第21話

 夢を見た。幼い頃の遠い記憶……


 小学生の頃、僕は活発とは言えはしなかったが今よりは笑っていたし友達もそれなりにいた。


「語君は綺麗な声だし朗読がとっても上手ね」


 勉強はそこまで得意じゃ無かったが、唯一取り柄だったのは国語の授業であった朗読だった。これに関しては昔から色んな人に褒められてきた。そしてその日きた教育実習の先生にも褒められたのだ。教育実習の先生はとても綺麗で優しかった。当然皆すぐに先生を好きになっていた。そんな先生に褒められて僕はすっかり舞い上がっていた。


 ある時、僕は忘れ物をしてしまい教室に戻る事にした。教室の扉を開けると何故か僕の席の前にあの教育実習の先生がいた。僕に気付くなり先生はさっと何かをポケットにしまう。


「あら、語君。 どうしたの?」

「あ、えっと……忘れ物して」


 僕はどこか違和感を感じつつも、先生を尻目に机の中から宿題に使う予定の教科書を取り出しランドセルに突っ込んだ。


「ねぇ語君。 よかったら少しだけ先生とお話してくれない?」

「えっ」


 先生と2人っきりで話すなんて初めてで僕は話の内容よりもその状況が気になり、そわそわしてしまっていた。その時先生はどんな表情をしていたのだろうか。先生はゆっくりと話し出した。


「語君は普段どんな事をしているの? 趣味とか」

「趣味……小説とか、漫画読んだりかな」

「へぇ、どのくらい読むの?」

「ん〜小説なら1週間に2冊くらい、かな」

「偉いね! 国語の成績いいのも納得だな〜」

「そっそんな事ないです」


 再び褒められ僕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


「朗読も柔らかくて聞き取りやすい声だしもしかして何か演劇とかしてるの?」

「し……してない、です」


 あまりにも褒めてくるものだから顔が熱くなって汗がじわりと滲む。先生の顔を見るのが気恥ずかしくて、机の端にある授業中描いていた落書きを眺めていた。


「えーしたらいいのに! 絶対上手になるよ!」

「そんな、僕に演劇なんて……」

「語君! 自信を持って! 貴方の声は本当に素敵よ!」


 先生は僕の両手を握り、僕の顔を覗き込んできた。その異常なまでの勢いに思わずぎょっとする。


「透き通っていて高過ぎず低過ぎない、それでいて落ち着いたとても綺麗な声……」


 先生の様子がおかしい。握られた手にはじっとりとした汗が絡み付き、荒い吐息が僕の髪を撫でた。


「せ、んせ……」

「もっと聞かせて欲しいな……語君の声」


 高揚した表情で先生は僕に顔を寄せる。僕はいつもと違う先生の雰囲気に恐怖を感じた。


「ひっ……」


 思わず先生の手を勢いよく払う。その時先生のスーツのポケットから何かが落ちた。落ちたものから誰かの声が聞こえてきた。それは……僕の声だった。


「……っ?!」

「あーあ、バレちゃったか」


 先生はひょいとそれを取り上げカチッと音を消す。そして僕に向き直るとにっこりと微笑んだ。


「先生ね、語君の声が大好きなの! 毎晩語君の声をこれで聴きながら……それはもう素敵な気分になるのよ! ねぇ、お願いがあるんだけど先生、語君から聴きたい声があるからそれを録らせて欲しいの。 大丈夫……手を出すつもりはないから、ね?」


 気付けば僕はその場から逃げ出していた。そして僕はすぐさま自宅に戻りベッドにくるまってひたすらに泣いた。あんな先生、知らなければ良かった。触れられた手の感触が忘れられない。あのねっとりとした声も、表情も。まだ先生が近くにいるような気がして、その日はずっと自分のベッドで怯えながら震えていた。


 次の日先生が教育実習を終えていなくなるまで学校を休みたかったが、両親に叱られ無理矢理行かされる羽目になった。それから僕は学校では一切声を発しないで過ごした。友達に声をかけられても無視をし、授業でも発言をやめた。最初こそ心配をされていたが、皆は段々と僕を放置するようになっていった。見ていなくても分かった、先生はずっと僕を見ていた。きっと僕が誰かにあの事を話さないか監視しているんだ。もし話せば何をされるか分からない。

 暫くして先生は教育実習を終え、いなくなってしまった。皆は先生に対してお別れ会をしたが、僕だけはそれに出ずに途中で下校をした。それ以来皆には愛想が悪い奴と避けられ続ける事になったがあれから先生は僕に対して何かをしてくる訳でもなく、いなくなった後も会いに来る事はなかった……


 煩く鳴り響く目覚まし時計の音に意識を引き戻された僕は荒々しくそれを叩き、重い身体を上げる。


「……本当に夢だったら良かったのにな」

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