第107話 抜き勾配って必要なの?
「ドラ焼きって美味しいわよね。たい焼きやたこ焼きが懐かしくなるわ」
「それをイメージして作ったからな」
俺はリンスの生産がひと段落してから、グレイスがお礼をしたいというのでエッセの工房に来ていた。
身一つで逃げてきた彼女は金銭的にはまだ余裕がないのだろう。
お礼と言ってドラ焼きとお茶を出してくれた。
感謝の気持ちを受け取れたらそれでいいので、金額は気にしないよ。
何せペール缶が売れて今はお金に困ってないし。
「そういえばなんでたこ焼きって丸いのかしらね」
グレイスが突然そんな疑問を口にした。
「それは型から抜きやすいからじゃないかな」
「抜きやすい?」
そうか、抜き勾配って一般的な知識じゃないのか。
金型で成形するものには決まって抜き勾配がある。
例えばだが下のような製品と金型があるとしよう。
■は金型で□は製品だ。
外側の■が固定側である。
これは一般的なプラスチック成形やダイカスト成形の形である
■□□■■■□□■
■■□□■□□■■
■■■□□□■■■
■■■■■■■■■
それを下のようにしたらどうなるかというと、抵抗が大きすぎて製品が金型から抜けないのである。
シリコン注型なんかだと、無理抜きと言って型を壊しながら製品が抜けるが一般的ではない。
■■□■■■□■■
■■□■■■□■■
■■□□□□□■■
■■■■■■■■■
更に下のような形にすると製品が金型に当たってしまい、絶対に抜くことができない。
まあ、こういった形状でも抜くことができるやり方もあるのだが、それはノウハウなので秘密だ。
■■□□■□□■■
■■□■■■□■■
■□□□□□□□■
■■■■■■■■■
グレイスがこのことを知らないのはまだいい。
だが、前世ではこの抜き勾配を知らない設計者がいた。
出てきた製品図を見たら、絶対に抜けない形状で設計されていたのである。
そんなものを渡された技術部門は可哀想だったな。
当時試作メーカーにいたので、何とかしてほしいと泣きつかれたのだ。
泣きつく前に設計を説得しろよ。
と思いましたが、試作時にどうやら弊社が無理抜きしたのでうまくいったと。
大量生産する製品を毎回無理抜きなんてできないので、金型で何とかしたいといわれて、ノウハウ込みでの受注となったということがありました。
いやー、いい思い出ですね。
「そういうわけで浴槽も、お風呂の椅子も、洗面器も全部斜めになっているのはデザインにこだわったのではなくて、そういう形状でしか生産ができないからなのです」
「って、今ここで言われても確認しようがないじゃない」
「そうですね……」
ああ、そういえば異世界でしたね。
プラスチック製品なんてないのか。
ただ、鋳造品はあるぞ。
すぐには見せられないけど。
「どうしても抜き勾配を付けられない製品はどうするのよ?」
「造形ならなんとかなるかな」
「造形って何?」
「最近だと3Dプリンターって言えば伝わるかな」
「それならなんとなくわかるわ」
「積層造形っていう溶かした樹脂を一段ずつ重ねていく工法があるんだけど、これにはサポート材っていう特殊な薬品で溶ける材料と、本来の材料を使うことで金型では無理な形状を作ることができるんだ」
「じゃあ金型要らないじゃない」
「生産スピードが遅いから、大量生産には向かないよ」
そう、大量生産するにはスピードが遅いのだ。
だが、生産終了後の既に金型がなくなったような製品ではその威力を発揮する。
例えば昔の家電製品のリモコンのケースが壊れたとして、金型がなくなっていても現品を3Dスキャナーで読み取って、そのデータを3Dプリンターに入力すれば同じものが生産できる。
カウンターエンジニアリングとも言いますけどね。
某国がよくやってましたよね。
でも、寸法公差が分からないから、そのデータで作った軍用品が誤作動したり、使用できなかったりとあったみたいですが。
「それと、抜けにくいと離型剤っていうのを大量に塗布していくんだけど、そのせいで不良が起きることもあるんだ」
「離型剤?」
「たこ焼きに油をべっとり付けて焼くと思ってほしい」
「不味そうね」
「だろ。工業製品も一緒だ。油をつけ過ぎると不味い」
離型剤起因の不良も結構あったなー。
試作ならいいんだけどさ。
量産なんかだと結構つらいよね。
油分残りで塗装不良とかね。
「そういえば、他に金型でできそうな料理ってないの?」
「前世の経験だと餃子かな」
「餃子?!」
そう、餃子を焼くための金型があった。
金型の上に餃子の皮を置いて、その上に餡を乗せる。
あとは金型を合わせて焼くだけ。
皮を閉じるのが苦手な人も楽ちんという代物である。
「なんでそれを作らないのよ!」
グレイスが怒った。
怒るほどのことか?
「私は餃子が好きなの」
「小麦で作った餃子の皮は用意できそうだけど、餡がよくわからなかったから。それにニンニクも用意できそうにないし」
「何言っているのよ。餃子にニンニクを入れるのなんて本場ではやってないわよ」
「砂糖も醤油も高級品だぞ。それに餃子の皮は米で作って蒸すと実に官能的な舌触りになる。米はどうするつもりなんだ?」
「どこのグルメ漫画の受け売りよ」
「あ、はい……」
でも、よくよく考えたら餃子を焼くための金型って必要ないよな。
自分の手で包めばいいだけなんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます