第40話 ゾーン
☆亜美視点☆
ブレイクポイントをなんとかもぎ取り、1セット目を取った私達。
このまま2セット目も取って終わらせたいところだけど。
「ふぅ……本当になんとかって感じだね」
「えぇ、ワンミスも出来ないってのはきついわ」
セット間での休憩で少し話をする。
「亜美ちゃん、大丈夫? ずっと跳びっぱなしだけど?」
希望ちゃんが心配してくれる。
1セット目、奈央ちゃんの判断で攻撃はほとんどが私に委ねられていた。
確かに調子は良いけど、こんだけ跳んでるとさすがに疲れる。
「大丈夫だよ。 まだ跳べる」
「ならいいけど」
「奈央、ちょっと亜美を休めましょ? さすがに使い過ぎだわ」
「そうですわねぇ……」
「私、今日はまだ全然跳んでないし、私にも回してよ」
皆が私を気遣ってくれている。
ありがたいけど、このまま一気にセット連取して終わらせたいところ。
「その辺りの判断は私に任せてもらいますわ」
「まあ、それでいっか」
遥ちゃんが納得したところで2セット目が始まる。
◆◇◆◇◆◇
2セット目は遥ちゃんのサーブで始まる。
ここに来ても威力が衰えない遥ちゃんの弾丸サーブは、相手のレシーブを崩した。
これはいきなりブレイクチャンス!
あの位置からなら強打が返ってくることは……。
そう確信した瞬間、視界の端で助走に入る弥生ちゃんの姿を捉えた。
そんな?! あんな深い位置からトスが飛んでくるわけ……。
これはフェイクっ、騙されちゃだめだ。
後衛のバックローを警戒だよ。
しかし、その判断はミスだった。
相手のセッター眞鍋さんは、それでも弥生ちゃんにトスを出した。
ふわっと上に上げるようなトスではなく、低い弾道でとても速いトス。
こんなトスをまともにスパイクできるの?!
どちらにしろ、すでにブロックは間に合わない!
「っ!」
ボールを見ずにノールックでジャンプする弥生ちゃん。
そのまま、腕を振り抜いた。
タイミングドンピシャで放たれたスパイクに私達は反応することも出来なかった。
ピッ!
「……ボールも見ずに」
「……」
弥生ちゃんの目がさっきまでと違う。 それに雰囲気も。
何だろうあの感じ……怖い。
「どんまーい、あれはちょっと考慮できないわ。 仕方ない」
ポンポンと奈々ちゃんに肩を叩かれる。
確かにそうなんだけど、なんだろうこの感じ。
今の弥生ちゃん、まるで隙がない。 ボールどころか、針一本すら通せる気がしないよ。
相手のサーブを希望ちゃんが拾う。
私はスパイクに跳ぶために助走に入る。
弥生ちゃんはボールの軌道を冷静に目で追っている。
冷たい目……感情を感じられない機械のような目だ。
気圧されちゃだめだ! 私はこのよくわからない感覚を振り払うように跳ぶ。
「……」
「っっ!」
ブロックは弥生ちゃん1枚……。
なのに、抜ける気がまるでしない……。
私はスパイクを打ち抜くのを躊躇って、結果的に中途半端なフェイントを打たされた。
当然簡単に拾われる。
「ごめんっ」
「いいからブロック!」
反応が遅れる。
弥生ちゃんは?!
目の前でブロックに跳んでいたはずの弥生ちゃんの姿が見えない。
「ライト!」
ライト?! そちら側へ目を向けるとレフトからライトへ助走している弥生ちゃんが居た。
「ブロード攻撃っ?!」
そのまま横っ飛びにスパイクを放つ弥生ちゃん。
それにも反応できずに簡単にブレイクされてしまった。
「……」
2セット目に入ってからやっぱり変だ。
私はまだ絶好調だよ? でもついて行けない。 思考のその上を行かれてるような感覚……。
「亜美ちゃん、このセットはもう跳ばなくていいですわ」
奈央ちゃんから小声で話しかけられる。
「調子は良いよ?」
「それは見ればわかりますわ。 それでもこのセットは跳ばなくていいです」
いつも冷静な奈央ちゃんには何か見えているんだろうか?
少し迷う。
奈央ちゃんはキャプテンにタイムアウトを取るように合図した。
◆◇◆◇◆◇
「このセットは捨てますわ」
「捨て……って」
「何よ、まだ0-2でしょ? 最序盤の1ブレイクぐらい」
「それで済めばいいですけどね。 とにかくこのセットは捨てます。 亜美ちゃんにはボールも回さないしブロックに跳ばなくてもいいですわ」
最終セットに賭けましょうと言って話を締めた。
コートに戻る時も色々考えてみる。
「タイムアウトで切れてくれればよかったのですけれど……継続中みたいですわね」
「え?」
何の事を言ってるかはわからないけど、弥生ちゃんの様子はタイムアウト前とは変わってない。
相変わらずあの不気味な状態のままだ。
「亜美ちゃん、3セット目までにできるだけ休んでおいてくださいね? あと跳ばないからと言って、集中力切らさない様に」
「うん……」
良く分かんないけど、今は奈央ちゃんの事を信じてみよう。
どっちにしても、今の良く分かんない状態の弥生ちゃんから点を取れる気がしないし。
今は体力回復して、集中集中……。
その後の2セット目は弥生ちゃんにやられたい放題にやられて、12-25のダブルスコアでセットを取られた。
セット間での休憩を取る間も出来るだけ何もせずに体力回復と集中力を維持することにする。
ベンチでは、皆が集まって話してる声が聞こえたような気がした。
「奈央、どうすんの3セット目は?」
奈々ちゃんの声だ。
「思ったより長引きますわね、月島さんのアレ」
「んー? アレ?」
奈央ちゃんと紗希ちゃんの声。
「ちょっと厄介な状況ですわね。 そんなに長く続かないと思ってたんですが あー、私のお嬢様モードが先に切れるぅ」
……。
「アレって何?」
希望ちゃんの声が遠くから聞こえる気がする。
「あれは、一種のトランス状態ね。 聞いたことあるでしょ? 一流のアスリートがごく稀に体験する『ボールが止まって見える』とか、『何をやっても上手くいく様な気がする』ってやつ」
「ゾーンとか言うやつか」
「遥の言うとおり、あれはゾーンに入っちゃってるわね」
「あんな風になるものなの? 別人じゃない? いや、元から化け物だけどさ」
「なっとるやろがい! おほん、まあ、ちょっと手が付けられない状態ですわね」
「具体的にどうすんのよ?」
皆の声がどこか遠くの会話に聞こえる感覚……。
内容が頭に入ってこない、ただの雑音に聞こえる。
うん、この音はいらない───。
☆奈央視点☆
ベンチ前に集まって5人で話を進める。 亜美ちゃんはベンチに座って頭からタオルをかぶり、俯いて何かブツブツ言ってるわね。
いい傾向だ。
「具体的には1セット目とおんなじ作戦を取りますわよ。 ここからは全部亜美ちゃんに回しますわ。 それと、私はレセプションにもディグにも参加しません、亜美ちゃんへのトスに全集中力を傾けさせてもらいますわ。 代わりに奈々美がレセプションもディグも頑張ってください」
多分この先、亜美ちゃんにトスを合わせられるのは私か、亜美ちゃん自身ぐらい。
他のトスじゃ亜美ちゃんの全力を引き出せないだろう。
「でも、亜美ちゃんは2セット目の最初、あの状態の弥生ちゃんに完全に抑えられてたよ?」
希望ちゃんが心配そうに言う。
確かに最初見た時は何事かと思ったわ。
けど、からくりがわかってしまえば何とかなるってもんよ。
「ゾーンってのはいわゆる極限の集中状態だと言われてますわ。 そんな状態で2セット目フル稼働していた月島さんが、3セット目もこのままゾーンを切らさずにいられるとも思えません」
「切れたとこで化け物は化け物でしょ? それまでにリードされちゃってたら追いつけないかも? それにゾーンが切れるって保障もないしね」
「そん時はそん時ですわ。 月島さんという化け物を覚醒させちゃったことを呪うしかないですわね。 でも……」
私はベンチに座る亜美ちゃんの方に視線を送る。
相変わらずタオルをかぶり、下を向いている。
ただ、タオルの中にちらりと見える彼女の目は、凍る様に冷たく感情の一切が感じられない。
必要の無いものが一切視界に入っていないような目。
静かだけど、怖いぐらいのプレッシャーを感じる。
あんな亜美ちゃんと真剣勝負ができる彼女に、嫉妬している自分がいる。
私の声など、もう聞こえていないかもしれないそのチームメイトを指して私は口を開く。
「いるでしょ? うちにもとびきりの化け物が───」
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