第1話

 長官補佐というなんともありがたくもない称号をもらったことをメロジット・メロウは他人事というように会場を抜け出した。首元を緩め煙草を取り出すと火をつけ一息をつく。遠くの方では自分の名前を呼ぶハロウリィの声が聞こえてはいたが無視を決め込んで見つからないようにと建物の影に身を潜める。あいつに見つかればまたなにか言われるのは目に見えていた。

 煙草もだいぶ短くなり、そろそろ戻るかそれとももう一本だけ吸ってから行くかと考えあぐねていると視界の隅に影が落ちた。視線をあげると、どこかで見たような少年が立っていて、こちらの顔を見てから煙草に視線を移した。

「あー⋯⋯。これ、黙っていてくれるか?」

 そう頼むと少年は手をあげて体を捻り、

「ハロウリィ支部長、メロジット長官補佐ならここにいますよ」

 と、声を張り上げた。

「お前っ」

「黙っていてとは言われましたが、場所を教えるなとは言われてませんので」

「このくそガキ」

 少年はそれだけ言うとその場を離れて、入れ違いに黒の襟詰め服に揃いの外套を纏ったハロウリィが現れて呆れた様子でため息をついていた。

「まったく。長官補佐がこんなところで煙草なんて吸ってなにやってるんですか」

「なんでお前が長官補佐にならなかったんだ。おかげで俺がやる羽目になったじゃねぇか」

 ハロウリィを恨みがましく見る。

「私が引き受けてしまったならあなたはますますだらけてしまうのは目に見えています。少しは責任感というものを学ぶ良い機会になるでしょう」

「お前は俺のお袋か」

「こんな大きい子供を持ったおぼえはありません」

 盛大にため息を吐くと腰を上げて煙草を地面に落としてから靴底で踏み潰してズボンのポケットに捻り込んだ。

 それを確認するとハロウリィは身を翻して先に進んでから着いてこないことを不思議に思ったのか振り返って「なにしてるんですか、時間はないんですからはやくしてください」と言ってきた。

「ああ、わかってる」

 弾みをつけて壁から離れるとハロウリィの後に続いて会場へと戻った。






 長官補佐ということは長官の補佐をする立場なるわけで、つまり長官に随時同行することになるわけだ。

 俺が付くことになったのはジョン・クインという女の長官だった。役職でいえば上から三番目の割と偉い地位にあたる。彼女の年齢から考えるのなら出世頭といえるのだろう。長官というのは現場に出ない者が多い中で彼女は自らの意思と足で現場へ出向いてくるということで部下からは密かに人気があり、なにか困ることがあれば長官に助けを求めに行く者も多いというのを以前ハロウリィに詰め込まれた情報を頭の隅から引っ張り出して反芻する。そうやって考えていたせいか自身の名前が呼ばれていたらしいことをハロウリィに促されて気づいた。

 整列された集団から一歩踏み出し敷かれた絨毯の上を歩いていく。行き着いた先には女王が笑みを浮かべて立っていた。

「メロジット・メロウ。あなたを女王の権限に則って長官補佐に任命致します」

 首にかけられたブローチと共に歓声と拍手を背中で聞きながらなんてアホくさい式典だろうとメロジットは思っていた。

「おめでとう、メロジット」

「どうも」

 女王の言葉を受けて導線を辿り集団へと戻ったが横からは不審な視線を向けられる。

「なんだ」

「君、相手は女王なのわかってる?」

「ああ、それがどうした」

 呆れたため息が隣から聞こえていたが無視をした。





 ジョン・クインには噂があった。

 ひとりで敵勢を壊滅させただとか上官の弱みを握っているだとか不死身だとか。

 彼女は基本的に補佐官をとらない。話を聞くところひとりで動くのが楽だかららしい。それが急に補佐官を任命したせいで話が大きくなり、本人に会う間もなく俺はジョン・クインの補佐官となったわけだ。いち支部長の俺が辞退できる間もなかった。俺としては支部長でいる方がよかった。楽だし仕事はしなくていいし、居心地がよかった。






「メロジット、あんたばかでしょう」

 上官にあたるジョン・クインと顔を合わせた第一声がそれだった。

「私がわざわざ長官補佐にしてあげたっていうのになに断ろうとしてるのよ。こっちは危険を承知であんたを助けてあげたんだから感謝しなさいよ」

「俺は今のままがよかったんだ」

「ああ、彼がいるものね。でも諦めなさい。望みがないことくらい理解しているでしょう」

 口にしたこともないことをづかづかと言われメロジットはうんざりした。自身の中で理解はしていたしわかってはいたがそれをジョン・クインに踏み込まれるのとでは話がちがう。黙っているのを肯定と受け取ったのか彼女はそれ以上追求してくることはなく口を噤んでハンドルに手を置いて運転することに意識を戻していた。

 ジョン・クインの愛車は(愛車と言っても勝手に拝借した車を長年乗っているだけなのだが)人が乗って運転できればそれでいいだろうといったような最小限の造りになっているせいか、座席の下からは直接振動が伝わってくる。おかげで寝たとしても定期的に起こされる仕組みになっている。付属されているラジオは周波数が合わないことには流れてこない。時折音楽が流れることもあるがこのラジオの役目としては特定の、いわゆる一般的に言うなら違法な周波数を使って情報を集めることにある。ダイヤルを回してみるとざぁーと砂嵐が耳を劈いて慌てて音量を調節する。それから再びダイヤルを回して指定の周波数に合わせると軽快な音楽が流れはじめてからおなじみの男の声が場所と日時を知らせるがこの男というのはクセがあって正直なところ関わりたくはない。関わりたくはないがこいつが窓口なのだから仕方がないとして用件だけを聞くと早々にラジオの電源を切った。

「行き先は決まったわね」

「そうだな」

 アクセルを踏み込んでジョン・クインとメロジット・メロウの旅が始まった。



 *



 政府というのはこの世界の中枢で、その制服を纏うものは全てが免除される。逆に言うならば制服を着る者は注目を集めやすいことになる。それはあまり好ましくはない。後部座席に手を伸ばし目当てのものを掴むとその内のひとつを隣に座る男に放った。

「もうすぐで着く。これに着替えて」

 男は名をメロジット・メロウという。無駄に背丈があるせいで座席の定位置には身体が収まらず、座席を後部に引いて背もたれを後ろに傾けることで車に身体を収めていた。ラジオも機能しない荒野の真ん中ではだいたいは眠るしかないけれどそれはなんとなくむかつくので時折石畳に乗り上げることにしている。そうすると目を覚ましたメロジットは寝ぼけているのか身体を起こして頭を車の天井にぶつけるというのを先程から数回は見ている。そしてまた今回もぶつけることになった。

 恨みがましく天井を睨みつける彼を横目に車を停車し、外に出て外套を脱いでいく。一通り脱衣を済ませると車体後部にまわり取り付けられている車体番号を取り外し新たに車体番号を取り付けていく。それが終わるとまた車に乗り込んで発車する。

 車の燃料の残量を示すメーターが終わりを告げる頃目当ての街が見えてきた。街には列車が通っているらしく線路が敷かれ、荒野を列車が横切り街に入っていく姿が見えた。それを横目に車を街の裏手に走らせると車が幾重にも積まれた廃車置き場に行きあたった。車を停車し、近くにあったバイクや車の残骸などを周囲に置くことで車の存在を薄める。メロジットはうろんげな視線を向けてきたが私にとってこの車は生死を共にしてきたいわば相棒なのだ。そう簡単に手放すことはできない。車とメロジットどちらかを選ぶ選択を迎えた時は迷わず車を選ぶ。それ程にこの車は私にとってはないと生きていけないものだった。

 廃車置き場というのはだいたい寝床としている者がいるもので例に漏れずこの廃車置き場もそうだった。

「お前たちここでなにをしている」

 声をかけてきたのは顔に幼さの残る十歳未満と思しき子供だった。目つきや服装から見るにここに長年いることがわかる。

「私はジョン・クイン。こっちはメロジット・メロウ。この街の偵察に来ている。私の愛車をここに置かせてもらいたい。その分のお金は支払う」

 嘘をついてもわかってしまうだろうと思い真実を伝え手持ちからいくらか渡す。すると役目を果たしたようで、連なった廃車の向こうへと消えていった。

 あの年の子供がこういった場所にいるくらいなのだからあまり治安は良くないのだろうと街に入る前から街の情勢が垣間見えてジョン・クインは辟易としていた。

 首都から東に位置するイーストエンドはその名の通り国から見放された終わりの街とも言われあまり良い噂は聞かない。

 廃車置き場から抜け出しいくつかの角を曲がり街の中心街に行きあたったのだが、聞いていた話とだいぶちがっていた。通りには人があふれ店先では客を呼び込む声で賑わい練り歩く行商人の姿も見える。通りを挟んだ建物の上階からは住人が顔を出して通りに花を降らし祝いの言葉を述べている。

 呆然と立ち尽くしていると首根っこを掴まれ後ろに引き寄せられ地面に投げ出され扉の閉まる音が耳に届いた。どうやらどこかの店の中に引き摺り込まれたらしい。机や椅子がいくつか並びカウンターの向こうには厨房らしきものも見える。身体を起こそうとすると「起きるんじゃないよ」と言って身体を低くするよう指示される。そこで店の外で鳴り響いていたはずの音楽が聞こえなくなっていることに気づく。その代わりに子供の声が響いていた。

 ひとつふたつ目玉を取りだして、可愛くお花を飾りましょう。

 ソプラノトーンで歌う声は可愛らしいがその内容はちっとも可愛くない。静寂に鳴り響く声は恐怖さえ感じる。

 その声は通りを練り歩き店の前を通り過ぎていくとやがて消えた。

「もう大丈夫だ。身体を起こしても構わないよ」

 手を貸して起こしてくれたのは恰幅の良い中年の女性だった。お腹周りにエプロンを着けているのを見るにここはやはりなにかしらのお店なのだろうと思った。

「私はベイリー。あんたたちジョン・クインとメロジット・メロウだろう」

「どうして私たちの名前を?」

「廃車置き場にいたんじゃないかい」

 そこであの子供に聞いたことに合点がいった。

「私が店にいる時でよかったよ。そうでなきゃあんたたち死んでただろうね」

「あれはいったいなんなんだ」

「私が知るわけないだろう。ある日突然現れて街の人間を殺しはじめやがった。街は荒れ果て人なんて住んじゃいない」

 ベイリーの視線の先には抜け落ちた窓。その向こうの建物の壁には血の飛び散ったような痕も確認できる。通りに出れば人など歩いていることもない。というよりも人の気配が感じられない。先程までの喧騒はまるで幻だったかと思えてくる程に街は静まり返っていた。蔦が這った建物、道端の車体側面には銃弾が降り注いだらしきあと。メロジットが眉を潜めたのが見えて、やはり私の気のせいではないことがわかった。

「ジョン、これみろ」

 メロジットの足元には金色の薬莢がいくつも落ちていた。よくよくみれば薬莢には刻印が彫ってある。馴染みのある海ライオンに王冠の乗ったものだ。自身の銃にも同じものが印されており、政府の者ならば所持している物に印されている。つまりこれは政府の関係者の仕業ということだ。それもおそらくそれなりの役職に就いている者だろう。政府ではそれぞれの役職によって所持する武器の色合いが黒銀金と変わってくるからだ。金色の薬莢に印されているということは長官以上の役職の者ということになる。

「どうする?この街にいてもどうしようもないとは思うけど」

「さっきの子供をどうにかしない限り私は移動する気はない。それに殺された人たちがどうなったのか気になる。おそらく街の人のほとんどが死んだろうけれどその遺体が一体もない」

「どうせ政府が活用したんだろ」

「街の人間をそっくりそのまま?」

「お前、また面倒なことに首を突っ込むのか」

「だって気にならない?」

「俺はジョン、君がまた面倒なことに首を突っ込むことでこちらに火の粉が降ってこないか、そのことの方が気になるんだが」

「それでもメロジット、あなたは私についてくるでしょう?」

 にんまり笑うと彼が口を噤んだところでベイリーが外に出てきた。杖をついて足を少しばかり引きずっている。

「ああ、これかい。やつらがやってくる前日に足を捻ってねぇ。それで逃げ遅れたんだが幸か不幸か助かっちまった。今はこうして立ち寄った人と話をするくらいしかできやしない」

 表通りに位置するベイリーの建物には人が住み手が加えられているからか他の建物よりも被害が少なくみえる。

「なぁ、この建物だけ被害が少ないように思えるがこれはあんたが修繕したのか?」

「私ができるもんかい。それはトルシュカがやったんだ」

「トルシュカ?」

「廃車置き場の子だよ」

「ああ、あの子か」

「あの子は私の孫でね。危ないって言っているのに私の話なんて聞いちゃいない」

 悲しげに眉を下げた。と思ったらとても良い案があったじゃないかと言わんばかりにきらめかせた顔を向けてきて次の言葉が予想できたのかメロジットがあからさまに嫌そうな顔をしていた。

「ねえ、あんたたち悪いんだけどついでにトルシュカの様子を見てきてくれるかい?」

 なんのついでだよ。と呟いたメロジットを無視して快諾した。






 街のメインストリートをくだって辿り着いたのは街のシンボルともいえるような巨大な駅だった。円状の駅構内の天井にはイーストエンド産の硝子細工が巧妙に半丸を描き差し込む光によって色が変化し足元には色とりどりの花々が咲いていた。以前この街を訪れた時は街は花々で埋め尽くされたそれは美しい光景だったと重ねて思い出して嫌なことまで引き出して自身に舌打ちした。

「ジョン、列車来てる」

 彼の指し示した先には黒塗りの列車が蒸気を上げていた。先頭の車両からは運転手が降りてきて体をほぐしていた。声をかけると心底驚いた様子で飛び跳ねていた。

「悪いんだけれど、少しだけなにか食べ物をわけてくださらないかしら」

 自身の最大限の笑顔を浮かべて尋ねると座席の奥から取り出してきた袋を渡される。中にはサンドイッチらしきものや飲み物が入っていた。

「ありがとう」

「い、いや」

「ねえ、この列車はなにを運んでいるの?」

「僕は運ぶだけだからね。後は政府の連中がやっているから」

「じゃあ少しだけ中をのぞいてもいいかしら」

 言葉に詰まった彼を残して貸車の引き戸に手をかける。慌てた彼の声が追いかけてきたが構わず引いていく。木造の引き戸は重くはあったがそれは最初だけであとは吸い込まれるようにスライドしていった。

 貸車の中には果物が詰められたコンテナが積み込まれているだけで、想像していたようなものはなかった。なかったが鼻を掠めたにおいに身体が前のめりになったところで、運転手の彼の手によって引き戸が閉められた。

「あーもーなにやってるんですか」

「ごめんなさい。こんな大きな列車をみるのは初めてだったからどうしても見てみたかったの」

 自身のどこから出しているんだと突っ込みが入りそうな声色にぞっとしつつも見逃してくれたことに心の中で感謝して慌てたように列車を走らせた彼を見送った。

 ホームには停車していた列車がいなくなり強い横風が吹き込んでコートの裾をはためかせていた。季節は春に変わり始めてはいたがイーストエンドは海が近く吹き込める風にはひんやりとした冷たさが含まれている。寒さから逃げるように改札を抜けて駅前に出ると煙草をくわえているメロジットと出会した。

 こちらに気づくと吸殻を地面に落とし靴の底で火を踏み消した。それからそれをズボンのポケットにねじ込んで「じゃあ行くか」と街の中心地から迂回する形で歩いていく。

 大陸を渡る旅行者の滞在所として使われていたらしき看板がいくつも軒を連ねている。

 その中には見覚えのある看板があった。

 些か草臥れてはいたが、懐かしい名前を呼ばれたような気がしたがそれは気のせいで、不思議そうに「ジョン?」と呼ぶメロジットの声だった。

「なんでもない」






 昔、たぶん私がメロジットの年の頃。

 イーストエンドに滞在したことがあった。

 街には春のはじまりを祝う日だとかで街中に花が飾られ見上げた空には花びらが舞いメインストリートでは興行団が練り歩いていた。その両脇には行商人が簡易テントを構え道行く人々をカモに呼び込んでいる。

 大陸へと渡る為の船と列車が開通したことでイーストエンドには行商人が行き交い新たな産業が持ち込まれ人々には活気が生まれ街に潤いをもたらしている。その結果街は発展していった。

 そうした街にはあまりよろしくない人々が紛れ込むのにはぴったりだった。ぴったりだったはずなのだがそれがどうしてこうなったんだと自身に舌打ちをして逃げる方法を頭の中で探してみるが唯一の出口は目の前の人物の背後にひとつだけ。四方を壁に囲まれた状態ではひとりで逃げ出すには厳しいだろう。

「目的はなんだ、ジョン・クイン」

 男は広げられた書類に目を通す。

「君にはなにひとつ情報がない。どうせその名前も偽物だろう?」

「あら、よくわかってるじゃない」

「捕まえたのが私じゃなかったら君は殺されていた」

「じゃあ感謝しなくちゃいけないわね。抱きしめてあげるからこの拘束を解いてくれるかしら」

 テーブルを挟んだ向かいに座る男は髪を後ろに撫でつけて制服ではなくスーツを着ている。つまりそれなりの役職ということだ。面倒な奴に捕まったとジョン・クインは内心で舌打ちをした。

 あの情報屋今度会ったらケツを蹴っ飛ばしてやる。

 情報をもとに指定された店に行くと罵声が飛び交い逃げ惑う一斉取り締まりの中でそこにいたのがこの男だった。

「それは許可できない話だ」

「そう、残念だわ」

 その結果がこれだ。

「今日は長い一日になりそうだな」鼻で笑うと男は部屋から出て行った。

 服の内袖に手を入れてクリップを取って伸ばし先端を手錠の鍵穴に入れて回すと金属音をともなって手錠が外れた。足首の手錠も同じようにして外し男が出て行った扉に張り付いて外の様子を窺ってみるがとくになにも聞こえてこない。取っ手を回し扉の隙間から外を見ると「35秒。かかりすぎだ」先程の男が足を組んで椅子に座っていた。

「ああ、そんな顔をするな。ジョン・クイン。私は味方だ」

 味方。その言葉が信用できないのは身に染みて理解していた。

「それともこう呼んだ方がいいか?エリザベス・クイーン・ラングウッドと」

 胸元に差し込んでいたナイフを取り出し男の首元に突き立てる。

「その名をどこで聞いた」

 男はぴくりともせず口角を上げてナイフの刃に首元を押し付けてきた。刃には血が伝い落ちていった。そのことに気を取られた一瞬にナイフを奪われ手を捻りあげられる。

「ちょっと、なにするの。離してよ」

「ばか暴れるな」

 振り上げた脚が男に当たったはずみで身体が傾きバランスを崩して地面に背中を打ち付けて呼吸が一瞬とまったところに覆い被さってきた男によって肢体が押さえつけられ今度こそ動きが封じられた。

「そうかっかするな。私は味方だと言っているだろう」

 力の違いというのは理解はしていた。それが自身の身に降りかかった時、ここまでビクともしないとは思いもしなかった。

 それに、なにか生温かい液体が手に伝って腹部に落ちてくる。

 目だけ動かしてそれをみると、男の腹部からナイフのグリップが生えていた。

「ばか、動かすな。出血多量で死ぬ」

「で、でも血が」

「あーうるさい黙れ」

 男の首元から伝った液体が顔に落ちて、鉄のにおいを鼻がとらえた。

 これ、血だ。

 ナイフを通して手に伝わった肉を断ち切る感触に吐き気が込み上げてきたのを唾を飲み込み押しとどめる。

 それを見ていた男は盛大にため息を吐いて袖口で顔についた血を乱暴に拭われて抗議の声を上げれば「こんなものすぐ治る」と言って今度は自身の首元を拭っていた。すると、ぐにゃりと傷口が歪んだように見えた。ぱっくりと開いていた傷口は覆っていた手を退けた時にはもう傷痕さえ残っていなかった。

「そんな、どうして」

 前のめりにのぞき込むと襟口の隙間から一瞬見えた鱗は男が襟口を引き寄せて隠され見えなくなってしまった。それからゆらりと身体を起こした男は再び椅子に座り込んだ。

「あなた、もしかしてラヴィー・グランジ?」

 おそるおそる訪ねてみると意外そうに瞬きをしてから「だから君は私に会いに来たんだと思っていたがちがっていたのか?」と答えた。

「そうだけど、わかってたのならどうして拘束したのよ」

 腹部に生えたグリップを握り込み片手を傷口に添えてグリップをゆっくりと引き抜いていく。

「わざわざ君が連絡を取りたいなんてなにか裏があるとしか思えないだろう?こちらに危険が及ぶのは嫌なのでね。試させてもらった」

 男が刃についた血をズボンで拭ってから渡してきたナイフをケースにしまって立ち上がる。

「で、君はなにが目的なんだ?」

 そう訊かれて胸が高鳴ったのがわかった。

「私を殺してほしい」

「⋯⋯は?」

 思ってもなかったのかなに言っているんだと顔を顰められる。

「正確に言うなら、私を殺したことにしてほしい」

「それを私にやれと?嫌だね」

「どうしてよ。あなた殺し屋なんでしょう?」

「殺し屋だからって誰彼殺すわけじゃない。わかったらとっとと帰れ。ここはガキの来る場所じゃない」

 連れてきたのはあなたじゃない。と思いつつもばっさりと切り捨てられてジョン・クインは次の言葉が出てこなかった。まさか断られるとは思っていなかったし彼が唯一の頼みの綱だったからだ。

 ラヴィー・グランジ。職業殺し屋。

 それ以外の情報は聞こえてこない。それはつまり情報が漏れる心配をする必要がないということだ。だからできるなら彼に頼みたかったのに。恨みがましげに見つめてみるもとりつく島はないと言わんばかりに背を向けて取り合ってくれる様子はない。仕方がないので諦めて帰ることにした。扉をくぐって廊下に出て左に折れると長方形にくり抜かれた出口が見えた。

 東に位置するだけあって春のはじまりを迎えてはいてもまだ肌寒い。襟元を引き寄せて階段を降りていく。

 1番下まで降りた時、頭上から爆発音が耳を劈いた。一瞬のうちに身体は地面に打ち付けられ鈍い痛みが走る。なんとか頭を持ち上げて周囲を窺うとあたりには粉塵が舞っていて視界は悪かったが、その向こうで火花が散っているのが見えた。衝撃で聴覚が一時的に機能を失ってしまったらしく音が聞こえないがあれはたぶん銃だ。体勢を低くし身近な建物の影にまわる。呼吸を整え様子を見ていると粉塵の向こうでしばらく火花が飛び交ったあと血を浴びたラヴィー・グランジが立っているのがわかった。徐々に戻ってきた聴覚を頼りに散乱した瓦礫を避けながら彼に駆け寄るとあからさまに嫌そうな顔をしていた。

「お前、どうして逃げなかったんだ」

「逃げなかったんじゃなくて逃げられなかったのよ」

「それにしてもお前はどれだけ恨みを買っているんだ」呆れたように言われ「私だって好きで買っているわけじゃないわよ」負けじと言い返す。すると彼は「ああ、そう」と興味が無さそうに答えて手についた血をズボンで拭って近くにあった車に乗ったのを見送りそうになってから思い出したようにこっちを見て「はやく乗れ」と顎で指し示してきた。はやく乗れと言った割にはもう車は走り出していた。つられるように駆け出すと背後から銃声が届き急かされるように走る速度を上げて車の荷台に転がり込んだのを合図に車が速度を上げたことでバランスを崩して再び倒れ込む。帆の向こうからは罵声や悲鳴が上がっている。壁一枚隔てた運転席から声がかかる。体勢を立て直し近づくと、道を開けていく人々の波が小窓を通して前方に見えた。

「お前、銃は使えるのか?」

 視線を手前に引くと前を向いたままのラヴィー・グランジに問いかけられた。銃なんて使ったことなんてあるはずがない。言い淀んでいると「わかった、身を低くしてつかまれ」答える前に銃弾の乾いた音と少ししてから金属が擦れる音となにかが潰れたグシャっとした音が後方で聞こえた。割と身近でも銃弾の乾いた音が響いてラヴィー・グランジは口悪い言葉を並べ立てて反撃していたがやがてそれも止んだ。どうやら弾切れをおこしたらしい。舌打ちをしたのがジョン・クインの耳に届いた。

 街の外に出たのかやがて車体下から伝わる振動が比較的滑らかなものへと変わった。それでも後方からの攻撃は続いていて帆にはいくつもの穴が開き光がさしこでいる。

 声を張り上げて命運を握る運転席の彼を呼ぶ。

「策はあるの?こんな荒野で死ぬなんて私は嫌よ」

「口閉じてろ、舌噛むぞ」

 答えらしい答えは返ってこずむっとしたが身体が宙に浮いて3秒後には再び荷台に叩きつけられた。キュイインとタイヤの擦れる音とともに身体が車体側面に吸い寄せられ衝撃に身体を丸めたが予想していた痛みはなく、伝わっていた車のエンジン音や後方部からの銃弾の音も消えていた。

 どうやら車は停まったらしい。

 身体を起こしなにか武器になるものはないかと周囲を見回す。目についた角材を引き寄せ強く握り込んだ。車体に沿うように歩く足音が帆を開いた瞬間に角材を振り下ろした。

 蛙が潰れたような声が聞こえおそるおそる瞼をあげると褐色肌の大柄の男が倒れていた。褐色の肌に銀色がかった髪は先程まで銃を向けていた人ではなくどちらかと言えば異国の人に見える。政府の人間ではないと理解した時、横から伸びてきた手が角材を握り込んだ。手を辿っていくと色素の薄い髪を撫でつけたラヴィー・グランジが立っていた。

「ジョン、もう大丈夫だ。こいつは敵じゃない」

 差し出された手を支えに荷台から降りると足の裏からお腹へと先程とはちがった重低音の振動が伝わってきた。視線をあげるとだいぶ上の方に金属板を使った天井が緩やかにアーチを描いて壁や足元へと繋がっている。

 さっきまで追われていたはずなのにどうやってここに。

「怪我はないか?」

「⋯⋯あんたの運転であやうく死ぬところだったわよ」

「お前、元々死ぬつもりで来たんだろ」

 思い出したように話をふられて抗議の声を上げる。

 だが男は続けてこう言った。

「ジョン、仲間になれ」

「なんで私が。私が持ちかけたのは死んだように見せかけるだけだったはずよ」

「助けてやるんだお前も条件を飲め」

「飲まなかったら?」

「お前の話はなしだ。他を当たるんだな」






 旅の資金も底をついて途中で拝借した車で次の街へと車を走らせていた。

 だいぶ古い車らしく振動が直接座席へと伝わってくる。

「ねえ、まだ着かないの?」

「それ聞くの何回目だ」

「だったら私に運転させてよ」

「お前は駄目だ。お前が運転したら人が死ぬ」

「死なないわよ。こんな荒野の真ん中で誰が死ぬのよ」

「俺が死ぬ。第一車が大破して次の街まで歩くなんて御免だ。だから駄目だ」

 確かに人を轢いたのは悪かったと思うけれどあれはあっちが悪かったのにと思いつつも彼が運転を変わるつもりはないらしいのでなにかないかと車内を見回す。フロント真ん中にラジオが付いていた。電源を入れて付属のツマミを回してみる。街から離れているからか耳を劈くようは砂嵐音ばかりだったが、一瞬人の声が入ってきて慌ててツマミを戻す。

「はぁい、こんにちは、ジュリエッタお姉さんのラジオがはじまるよ〜。今日の東地区に置いては快晴が吹き荒れるでしょう。お近くの方は洗濯物に注意しましょう。ジュリエッタ・バーンズでした〜」

 放送が終わるとやがてそれも砂嵐となり消えた。

「ねぇ、これどこが流してるんだろう」

「さあ」

「こんなところで入るんだから局が近くにあるってことよね」

「⋯⋯⋯⋯」

「あるって、こ・と・よ・ね」

 横目で保たれたような視線を向けられる。

「どうせ行く宛もないんだからいいじゃない。ね、行ってみましょうよ」

 呆れたような溜息をつかれたが車は進路を変えて南下した。



 *



 見慣れた車内で子供が寝ていた。

「おい、起きろ」

 眠気眼で目を擦りながら身体を起こしたところに袋を放って渡す。中身を確認すると眠そうではあったが口を付け始めた。食べ終わる頃には意識ははっきりして僅かに血色も良くなっているように見えたが、例のソプラノトーンの鈴を鳴らすような声が聞こえた気がしてトルシュカの口を塞いで車の中へと押し込んだ。抗議の声が上がったが目で合図を送ると理解したようで黙った。

「ひとつふたつ目玉を取り出して、可愛くお花を飾りましょう。そしたら優しく葬ります。死者の国へと送りましょう」

 子供がスキップを踏むように歩き回る声はなにか探しているのか廃車置き場を見てまわっているように蛇行しているようだ。それはやがてこの車にも近づいてきていた。

 はやく通り過ぎれ。と息を潜めていると、バン、と叩きつけられた小さな手が窓に見えてトルシュカの声が上がる。それに呼応するように窓に叩きつける音が続いた。

「なにやってんだ」

「なにってあんなの声が出るに決まってんだろ。てかなんなんだあれは。お前たち一体なにをやったんだ」

「俺が知るか」

 どうやらそれは車内には入って来ないらしい。ひたすら車の窓を叩いている。車のロックをかけるついでに確認すると幸いなことに鍵はさしたままだった。運転席に身体を滑り込ませてエンジンをかけるとギアをバックにいれる。

「悪いな、こっちも急いでるんだ」

 霊体が車内を通過していった気がしたが無視して、トルシュカの情けない声も無視して、ギアを戻して発進する。

 街に出ると街灯などもなく日が暮れ始めれば車のライトを付けなければ視界は悪くなる。

 面倒くさいことに首を突っ込んだような気がしてため息が出た。

 ジョンを拾ってはやく街を出よう。

 面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。

「トルシュカ生きてるか」

 先ほどから黙ったままだった後部座席に声をかける。

 あんなものを見たんだ無理もないか。

 バックミラーで確認すると後部座席のヘリに身体を預け後部を窺っている。

「⋯⋯お、おい、あ、あいつ追っかけてきてる」

 確認すると暗闇に白い身体が浮かび上がり迫っているのをみつけた。

「座席の後ろに銃がある、撃てるか」

「幽霊に銃が効くのか」

「やらないよりはマシだろ」

 窓から半身を出し天井に固定して弾を放つ。

 ミラー越しに見えたのは銃弾を撃ち込まれて弾けて消えた少女の姿。その向こうで派手に炎煙をあげて建物が吹っ飛んでいった。

 使えないこともなさそうだな。

「途中でジョンたちを拾う」

 車内に身体を引っ込めたトルシュカを確認して声をかける。

「他にも誰かいるのか」

「ベイリーだ。お前と一緒に暮らしてるんだろ」

「⋯⋯誰のことを言ってるんだ?俺はベイリーなんて知らないぞ」



 *



 街の外れに集団墓地があった。墓標のほとんどは東の海から吹き込む潮風によって風化し歪な形になっている。その中のひとつの墓標の前に佇んでいる女性がいた。よく見るとその女性の傍には杖もなくついでに足も無かった。こちらに気づいた女性は、ベイリーは悲しげに眉を下げて訥々と語り出した。

「死んだはずだったんだが、気がついたらこの街にいて。街を出ようにもまた街に戻ってる。おかしな話だとは思ったんだがどうやっても出られない。トルシュカは生き残ったけれど助けることもできない。諦めたように最初は線路を歩いて次の街へと向かっていたが気がつけば背にした線路から戻ってきてる。それからだ、あの悪霊が出始めたのは。街のビジョンを見せて誘き出した所を食う。最初は私以外にも霊がいたが残ってるのは私だけだ」

「⋯⋯それって私たちもこの街から出られないってこと?」

「さあ?」

「でも列車は」

「幽霊は気まぐれだからね。あんたたち政府の人間なんだろ。気に入られたんじゃないかい」

 そんなものに気に入られても。

 問題を解決すれば街から出られるだろうか。

 ひとまずメロジットと合流するか。

 じゃあ私は街から出られるか試してくる。そう伝えようと振り返った時身体をなにかに薙ぎ払われて吹っ飛ばされた。咄嗟にガードした腕に感謝して転がった反動で身体を起こす。

「なんだい、女にしては随分反応がいいじゃないかい」

「それはどうも」

 対峙したベイリーは先程までの感じの良いおばさんではなく、黒いモヤが身体の周りを取り囲んでいて酷く淀んで見えた。

「これでやっと街の外に出られるんだ、その身体寄越しな」

 こっちが悪霊だったのかと舌打ちをして咆哮をあげて突っ込んでくる彼女から転がるように逃げる。

 等間隔に並んだ墓標は煩わしく、ごめんなさい、化けて出ないでください。と心の中で詫びながら墓標の上を飛び越えていく。

「わっ」

 駆けていたはずの足が宙をかいて確認する間も無く身体が浮かび上がり世界が反転した。先程まで足をつけていた地面は十数メートル下に見える。

「捕まえた」

 濁声の元を辿るとベイリーらしかったその身体は膨れ上がり酷い腐臭のするものへと変わっている。腰に支えた銃を抜き発砲しようにも政府の制服とともに車の中に置いてきたことに行き着き悪態をつくしかない。

 なにかないか。なにか他に。命の危機を感じ焦る傍で名前を呼ばれたような気がした。昔懐かしい声だ。

 目を閉じて1秒。

 上半身を起こし上げ足首に装備されたナイフを抜き目に向けて投げる。

「ひゃあああぁあああ」

 痛みを感じているのか悲鳴と共に巨体が傾いた弾みで拘束が緩んだ。重力に沿って地面に倒れ込む直前で巨体を足場に弾みをつけて跳んだがベイリーが倒れ込んだ衝撃で土煙が舞い上がり爆風とともに遠くに飛ばされ地面に叩きつけられた。叩きつけられた衝撃から呼吸が詰まって咳き込むと内臓を痛めたのか吐瀉物の中に血が混じっていた。起きれる気力はなく呼吸を整えることに意識を向ける。やがて視界が晴れてきて瓦礫の向こうでのたうちまわるベイリーらしきものが目に入った。あたりには轟音が鳴り響き振動から肌表面にびりびりと痺れが襲う。ベイリーの身体が散り散りになって空洞が空いていき、そしてまた集合して散り散りになっていく。その繰り返しだった。

 なにあれ。

 地面に張り付いたままで様子を窺っているとふと横に人の気配を感じた。

「助けてあげようか」

 視界に映ったのは人ではなく白い少女の輪郭を帯びたそれは答える前に吸い寄せられるようにベイリーのもとへと向かっていく。

「ひとつふたつ目玉を取り出して、可愛くお花を飾りましょう。そしたら優しく葬ります。死者の国へと送りましょう」

 ベイリーの動きが止まった。

「あ、ああ⋯⋯」

 急に怯え出したベイリーはばたばたと暴れ出し逃げようとして巨体を形成していた黒いモヤも散り散りになっていくが少女はそれを許さないというように自身の口に手を入れると背丈の何倍もある大釜を散り散りになるそれらに一振りすると一瞬にして消えた。モヤを失ったベイリーはばたばたと地面にへばりつく形で逃げようとしていたが少女はベイリーの行き先に立ち塞がっていた。

「や、やめて。やめてやめてやめてお願いやめて」懇願し咽び泣くベイリーに「⋯⋯どうして私があなたの言うことを聞かなくちゃいけないの?」場にそぐわない無邪気さを含んだ声は狂気すら感じる。

 よく見れば、白い残像の向こうに少女が見えたような気がした。気がしたがそれは一瞬のことで、先程よりも些か古びた自身の愛車が幽霊を掻き消して弧を描いて飛んできた。ブレーキを踏んだのか反動で回転して数十メートル後方で止まったのを見送って「ジョン」メロジットの声とともに放たれた銃を掴みベイリー目掛けて発砲する。効くのかと疑問にも思ったが案外効くらしい。銃弾の穴から身体が細かい粒子となりそれは徐々に侵食しやがて弾けて消えた。

「ジョン、無事か」

「⋯⋯遅い」

「悪かったな、こっちもこっちで、っ」

 言葉の途中でメロジットの銃弾が頭上を掠めた。ついでに少女の短い悲鳴が聞こえた気がしたが「ひとまず街を出よう」背後を確認する間も無く同意するように車に乗り込んだ。




 どこにあんな力が残っていたのだろう。

 疑問に思いつつも座席に身体を預けているとトルシュカが声を上げて銃口を向けて来たのを取り上げて頭を小突く。

「ってえぇ、なにすんだ」

「それはこっちの台詞。なにやってるのよ、車内で銃を振り回すなんて怪我したらどうするの」

「だ、だって、ゆ、幽霊、幽霊が」

「幽霊だって出るわよ、さっきまで墓地にいたんだから」

「ち、ちがう、さっきの、さっきの」

 顔面蒼白でなにかを伝えてくるのがどこかおかしくて「ああ。もしかしてあなたが探しているのは、⋯⋯これ?」と言ったら「ぎゃあああああ!」トルシュカから悲鳴が上がった。それを笑う声には自身のではない少女の声が重なって聞こえた。

「⋯⋯ジョン、相手は子供だ」

「だってさ。悪いけれど私の身体から出て行って」

 そう自身に伝えると身体の内側からなにかが這い出ていくような気持ち悪さがあって再び座席に身体を預けた。

「ば、化け物」

 そう言って気絶したトルシュカに向けて「化け物だなんて失礼しちゃうわ」と口を尖らせて座席から頭を生やしていた。それはすでに白い輪郭ではなくなっていた。少女は座席を通過して行儀良く助手席に座った。

「私まだぴちぴちの412歳なのに。酷いと思わない?墓守が年寄りだなんて誰が決めたのかしら」

 ツインテールに結んだ髪からのぞく瞳は幼かったがよく喋る幽霊だとジョンは思った。

「悪霊が悪さばかりしてたの。かと言って私はこの街から離れられないしあなたたちがきてくれてよかった。トルシュカのことが気がかりだったの」

 先程の言動のどこにそんなものがあったのか。

「それと運転席のあなた、さっき私を撃ったでしょう。助けてあげたんだから感謝してもいいんじゃないかしら」

 メロジットはちらりと面倒くさそうに視線を向けてから短く感謝の言葉を述べると少女は満足気に微笑んでいた。



 *



「彼に謝っといてくれる?」

 視線を投げかけられてトルシュカは頭を引っ込めた。

「なぁ、ジョンはなにを話してるんだ?」

「⋯⋯さあ」

 メロジットが車体のへこみを内側から蹴り上げて直しつつ視線を送ると先程までジョンと少女が会話をしていたが再度見た時には少女は消えていた。



 *



 暗闇だった夜空に青さが混じり始め背にした街からは僅かに光が差し始めていた。窓からは土埃を含んだ風が車内を通過していく。

「イーストエンドは最初の海峡を渡る列車だったけど新しい線路が敷かれてからは使う人がいなくなって、時々荷物列車が通るくらいだったって」

 トルシュカは興味なさげに相槌を打って窓の外を見ていたがそのうちに寝てしまっていた。

「もしかしたら彼女はあの街の最後の生き残りだったのかもしれないわね」

「⋯⋯ベイリー?」

「ええ。だから最後まで彷徨ってたんじゃないかしら。彼女を狩る為に墓守は街から出られないようにしてたって」

「そんな中でどうやってトルシュカは生きていたんだ」

「彼が列車を降ろされて途方に暮れていたら私たちが来たって言ってたから割とすぐだったんじゃない?」

「ふぅん」

「ねえそれより仕事も終わったし途中で寄り道でもしましょうよ。お腹すいたー」

 こっちが本題というようにジョンは声をあげる。

「どこにそんな金があるんだ」

「大丈夫大丈夫。制服を着てればなにも請求されないわよ。こんな時のためにこれがあるんだから。使えるものは使わなくちゃ」言い返す気力もなく適当に相槌を打ってから安心して眠りに落ちて行ったジョンを横目にメロジットはあくびを噛み殺した。

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