第345話 メモを取るのも大変ですよね

「最近魔王もちょっかい出してこないね」


 俺は冒険者ギルドの食堂で椅子に腰掛け、正面に座るシルビアにそう言った。


「毎日なにかしらやるってノルマもないでしょうからね」


 シルビアはそういうと、俺の方の皿に乗っている肉を一切れ食べた。


「俺のなんだけど」


 抗議の声をあげたが、そんなものはどこくふ風とばかりにシルビアはもう一切れと手を伸ばす。

 俺は彼女の手を防ぐべく、右手でその進路をふさいだ。

 一般の人々の目では見えない速度での攻防が繰り広げられる。

 その時だった。


「あれほど箱に入れて仕舞えと言ったろう!」


 厨房の方からブレイドの怒鳴り声が聞こえた。


「ブレイドの怒声か。何があったんだろうかね?」


 俺がそちらに気を取られている隙に、シルビアは肉を奪っていった。

 よそ見するならワンサイクル終了させてからですね。


「見に行く?どうせ首を突っ込むんでしょ」


 咀嚼を終えたシルビアに言われ、その通りなので頷いて席を立つ。

 シルビアも俺についてきた。

 彼女は躊躇なく暴走する人間を殴って止められるので、揉め事の時には役に立つ。


「どうしました?」


 厨房に顔を出すとそこには昆布をもって真っ赤な顔をしているブレイドと、項垂れている若い男がいた。


「アルトか、すまねえな。昆布がゴキブリに噛まれてて、昆布をしまったこのミライを怒っていたんだよ」


 項垂れている若い男はミライという名前なのか。

 ミライに昆布。

 そしてゴキブリ。

 何かそんなエピソードを聞いた気もするな。

 そうそう、この世界にはゴキブリがいる。

 しかもご丁寧な事に、前世のゴキブリと全く同じだ。

 いわゆるチャバネゴキブリだな。

 いまだに見ると不快な気分になる。

 そして、奴らは水を好むので厨房にも多数出没しているのだ。


「そういえば、ゴキブリは昆布が好物だったよな。それだからゴキブリが入り込めないような箱に昆布を入れて、棚に仕舞っておくんだよな」


「アルトもも知っている事を、なんでお前が忘れているんだよ!」


 俺の余計な一言でまた宮井が怒られてしまった。

 おっと、宮井ではなくてミライだったな。


「ミライっていうのか。今まで見たことなかったけど新人?」


 俺はブレイドに訊ねた。

 彼は視線をミライに向けたまま頷いた。


「どうせ昆布の真ん中に丸い穴があいていて、ウニが食べたっていうオチなんだろ」


 俺は誰に言うでもなく、ひとりごちた。

 ブレイドがこちらに差し出した昆布を手に取って、該当箇所を見ると見事に端を齧られている。

 これはウニによるものじゃないな……


「ゴキブリだろ?」


「そうだな」


 ブレイドの言葉に頷く。

 人が噛み千切ったにしては、齧った後が歯型よりも細かくなっている。

 口の大きさは人間よりもはるかに小さい生物だろうな。


「ブレイドの教え方が悪かったんじゃないか?怒る前に聞き取りしてみないと」


 俺は助け船を出したのだが、ブレイドはむすっとして答える。


「こいつはメモまで取っていたんだぜ。それで忘れるなんてたるんでいるんだよ!」


 そうか、メモを取っていたのか。

 文字の読み書きができるとは感心だな。

 おっと、今はそんなことに感心している場合じゃないか。


「ブレイド、ここからは俺の仕事だ。悪いがミライを借りていくぞ」


 ブレイドを納得させてミライをテーブルの方に連れていく。

 ブライトに断ってミライを連れていくだったら、俺はアルトじゃなくてカムラン・ブルームだったな。

 今頃会計監査局員としてどこかで働いていたことだろう。

 話が逸れましたね。


「さて、ミライ。これからいくつか質問をしますが、正直に答えてくださいね」


 俺がそういうと、ミライは恐る恐るといった感じで頷いた。

 やはりみんな同じ反応をするな。

 別に懲罰を与えようってわけじゃないのに。


「昆布の仕舞い方についてはメモを取っていたのは間違いない?」


「はい。教えていただいた時に、その場でメモを取りました」


「じゃあ、昆布をしまう時にそのメモの存在を忘れていた?」


「いいえ、覚えていました。仕舞うところは間違ってませんので」


 ミライの話からしたらメモを取っており、それを覚えていたとなるとメモ自体に問題がありそうだな。


「そのメモは今ある?」


「これです」


 俺はミライが差し出したメモを受け取り、その内容に目を通した。

 そこには「昆布は左の棚に仕舞う」と書かれていた。

 どこを見返しても箱に入れるとは書いてない。


「なあ、ミライ。ここに箱に入れるって書いてないんだけど」


「そこまで書く必要はないと思いました」


 ミライはそう断言したが、実際はそれこそがこの作業の肝だったんじゃないかな。

 作業標準書でいうなら、標準作業として箱に入れる事が記載されており、急所の理由としてゴキブリに齧られないようにとなるはずだ。

 こんなものに作業標準書まではいらないが、前世の工場での仕事でも作業標準書の無い作業の指導でメモを取らせるのだが、読み返しても使えないメモを取る奴が多かったな。

 三次元測定機の使い方なんかもそれだ。

 メーカーのマニュアルはあるのだが、はっきり言って初心者にはわかりにくい。

 なので操作を見せながら説明するのだが、どうもメモの取り方が間違っている奴が多かったな。

 翌日メモを見ながら同じ作業をさせると、昨日みせた作業を再現出来ないんだよな。

 余談ではあるが、全くメモを取らない友人にどうしてメモを取らないのか訊いたところ、「忘れなければいいだけでしょ」って言われたのは衝撃的でしたね。

 流石至高学府に進学する人は頭の出来が違いますね。

 なので、新人にはメモを取れとはいいません。

 「忘れると思ったらメモを取ってください。全部メモを取らなくてもいいです。トイレの場所なんてメモしないでしょ」って言うことにしています。

 どういうわけか、誰もメモを取らないんですよね。

 どんだけ自信があるのか知りませんが、翌日綺麗に忘れてメモを取ることになります。

 そして、その翌日にメモを見ても作業が再現出来ないとなりますね。

 これが新人教育のルーチンかな。


「でだ、昆布を入れてあったはずの箱はどこに行ったんだろうな?」


 俺は棚にあるべき箱がどこに行ったのかも気になった。

 箱は使い捨てではないので、どこかにあるはずだ。

 すると、ちょうどいいタイミングで後ろの方で声がした。


「おーい、こんなところに昆布を入れる箱を置いたのは誰だー?」


 別の料理人が厨房の奥の方で箱をもって大声で箱を置いた犯人を捜している。


「こっちでーす」


 俺は手を上げた。

 その料理人はこちらに箱を持ってきてくれる。


「ミライ、どうして向こうに箱を持って行ったんだ?」


 俺は箱を受け取るとミライの方に向き直って訊ねた。


「向こうで昆布を使うので箱ごと持っていきました。でも、使って残った昆布を持って帰ってくるときに箱を忘れて」


「真因はそんなところか」


 ここまで聞けば十分だな。

 まずは箱は棚に置いたままにするべきだろう。

 昆布を取りだしたら箱は棚に戻す。

 そうすれば同じ場所に昆布を戻すのであれば常に箱に入れるのを忘れないだろう。

 それとメモの取り方は教育だな。

 こればかりは直ぐにできるようにはならないだろう。

 地道にやっていくしかないな。

 作業標準書に不備があったとかなぜなぜ分析で書いちゃうと、「じゃあ、不備があるのを良しとした作成者と見抜けなかった体制はどうするんですか?」って言われるので、なるべく書きたくないですね。

 教育はしていますが、そんなもん評価完璧に出来るかってなるわけですよ。

 まあ、新人の時に一回躓いておくのもいいんじゃないですかね?




「とまあそんなところだ」


 俺はブレイドに対策を報告した。


「ありがとうな。ミライがやめるなんて言い出さなくて良かったよ。あいつが淹れるほうじ茶はうまくて評判がいいからな」


 ブレイドは彼なりに心配していたようだ。

 だったら怒鳴らなければいいのにと毎回思う。

 なんにしてもこれで一件落着だ。


 ウニ食べたかったな……




※作者の独り言

ブレイドはブレイド・ノアに決まりました。

車の名前だしね。

それはそうと、メモを取っても使えない人が多いですよね。

作業標準書が配備されていない仕事なんて沢山ありますので、読み返して理解できるメモじゃないとね。

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