好きなら好きと伝えて手放すな。

「トイレにかかる時間が約一年、入浴が約二年」

「そんなになるんだ。湯船に浸かったらすぐ出るから、ぼくは短いかも。でもスーパー銭湯や温泉は長く浸かるから……陽翼よはねは長湯なの?」


 問いかけると、「蓮理れんりの想像に任せる」と彼女は答えた。

 きっと彼女はきれい好きに違いないから、ゆったり湯船に浸かるはず。

 立ち上る湯気の中、長い髪をまとめ上げる姿を思い浮かべかけた蓮理は、慌てて頭を振った。本人を目の前にしていやらしい想像をしようするとは恥ずかしい。

 後ろめたさから、蓮理の歩くスピードが落ちていく。

 

「蓮理? 大丈夫か」

 

 気づいた陽翼は振り返り、立ち止まった。


「焦って早すぎたみたいだ。すまない」


 歩調を合わせて隣を歩く陽翼に、謝るのはぼくの方だと言いたい気持ちを蓮理は飲み込んで、ありがとうと口にした。


「いままでのを合計すると、約七十四年」

「残り十年が自由時間なんだ。退職したあとを『第二の人生』というけど、それが十年なんだね」

「いつまでも健康でいられたらよいのだが、なにかしらの病気や介護が必要になるかもしれない。なので、健康寿命は十年マイナスされる」


 蓮理は思わず、路面の段差につまづきそうになった。


「え、つまり、どういうこと?」

「人生ほど短いものはないけれど、長く感じるものも他にはないということだ。誰かに勧められるまま、やりたくないことを我慢しながら毎日を何気なく過ごせば、勉強なら四年、仕事なら十年、無駄に過ごすことになる」

「無駄もたまには大切じゃないかな」

「確かに。だが、自分自身に投資する選択をし続ければ、やりたいことに近づく生き方ができるのではないか。なにより、青春は二度とない。人生はやり直せないから」


 青春は二度とない、と言い切った彼女の言葉が、蓮理の胸に重く響いた。

 言われなくとも、やり直せないことぐらい知っている。ただ、知っているのと他人に言われるのとでは言葉の響き方が違う。まるで、自分が隠し持っている秘密を他人に探り当てられたときみたいな衝撃が全身を貫いたのだ。

 遅刻して彼女と登校する今日のような出来事は、二度とないだろう。

 平坦な今日を無作為に過ごすか有意義に過ごすかを決めるのは、自分自身なのだ。

 遅延証明書をもらったからのんびり行こうと言ったとき、彼女が怒った態度を見せた理由にようやく気づいた蓮理は、恥ずかしくなってきた。


「ここではない何処かへ憧れるのは悪くない。世界は広いのだ。居場所が気に食わないし危険だからと変える努力は『逃げ』だが、決して恥ではない。きみの人生くらい、きみ自身が動いてままならせてやるが良い」

「そうだね」


 視線を交わす二人は、一緒に駆け出す。

 踏み間違えて急加速した車が歩道に突っ込んできたのは、その時だった。

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