。


「なによ、あたしに意見する気?泰山流昇龍覇喰らわすわよ」


「いや、それウイグル獄長と紫龍がごっちゃになってるから」


 酔っぱらい相手とわかっていても、突っ込まずにはいられなかった。

 グレイス、本当に手間のかかる子。


「農業革命を起こすのはいいが、効率化によって職に溢れた奴らはどうするつもりだ?ヨーロッパでもそういった連中が都市に流れてきたわけだが」


 オッティはグレイスの方など見ずに、ワインボトルを手に取ると、自分のグラスにワインを注いだ。

 そしてそれを一気にあおる。

 こいつも相当酔っぱらっているな、と後始末の心配が頭をよぎる。

 またメガーヌに怒られなければよいが。


 ただまあ、オッティの言っていることもわかる。

 前世の工場でも効率化、合理化をすることによって、四人作業だったものが、三人作業になった事もある。

 一見、それは良いことかもしれないが、四人のうち一人は不要になってしまうのだ。

 正社員ならば簡単に解雇するわけにもいかないので、別の仕事をさせるべく上司が動くのだが、派遣社員の場合は単に契約を打ち切るだけだ。

 そうなると、確実に失業者が一人増える。

 それが積み重なれば、大量の失業者が発生して社会不安に繋がる。

 まあ、それは会社じゃなくて政治家が考えることだが。

 そして、グレイスはその立場である。


「グレイス領の農畜産物を名産にしたいのよ。六次産業なら失業者対策にもなるわ」


 グレイスはチェイサーをイッキ飲みした。

 車じゃなくて水の方のチェイサーをだ。

 本人も飲みすぎた自覚はあるようだ。

 それならまだ大丈夫かなとホッとする。

 いざとなれば解毒魔法でアルコールを全部分解するけど。


「はん、コールドチェーンも無いのに、農畜産物を名物にして、どうやって余所に売るつもりだ?」


 オッティは雇用主に向かってぞんざいな口をきくと、指でハムをつまんで口にいれた。

 こいつの方が解毒が必要かな?


「なによ、コールドチェーンって、アンドロメダ?それなら晴海時代にコスプレしたわよ」


 大丈夫だと思ったグレイスは、大丈夫じゃなかった。

 晴海時代にってコミケの事だよな?

 1995年を最後に、その後はビッグサイトで開催されているので、グレイスが前世でコスプレしていたのは――


「そこ、他人の年齢を計算しない!」


 俺の思考を読んだのか、グレイスはフォークを持って、俺の眼前にそれを持ってきた。

 危ないので、そのフォークを手で掴んで取り上げる。


「ノーフォーク」


 俺の言葉にオッティが


「おあとがよろしいようで」


 と続けた。

 落語ならここで終わりだな。

 落語じゃないので続くけど。


「コールドチェーンっていうのは生鮮食品や医薬品などを生産・輸送・消費の過程で途切れることなく低温に保つ物流方式のことで、低温流通体系とも呼ぶんだ。生鮮食品の場合、産地で収穫後すぐに低温貯蔵して出荷、それを温度管理された物流手段で輸送・貯蔵・仕分けなどを行い、品質の悪化を最小限に抑える。このためには、品質を保持する上での冷却方法、温度変化の少ない輸送・貯蔵・仕分方式などの開発が必要である。とまあ、ウィキペディアの受け売りだがこんなところだよ。品質とあっちゃあ、首を突っ込まないことがあろうか、いや、ない」


 酔ったグレイスに説明するが、どこまで理解できているのだろうか?


「つまりアレでしょ。鉄の馬に跨がって、時速200キロで志摩まで往復して牡蠣を運ぶようなもんね。美食のためには法律を破ってもいいけど、ルールを守っている大企業に厳しいやつ」


「惜しい!」


 グレイスが理解出来ていないことがわかった。

 正解は広島の山奥で鮫料理が食べられるというやつだな。

 平成にもなると、日本ではコールドチェーンが普及して、刺身を内陸部でも普通に食べることが出来るようになったが、昭和の時代は刺身は特別な日にしか食べられなかったのだ。

 魚料理と言えば殆どが川魚で、鮒の甘露煮とか鯉のあらい、鮎の塩焼きばかりで、鮪の刺身なんて正月か葬式くらいでしか見かけなかった。

 時代がもっと遡れば、肉や野菜なんかも日保ちしないから、食べる機会が少なかっただろう。

 農畜産物の六次産業をやったとして、名産品にするのはこんな文明レベルじゃ無理な話だ。


「魔法使いに氷魔法を使わせるわよ」


 グレイスはちゃんと考えてましたと子供のように言い訳をした。


「解凍どうするんだ?魔法使いまで一緒に客先まで行くとなると、加工側に魔法使いがいなくなるぞ」


 氷魔法の解凍にも魔法使いが必要なので、納入先まで魔法使いも行かなければならない。

 そうなると、魔法使いが帰ってくるまで冷凍が出来ないのだ。


「ネクロマンサーにも声をかけるわよ。しめた家畜をそのまま歩かせれば餌さも必要ないし」


「怖いわ!」


 生きるということは、他の生き物の命を貰うことだが、ネクロマンサーは流石に無いな。

 ニワトリをしめた時の恐怖を思い出して、背筋が寒くなる。

 ちょいとグロいので、描写は避けるけど。

 食べるのって本当に尊い。


「冷蔵庫や冷凍庫を生産、物流、消費に普及させないとだな。電気は物流と消費に供給出来ないから、付与魔法で冷凍庫作らないとだけど。それと同時にルール作りか」


 前世でも冷凍宅配便サービスで、大手各社が常温で仕訳をしているのが発覚したことがある。

 ルールはあったが、繁忙期にルール無視が増えており、遵守が難しい現場無視のルールだったよな。

 見直しの結果、総量規制を導入して無理な受注をしないようにしたのは羨ましかった。

 普通はなかなか仕事を断れないので、対策しても現場の負荷は高いまま何てのが多いのに。

 本当に教育すべきは、現場作業者よりも経営陣だよね。


 その後もグレイスとコールドチェーンについて会話をしたが、翌日になると


「頭痛い、飲みすぎた。昨日の記憶がないんだけど」


 と、二日酔いのグレイスがズキズキと痛む頭に手を当てている。

 そうですか、記憶が無いですか。



※作者の独り言

ワクチンコールドチェーンの仕事が忙しいですね。

まさか、人類の切り札的な製品に関わる事になるとは。

作業者が使命感に燃えているのは良いことですね。

ただ、どこも急な増産で不良が出ないか心配なところであります。

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