第三章 対なる聖者

1.見かけない者

 昨晩のことが嘘のように、今朝も爽やかな空気に包まれていた。

 ルシフも1週間の内にすっかりと習慣になってしまった明け方に行なっている剣術の訓練をしていた。

 起きているものが少ないのだろうか、街は目覚めるのを待っているようだ。

 習慣とは恐ろしいもので、教会内部の片付けすら終わっていないにも関わらず、ルシフは一所懸命に剣を振る。その様子はさながら、一流の剣士にも見えた。

 

 しかし、ダンタリオンの一件以来、剣の腕を鍛えるだけではいけないのは明らかだ。それでも、彼は剣を振らないと気持ち悪くなり、どうしても剣を優先してしまう。

(俺の剣はダンダリオンに一切通用しないだろうな……なんせ、あいつはただ一発のパンチを繰り出しただけだが、それでこの有様だ)

 ルシフは昨晩のことを顧みる。

(今のままでは騎士団に入ることは愚か下位悪魔にすら殺されてしまうだろうな)

 あれがあってからというのも、ほとんど眠ることすら出来ず、彼の心の中には不安感が広がっていた。

「だが魔法を鍛えるだけってもの、つまらないし、それだけじゃあ歯が立たないだろうからな……」

 何かいい案はないかと考えるも、簡単に思い付くほど想像力はない。それにただ漫然と修行をする訳にもいかず、思い付きで何かを行うなんてことは出来ないだろう。

 ルシフは考え込むあまり、剣の振りを誤ってしまった。

「しまったっ……!!」

 剣の軌道は教会の壁へと向いている。いくら矯正しようとしても、一度振られた剣の軌道を変えることなど超人でもなければ出来ない。

 剣は教会の壁に突き刺さる。そんな失態を犯したのも心に濁りがあったからに他ならない。

 

「あーあ、やると思った」

 

 どこらからともなく、聞き覚えのない声が聞こえた。ルシフはいつの間にか現れた声の主を見る。

 そこには、フード付の黒コートを着た小さな人物がいた。フードを深く被り込んで顔は見えないが、声の感じからはかなり幼いだろう。声が聞こえるまでは全く気がつかなかったらしく、ルシフは声の主を警戒している。

「お前は誰だ?」

 あたりに緊張が走る。その者からはダンダリオンのような不穏な気配はないが、逆に何も感じないことが返ってルシフの不安を煽った。

「そんなことより! 君、考え事しながら剣をふっていただろう? そんな心の持ちようなら、君だけじゃなく他の誰かも怪我するよ。それが大切な人なら嫌だろ? もう二度とやるなよ」

 その言葉に強い意志を感じたわけでもないが、声の主からは怒りの感情がひしひしと伝わってくる。ルシフはそれに対して何とも言えない不気味な感覚があった。怖いわけではなく、なんだか気分を害されるようなそんな感覚だ。

 そんな声の主は、「それにしてもいい剣だね」なんて言うと、ゆっくりとルシフに近づく。

「わるい、たるんでいたようだ」

 幼い者に叱られることを少しだけ不快に思ったが、自身の感覚を信じたのと、自分自身の失態だと理解していたからルシフは簡単に頭を下げた。

「分かればいいよ。それよりも君の剣は我流かい?」

「いや、もとは学校で習ったものだが、それにアレンジを加えただけだ」

 コートの人物はフードを外した。中から現れたのは、黄色い髪と青い瞳をした少年とも少女とも取れる容姿をした子供だった。しかし依然としてルシフの中には不気味な感覚が残る。

「突然で申し訳ないんだけど、僕と手合わせしてもらえないかな?」

 その一人称から彼女ではなく、彼だということはわかった。

 本当に突然の申し出だったが、彼のたたずまいを見るに、剣の使い手としてはかなりの実力者だということは容易に分かる。ルシフにとってはこの上ない好機だ。

「それは構わないけど……」

 ルシフには一見して自分に勝ち目がないだろうと分かっていたが、受けない手はない。

 なにより少年とルシフでは身長差が60センチ程あるのだが、少年がそのハンデを埋めるため、どういった剣術を使うのかが気になっていた。

 朝焼けが教会を照らす中で2人は試合の準備を始めた。

 

(あ、剣が壁に刺さったままなの忘れてた……)

 

 少年がコートを脱ぎ捨てるさなか、ルシフは刺さったままの剣を引き抜くために小走りで壁まで向かう。

 壁から剣を抜きながらちらりと対戦相手の方を見る。

 コートの中から現れたのは砂まみれのボロイ布きれだ。いまどき、風来坊でももっとましな服を着ているだろう。

(威圧感からして、もしかしたら王国騎士団のメンバーかと思ったがそうでもなさそうだ。まあ最後に団員が入ったのはかなり前だし、子供がメンバーなわけがないか)

 ルシフはいつも使っているガード付の西洋剣を構える。それに対し少年は自身の身の丈程の巨大な剣を構えた。どちらとも飾りのない無骨なものだが、作りはしっかりしている。

「さあ、準備は出来たね? じゃあ、始めよう!」

 少年の声が試合の合図となる。

 

 仕掛けたのはルシフだ。試合が始まると同時に強力な突きを放った。しかし、その突きは強力な剣に防がれる。

 その突きに負けずと、少年が反撃を繰り出す。少年の華奢な見た目からは想像も出来ない力強い振り、それもとんでもないスピードで、ルシフは避けるだけで精一杯だ。

 更に驚くことに、彼の剣から放たれた剣圧はかなりの圧力を秘めており、それによってはじかれた空気だけでルシフに傷を負わせた。

「マジかよ……っ! あんなもん当たったら即死じゃねぇか!!」

 ルシフは頬に出来た傷をなぞりながら大げさにわめく。

 それを見て少年は面白くなさそうに呟いた。

「へぇ、まだ口を聞く余裕があるんだね? じゃあ、少し本気を出すかな?」

 少年がそう言い切った瞬間、彼の剣を振る速さが増した。

 ルシフは出来る限り大袈裟によけ、剣圧の影響を受けないようにした。だが、ずっとそんな動きをしているとスタミナが尽きるのも時間の問題だ。

「避けてばっかりじゃ、試合にならないよ」

 少年は疲れる様子もなく剣を斬り上げる。しかし、その大きなモーションには隙が生じた。

 

(……ここだっ!!)

 

 正に紙一重だった。ルシフの横切りは間違いなく少年に届くはず……だった。だが、少年はあろうことか自身の剣に身を委ね、宙を舞うように躱した。それこそ神業と言えるだろう。

「冗談だろ!?」

 そんなルシフの叫びとは裏腹に、少年はしっかりと着地する。

「残念だったね。いまのは冷やっとしたよ…………ほんのちょっとね」

 そう言った少年の額には汗一つ流れていない。おそらくただのおべっかだろう。彼には隙など少しもないのだ。

「嘘つけ、本当は俺なんて相手にすらならないだろ?」

 それを聞いた少年は笑った。そして、勢いよくこちらに飛び掛かってきた。心なしか先ほどよりも少し動きが速くなっているようだ。

 辛うじて攻撃を避けていたルシフだ。これ以上速くなられると、避けることすら難しくなる。

 かといって、剣であの威力を防げる程の実力はルシフにない。

 

(確かにこれはただの試合だ。それでも負けたくない。こんな気持ちは久しぶりだ。心が踊るようだ!)

 

 ルシフのスピードも速くなる。速くなった少年より更に速く、攻撃を避ける合間に少しの反撃を加える。

 だが、少年は全て受け流す。剣撃がいくら凄かろうが、お互い一撃でも当たればひとたまりも無いだろう。

 しかし、ジリ貧になればスタミナの無いルシフが大きく不利になるのは目に見えている。

 

 ルシフは最後の賭けに出た。

 

 少年の剣撃を避けるとともに大きく後ろに跳び下がった。そして、勢いをつけ少年の元へ走り込み切り掛かった。

 だが、そんな大振りな斬り付けが当たるほど少年はやわでは無い。振り終えていた大剣を力の限り自分の前へと引き戻し、ルシフの剣を防ごうとする。

 斬りつけるように見せたのは、ルシフのブラフだった。剣と剣が交わることはない。少年が剣を戻したのを見計らって、斬りかかる寸前で構えを変え、突きの体勢に入る。

 それを見逃す少年ではないが、無理に戻した大剣だ。大剣を再び振るには時間が掛かるだろう。

 大剣が戻った後に出来た隙。それを見逃さない。ルシフは思いっきり少年を突いた。

 

「…………くっ! まさか、そんなことが出来るとは……」

 ルシフが苦しまぎれにそう呟いた。

 

 少年は無傷であった。

 

 ルシフの突きよりも速く、少年は大剣を地面に突き立て体を浮かせたのだ。その体勢のまま、ルシフを蹴り飛ばした。

「今のすごかった。流石に負けるかと思ったよ」

 そう言った少年の額から一線の汗が溢れた。

「よく言うよ、お前全然本気じゃなかったろう?」

 吹き飛ばされ、倒れているルシフは不貞腐れたようにそう言った。

「目上の人には華を持たせる。爺さんに口が酸っぱくなるほど言われたからね」

 そう笑う少年はさっきまでとはまるで別人だ。

 彼との試合はルシフにとって良い刺激となった。

 

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