足りない。
神城
足りない。
俺は無機質なコンクリートに寝転がっていた。
嫌になるほど色の変わらない空。涼しい風に吹かれているここは、屋上。
ああ、退屈だ。
眠気まなこを擦って足を動かす。
フェンスの前にたどり着いた所で、網目から外をのぞく。色以外の個性もへったくれもない、瓦屋根が所狭しと並んでいる。向かいのビルに、同じような屋上で、楽しそうに駄弁る女共がいた。目新しくもない。
そんな下らなくも美しい日常風景に向かってため息をついた。いつもと変わらない。なんてつまらない。
俺はそんな毎日に納得出来ない。
俺の見るこの世界には刺激が足りない。
フェンスにかけた手を離す。少し飛び出ていた針金が引っかかり、服を引っ張った。ほつれた上着に手を当てて、つまらない刺激だ、と侮蔑した。
屋上の段差に立てかけるように置いていたレジ袋を奪うように取り、中に入っていたコーラの栓を捻った。泡の弾ける音をBGMに、喉を押し込むようにぐいっとひと飲み。のどに弾けるような刺激が走る。
だが、まだ足りない。
こんな痛みで、俺の欲を満たせるのなら、世の中はもっと鮮やかに映るはずだ。
しばらく飲んだあと、半分ほどまで減ったコーラをレジ袋に戻す。それと同時に、もう一つ中に入っていたガムを引き抜いた。清涼感が高く、初心者にはオススメできないハードなガムだったが、そのガムを口の中でもみくちゃにしてやって、キツい清涼感が滲み出ても。
まだ、足りなかった。
少し軽くなったレジ袋を後ろに放り投げる。振り向かなかった。袋の崩れる無様な形を、見たくなかったから。
ああ、つまらない。
ガムを噛みながら空を見上げる。もし今ここで雨が降って、その重みが俺の体を地上へ縛り付けようとするのなら。その刺激に耐えかねてこの場から去れたかもしれないのに。
喉に張り付いた汗を乾かすように手で仰ぐ。この苛立つような太陽の微笑みほど、早くいけ、早くいけとせりたてるものはない。
痺れを切らした俺は、太陽に向かってガムを吐きかけてやった。
再びフェンスへと駆け寄る。編目に手をかける。
そして足をかけた。くそくらえ、と重いものを持ち上げるようにゆっくりと、力強く。
やがて足がつく。痛いほどフェンスをつかみながら、あまりの狭さに愕然とする。
それでも、まだ刺激が足りない。
けれど、本当は分かっていた。
一体どれほどの刺激が俺を満足させてくれるのか。本当はその究極の答えは、自分の中で出ていたのだ。しかし、その先にある無感覚で刺激を感じられない世界に怯えていた俺は、今までそれを実行せずにいたのだ。
しかし、もう限界だ。
ああ。早く。狭っ苦しいこのつまらない世界から、早く解放しろ。
震える唇を噛み締めながら、手を離す。逆立つ毛と、高鳴る心臓に、怯え屈みそうになる。
ああ。
刺激だ。
だが、俺にはまだ、刺激が足りない。
片足をわずかに動かす。
大丈夫だ。
俺なら。
しかし、そう言い聞かせながら究極の欲求への入口に立った俺を、まるで歓迎するかのように酷い刺激が襲った。
予想外の怒涛の刺激に驚きつつも、俺は丁寧に対処しようとした。
抗おうとした。
逃げ切ろうとした。
しかしそれは、どうしても釘つけて離さない。
ほら、そうしているうちにも。
痛いほど突き刺す刺激が、また、また、また。
甘い花の香りが鼻孔を刺激する。立ちくらみがして、思わずフェンスに腕を伸ばして屈み込む。
吐き気がする。
ああ、このままでは。
このままでは俺は。
刺激が向ける好奇の目に殺される。
動けない。
離れない。
嫌だ。殺されたくない。それだけは。
そんな刺激は、いらない。
…やがて、非常階段を降りてゆく男。その姿を、彼女は向かいのビルからずっと見つめていた。
紅を引き、美しい布で着飾ったそれは、言葉少なに辺りに散らばったゴミくずをかき集めて、ビニール袋に詰めた。限界まで詰まったビニール袋は、美しい円を描いて、太腿辺りで揺られていた。
ふと、彼女の仲間が声をかけたのを合図に、彼女もまた、同じように非常階段を下って行った。
彼女の目から、向かいのビルが映らなくなる頃。
彼女は振り向いて、言った。
「足りない。」
彼女の立ち去った後からは、甘い花の香りがした。
足りない。 神城 @kamisiro00
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