第292話 困ったOB

客先から定年や早期退職した人を迎え入れたり、自分の会社を辞めた人が協力メーカーに行ったりすると、色々とありますよね。

天下りも良し悪し。

それでは本編いってみましょう。


 仕事もしないで、自分の席で飲むコーヒーはうまい。

 毎日こうして時間が潰せたらどんなにいいだろうか。

 俺は前世では味わえなかった幸せを噛みしめ、午後の眠気と戦っている。


「アルト、買取部門には近寄らない方がいいわよ」


 シルビアが俺のところに来て耳打ちする。

 何かあったのだろうか?

 肉屋の兄弟の弟が、兄の勤める料亭での料理勝負のために、バットを持って乗り込んで来ていたり?

 馬刺を出しちゃうぞ。


「何か起きてるの?」


 コーヒーを飲むのを止めて、シルビアに訊いた。


「買取価格で冒険者と揉めているのよ。ただね……」


「いつもの揉め事とは違うってことか」


 買取価格で揉めることなんてよくある。

 ただ、ギャランは不正などしない男だ。

 気分で価格が変わることもない。

 鑑定だってスキルがあるから、間違うことなんて殆ど無いはずだ。

 それでも間違う時は間違うのが人間だけど。

 しかし、近寄るなと言われると近寄りたくなるのが人情。

 野次馬根性で、何が起きているのか見てみたい誘惑に駆られる。

 それが品質問題でなければなおさらだが。

 今回ははたして。


「遠くから見てみる」


 シルビアにそう言うと、残っていたコーヒーを一気に飲み干して、買取部門を遠くから見ることにした。


「だから、この傷だと買い取り価格は落ちるんですよ」


 ギャランが老人に説明している。

 老人とはいうものの、矍鑠たる風体は年齢を感じさせない。


「ギルド本部から出ている傷の見本と比較してもらいたいのだが」


 そう老人が反論した。


「見本は何年も前に来たやつがあるが、今ここにはない」


 とギャランが言い返す。


「こういった意見の相違の際に使えるようにと、本部が送ったものが無いのは問題だな」


 老人に言われると、ギャランは黙ってしまった。

 客観的に判断しても、老人の言い分が正しいな。

 傷の度合いはわからないけど。

 それにしも、本部が見本を送ったのを知っているとは、内部事情に詳しいな。


「倉庫を探してきます!」


 買取部門の若い職員が倉庫へと走っていった。

 その後も他の素材の買取で安過ぎると老人に言われて、ギャランが劣性になっていた。

 老人の素性はわからないが、かなりこちらの手口を熟知しており、上手いこと不備をついて買い取り価格を吊り上げている。


「ありました!」


 かなりの時間が経ってから、若い職員が倉庫から傷の見本を持って戻ってきた。

 先程の素材と見本を見比べているが、ここからでは傷の度合いが見えないのでもどかしい。


「仕方がないな……」


 俺はそうひとりごちると、面倒事に首を突っ込む覚悟を決めて、ギャランのところへと歩み寄った。


「アルト、いいところに」


 地獄に仏。

 とまではいかないが、ギャランの顔が明るくなった。


「どうしました?」


 わざとらしく訊ねると、今までの経緯を説明してくれる。

 やたらと買取部門の仕事に詳しく、言葉の端々を捉えては、価格交渉を有利に進めようとしているようだな。


「つまり、この見本と素材の傷を比較して、見本と同じ範囲以下なら傷は問題ないけど、見本よりも大きければ価格が下がることに異論はないということでよろしいですね」


 俺がそう言うと、老人は頷いた。

 測定スキルがあるので、傷の深さと広さを確認すると、見本よりも僅かに素材の方が傷が大きかった。

 面積にして10μm^2、深さは5μm。

 目視ではわからない程度の差だな。


「そんな僅かな差がわかるのか?」


 老人が訝しげに俺をジロリと睨んだ。

 その視線を軽く受け流す。


「そういうのがわかるジョブですからね」


 皮肉を込めた笑みを浮かべてやった。


「そうか、現役の頃にはそんなジョブを持った奴なんていなかったが、時代が変わったんだな」


 老人は納得して、ギャランの提示した価格での買い取りを了承した。


「現役って?」


 老人の言葉が気になったので、その意味を訊ねた。


「昔、冒険者ギルドの本部で働いていたんだよ。今はこうして冒険者に雇われて、素材の買い取りの交渉をしているって訳だ。高級な素材は10%の価格変動でも大きいからな」


 成程、老人は買い取りの価格交渉を請け負う冒険者の雇われだったわけだ。

 そして、冒険者ギルドのOBであるから、こちらの手口もよく知っていると。

 客先からやってきた顧問みたいなもんだな。

 前世でもあったぞ。

 客先を退職してやってきた顧問は何人かいたが、不良の計上を止めてくれた人には感謝している。

 まあ、そんな人は稀で、客の子会社には強いけど、本体にはからっきしな人達ばかりだったな。

 子会社は現役当時の部下がいるから顔が利くのだが、本体になるとそうもいかない。

 ま、優秀なら本社の役員になっているだろうからね。

 逆に、自社から協力メーカーにOBが行くと手強い。

 不具合対策で何度難癖をつけられたことか。

 工数増やしたくないのはわかるんだけど、あんただってそんな対策が、客の承認とれるかどうかわかるでしょ!

 ついでにいうと、国税が脱税で訴えた裁判の勝率は一割以下だ。

 会計事務所には元税務署長などがいる。

 彼らは元々そちら側の人間なので、やはり、手口をよく知っているわけだ。

 天下り反対!

 あれ?


「名前をきいておこうか」


「アルト」


 そう答えると、ニヤリと笑われた。


「私の名前はゼスト。またどこかで会うかもしれんな」


 ゼストと名乗った老人は、ギャランから金を受け取ると、雇用主の冒険者のところへと戻っていった。


「アルト、また来たら頼むよ」


「ギャラン、情けない顔しないで。俺もなるべく関り合いになりたくないんだ」


 手強いOBは勘弁。



※作者の独り言

心強い客先OBはいくらでも欲しい!

弊社からのOBは出入り禁止で!!

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